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外構とロードスター

クララの介護をしながら、クララの事がひと段落付いたらなんて未来の事を色々考えているが、クララは生きる気が満々で、先生の「あともって1、2週間」という余命予想も余裕でクリアしそうだ。

昨日の朝、夢の中にクララが出てきた。私は、実家の北千里(阪急千里線の終着駅)という駅で、何やら忙しくしている。たぶん今から20年近く前の自分の設定のようだ。だが、もうすぐ出発で扉が閉じかけている電車を見ると、電車の床にクララが寝ている。わたしは、「クララ!クララ!」と叫んでクララに抱き着く。クララはニコニコしている。あわててクララを見に行くと、スヤスヤ眠っていた。正夢にならなくてよかった。

こんな状態になっても、ご飯は完食し、ボールで遊び、夜ドライブを催促するクララ。まだ当分クララと暮らす日々は続きそう。私の感覚ではあと3週間ぐらいは大丈夫そう。クリスマスまでもつか、もたないか。飼い主のエゴで、無理にこの世にクララを引き留めるつもりは無いが、クララがこの世にいたいうちは、出来る限りの事をしてやりたい。クララは私の心の中で一生生き続けるだろうから。

今日の朝は、紅葉が綺麗だったので、バンビの写真を撮った。




クララの事がひと段落したら、外構をこうしよう、寒冷気候と害虫に適応出来ず枯れぎみの庭木(オリーブとシマトネリコ)をこうしようと色々と考えている。一方、やっぱり外構の写真を撮るときに、クラシックカーっぽい車が無いと寂しい。

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屋根はいらない。またがって赤穂までひとっ走りして帰ってくるためのホットロッド的なスポーツカー。ここ数日考えていたが、仕事の絡みもあり、やはりあの車しかない。走行中の動画撮影もしたい。車遊びの友人も作りたい。そう考えるとやはりあの車しかないのだ日本では手に入りやすいし。まあ、仕事に悪影響を与えない程度にチェックして適切なものを手に入れる事にしよう。

趣味車持つ → 別荘地で過ごす時間が増える → スラム化別荘地に幻滅する
という悪循環になる可能性が高いので、趣味車は止めとこ。家の中に置けるモールトンAM18で十分。

他へ移っても、モールトンAM18ならどこへでも連れて行ける。

仕事中心に考える思考習慣

たとえば、住む家を考える時、持ち家と賃貸とを天秤にかけてみる。
持ち家の場合、賃貸よりも10年で300万得をすると考える。

これが仕事を中心に考えない思考法だ。



家を仕事中心に考えてみる。

・購入の場合、良い物件を建てたり、探したりする手間がすさまじくエネルギーを食いリスクも負う。
・賃貸だと、持ち家よりも住める地域の幅が広がり、住み替えも出来る。
・仕事のために最高の地域を選んで住むことができる。
 ※たとえば大きな図書館の近くや書店、電気街の近くなど。
・頻繁にやってくる災害に対して心配をしなくてもいい。
・補修などの費用も掛からない。
・資産価値についても心配しないでいい。
・「持ち家の最大の難点:変な人に煩わされるリスク」を容易に避けられる。
 ※変な人・・・近所の人から、自治会や管理組合の変な人まで様々。持ち家で、友人以外の訪問者は100%この手の人。

最後の「周囲に変な人が住みつくリスク」だが、持ち家の場合、自分の資産の環境を害されている点で不快度が10倍になる。

こうした様々な事は、仕事に多大な悪影響を及ぼす。
一方で、そうした悪影響を受けないで済み仕事に集中できるなら、月2万円ちょっとの出費増など許容範囲と納得できる。



趣味車について考える

「仕事を中心に考えない思考法の場合」
手ごろな値段の趣味車を買ってきて、仕事の合間にコツコツレストアして乗ろう。・・・と考える。

「仕事を中心に考える思考法の場合」
仕事を頑張って、資金に潤沢な余裕ができた時に、もし万が一、極上の個体が現れたらその時は検討しても良い。だが、仕事に悪影響を与えるなら購入しない。

そもそも「仕事の合間にコツコツレストアして乗ろう」という貧相な思考習慣自体が仕事に悪影響を与えるのではないか?と過去を振り返って思う。

全てをお金中心に考える華僑の友人は昔言っていた。「すぐに壊れる安物の車で悩んでないで、仕事頑張って、ポンとディアブロの新車を買えるぐらいまでまず登ればいいのに。」と。今思うとそれが正解だ。



染みついた「仕事中心に考えない思考習慣」

こうした事ひとつとっても、過去10年間に、「仕事中心に考えない思考習慣」が自分には染みついている。
これを完全に転換させて、「すべてを仕事中心に考える思考習慣」に転換すれば、様々なブレークスルーが起き、また煩悩を捨てたり、断捨離を行う事も容易になるだろう。

「仕事中心に考える思考習慣」に基づいた世界観を構築しよう。

そろそろ本業(ライフワーク)に戻るべき時・・・

幸せな時間の記憶 という記事を書いた日が、7/29だ。実は記事を書いた日に、クララの病気が発覚している。

クララは、あと1週間弱で、病気になってから4か月は生きた計算になる。
本来であれば、末期の場合、1か月以内に死ぬ子が大半の血管肉腫と言う病気で、胸水がたまり続けるという末期症状なのに、こんなに長期間、生きる子は珍しく先生も驚いている。

重度の病気なのに、基礎体力の強さと心の前向きさ、日々を楽しむ気持ちがありすぎて、クララはなかなかヘコたれない。飼い主の私としては、3ヶ月を過ぎたころから、「もう十分頑張ったし、2か月間はバンビと一緒に散歩も出来た。これ以上苦しい状態になる前に元気なうちに安らかな死を迎えられたら幸せだろうに。」と思っていたが、症状は着実に悪くなりつつも、クララは場面場面を乗り切って、未だに食欲を維持しボール遊びもする。こんなに長期間、週3回も胸水を毎回1リットル、週3リットルも抜かれ続けて生きている犬も他にいないだろう。

だが、さすがに先生も「私の感覚ではあと1、2週間ではないかと思っている」とのこと。自分の感覚では、クララの事だからあと1か月ぐらい頑張るのではないかと思ったりしている。以前飼った犬の死では後悔をたくさんしたが、クララに関しては飼い主として出来る100%の事をしたという自覚があるのでいつ終わりが来ても後悔はないと断言できる。

いずれにせよ、もう長くないのは確かなので、毎日クララを載せて、クララが大好きな夜ドライブに出かけ、クララだけではなく私たちも赤穂で外食したりバンビの散歩をしたり楽しんで暮らしている。







犬の世話もろもろで1年間本業(創作活動)ができないでいる。
その間に発掘した新分野の副業(あまりオツムを使わなくてもいい単純流れ作業的仕事)を拡大させて本業が停止している分を補っている。

放置している本業関連のSNSのフォロワーを見ると、半年前に10000フォロワーちょっとだったのが、15000フォロワー直前。著作権料は横ばいだが、フォロワーが増えているせいか家賃収入のように毎月確実に入ってきて減らない。キチンと活動していれば、今頃30000フォロワーは超えているかも。確実に風は吹いているのだが、大型犬の老犬を2頭も飼うという作業の重荷で本業に手を付けられないでいたのがもどかしい。

クララを病院へ連れて行くのは、先週から妻がやってくれているので、そろそろ本業に戻ってゆこうと思う。今度本業に戻ったら、2度と本業と自分を引き離すような重荷を新たに負うまい。全てを本業中心に考えて、何物にも邪魔されない鉄壁の環境を構築したい。




世の中は、どんどん内向きになると予想している。アメリカ合衆国の場合、リーマンショック以降、家で過ごす人が増えて、ディズニーなどコンテンツ提供会社が成長した。映画「マトリックス」の世界のように、人々は、より虚構の中で生きるようになる。そうした時代に食うに困らないのは、虚構を生み出せるクリエイティブな仕事だと思っている。

その虚構を生み出す仕事に従事する人間もまた、「理不尽」な現実に翻弄されない、閉ざされた虚構の世界に生きねばならない。

理不尽を気に病むかわりに「世の中は理不尽なものである」と考える

「甘やかされる」の意味

妻との会話シリーズ・・・・

・私は、子供の時にいろんな玩具などに憧れたが、親に望みのものを買ってもらった記憶がほとんどない。
・妻は、子供の頃から現金を渡されていたので、望みのものを自分で買いに行っていた。

これだけ聞くと、妻は甘やかされて育った子供の用に思うが、圧倒的に私の方が甘やかされていたと思う。

「甘やかされる」という事の意味は、飼い犬が飼い主を信頼するように、『親は自分を裏切らない』と思い込むような環境で育つ事ではないか?

たとえば、親が子供に「誕生日にはファミコンを買ってあげる。」と言って、誕生日にファミコンを買ってあげないのが「甘やかされない」という事ではないか?
妻は、子供時代に、このような親の裏切りを数限りなく経験した結果、「世の中は理不尽なもの」という現実を叩きこまれたのだ。

妻のこのような現実感は、彼女が営業マンとして優秀であった事と無関係ではあるまい。


「世の中は理不尽なものである」とわかっている人間は一段上から世界を見ることができる。

「世の中に正義はある」「人は信頼できる」などと思っている人間は、甘やかされて育っているのである。

その純粋さがその人間の良さである事はたしかだが、実際には世の中は理不尽であるし、人も信頼できないものである。

「世の中は理不尽なものである」とわかっている人間は、一段上から世界を見て動くことができる「策士」になれる。

「常識が通じる世界」や「道理が理解できる人間」などを夢想したり期待してはいけないのだ。

大人になって、そうした事を多少なりとも期待していいのは、妻や夫、夫婦関係においてだけだ。

幽霊は脳の誤作動か?それとも半実態化したものなのか?

数日前、妻と赤穂までドライブした。帰りの車中で幽霊話になった。

おそらく妻は、霊媒師のような能力がある血を引いている。だが、空想の中に生きるタイプではなく、普通の人以上に現実主義者である。そんな彼女は今までたくさんの霊体験をしてきており、その話を聞くと、実話怪談などでも読めないような、とても不思議な話が多い。

「実話怪談」などは、怖さに特化しているので低級な霊が多いのだが、妻の話にはもっと上級な霊が登場する。

地縁ともつながりがあったり、彼女が見る夢の中に出て来る神社などとも関連している。夢の中の神社は実在している事が多い。そして、時間と場所を隔てて、現実とリンクしている話があり、それを聞くと脳の誤作動や、記憶を後から作っているような理由付けができない。

だが、わたしはそうした幽霊話をここに書きたいとは思わない。「プライベートな事柄」で世間に公表されたくないと幽霊は思っているフシがある。なので、「実話怪談」作家などはその「プライベートな事柄」を本にしようとしてよく祟られる。

わたしも思い返せば、彼女と暮らしていて霊体験のようなものを経験した事が何度かある。私が霊を見るのではなく、動物が霊を見ているとしか思えないような行動をとる機会が過去に何度かあった。