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第16章 『自分に割り当てられた土地を耕せ』 D・カーネギー

人間が陥りがちな性質

毎日1章を何度も聴き返しているデール・カーネギーの道は開ける(CD版)。



~ 第16章 ~ 

この章で挙げられる人間の陥りやすい精神的習慣は・・・・

人は自分以外の人間になりたがる。自分以外の人間を装いたがる。

※これは、欧米人よりも、日本人の方がそのような教育をされて育っている人が多いかもしない。官僚や企業戦士の規格にあう人間を量産しようとする試験偏重の選抜システムなどについてそれが言える。



どんな時にも自分らしく振る舞いなさい

だが、個々の人間は何かしら新しいもの(その人独自の唯一無二の個性)を持って生まれてきており、それがこの世で価値を生み出す源泉である。

ハリウッドを例にとると、クラーク・ゲーブルの劣化版コピーなど誰も欲しがっていない。人々はつねに、何か新しい別の味付けを欲しているのであり、自分らしく振る舞う事でそうした社会のニーズと自分が合致するのである。

自分の本質を偽っている人間は本来の能力を発揮できないのだ。社会は誰かの二番煎じなど求めてはいない。



人間は自分を割り当てられたものとみなすべき

人は(知性的に)成長する過程で、『嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為に他ならない。』という確信に達する時期がある。 
BY エマーソン

この意味は、人間は自分を割り当てられたものとみなすべきという事に他ならない。

宇宙には素晴らしい場所がたくさんあるが、人は自分に割り当てられた一区切りの土地に労苦をそそいで、自分という種を育てなければならない。



自分の領分の中で、もっとも活きの良い、最上のものになれ。

自分が大魚であろうが、小魚であろうが、かまわない。小魚であるなら、最も活きの良い、最上の小魚になれば良い。

※この章は、自営業で生きる私にとっては、無意識的に実践している事である。ゆえに、新たに学ぶことは少ないのではないかと思ったが、じっくり聞くとなるほどと思えることがいくつかあった。たとえば、この章を自分に関する章ではなく、自分の所有物、たとえば家にあてはめて考える事もできるのだ。家は自分同様に、自分らしい存在であると言える。欠点もあるし、良い点もある。周辺環境もしかりある。周囲には不快な事もあるだろう。それらはその家の個性と捉える事もできるし、その家が「割り当てられた場所」と捉える事もできるだろう。どうにもならない事はどうにもならないが、割り当てられた場所で最上の状態にする努力をして住み続ければ、それで十分、幸福な家と呼べるものとなるのではないか?

第15章 『あらゆる物事の良い面に目を向ける習慣』 D・カーネギー


毎日1章を何度も聴き返しているD・カーネギーの道は開ける(CD版)。




D・カーネギーは、人間の本来の性質はこうだけど、心の持ち方を変える事で、その性質を出し抜くことが出来ると説く。
三国志の時代の説客のように、逆境に陥ったときに外的要因に感情を支配されるのではなく、モノの見方を変えてチャンスと捉えて快活に行動するように説いているのだ。

たとえば、D・カーネギーが良く出す例は、手足を失った傷痍軍人が快活さを失わずに力強く生きている姿。傷痍軍人が苦境にあっても明るく生きているのに、あなたの悩みなど何でもないと諭す。



~ 第15章 ~ 

人間が陥りがちな事(人間の性質)

「人は、自分に備わっているものをほとんど気にかけず、いつも欠けているものについて考える」
 ・・・ ショーペンハウエル




年間数千万円の所得よりも価値がある事

不足しているものを数えるな、恵まれているものを数えてみよう。

あらゆるもの物事の良い面に目を向ける習慣を身に付ける事ができれば、それは年間数千万円の所得よりも価値がある。

自分の身の回りには生きる喜びを与えてくれるものが90%あり、そうではないものが10%ある。
人はその性質上、そうではない10%に集中して不幸に過ごしがちであるが、意識的に、生きる喜びを与えてくれる90%に集中して人生の真価を味わって日々を送るべきである。




欲しいモノを手に入れる事と楽しめるか否かは別

人間が目標とすべきは以下の2つ。
1.欲しいモノを手に入れる事
2.それを楽しむ事

2が出来るのは賢者のみ。

※たとえば、家にはドブレ700SLという薪ストーブがある。こんなものはマニアから言わせればそれだけで1年中楽しめるような代物かもしれない。(一部のマニアの間では薪ストーブ界のメルセデスベンツのようなストーブだそうだ。)私は、それを日常の暖房として実用的に活用しているにすぎないし、楽しいと思う事はごくわずかだ。だが、それを心底、楽しむことだってできる。こうした事に気づくことによって、人生は面白みを増すのだ。

 他方、私は自分の仕事を心底楽しいと思っている。こう思える人は世の中に少ないだろう。世の中では、働くぐらいならホームレスのように見すぼらしく暮らした方がマシだと思っているような人もけして少なくない。わたしが自分の仕事をこのように思える事にもっと幸福感や優越感を抱いて良いかもしれないし、その楽しい仕事にもっともっと打ち込める環境を整えるべきだろう。

第12章 『快活さを失った時に快活さを取り戻す方法』 D・カーネギー


今日は12章を、仕事をしながら何度も聴き返した。
D・カーネギーを聴きながら仕事をすると仕事がはかどる。
あと、田中康夫のyoutubeチャンネルなども最近は仕事に集中したいときによく聞く。
賢い人の言葉を聞くと心がしゃんとなる。



この章は、結構深い。




●苦境でも意志の力で気分を変えられる。

●幸福は、外的要因に左右されるものでは無く、自分の心が生み出すもの。
 (同時に不幸も心が生み出すもの。)
 ↓↓
 モノやお金や地位やビジネスの上での成功などは、一時的に心を高揚させるが、幸福は外的な要因によってもたらされない。
 例:成功や勝利や地位を独占したナポレオンは、エルバ島で「私の人生において幸福だった日々は5日もなかった。」と語った。




行動心理学の権威 ウィリアム・ジェイムズの言葉

●苦境でも意志の力で気分を変えられる その方法
 
 先入観:「行動は感情に従う」
 ↑
 実際は・・・「行動と感情は同時に働く」

 感情は意志によって変える事は難しい。ゆえに大半の人間は感情に振り回される。

 だが、行動は意志の力で変えられる。ゆえに、行動を変えれば 感情も変わる。
 
 賢者はこの原理を理解しており、意志の力で自由自在に自分の感情を支配することができる。

 ↓↓具体的な実践方法
 『快活さを失った時に 快活さを取り戻す方法は、すでに快活さが戻ったかのように演技すること』
  ※幸福感あふれる演技をしながら、同時に悲しみにふける事は肉体的に不可能
  (=行動が感情を支配できる)

●災いを幸せに変換する方法

 災いによって生じる「恐怖心」を「闘志」に変換すればよい。

 私自身の場合:別荘地スラム化で不快な感情が生じれば、その心的ストレスを、ビジネスに取り組む闘志に変換して昇華する。
   =不遇な環境を、経済的富裕の実現と、精神的成長=自己実現へと昇華できる。



心の持ち方を変えて、不幸ではなく幸福を引き付けろ

自分が快活であるかのように振る舞うだけで周囲の人々を幸福に出来るのになぜ不機嫌にふるまっているのですか?
=人間は自分が望むものではなく、自分が現在そうであるものを引き付ける
 (幸福なら幸福を引き付け、不幸にふるまっていれば不幸を引き付ける)

↓↓↓↓

人間は自分の気の持ち様を向上させることによってのみ、自分自身を高める事が出来る。→これが出来なければいつまでもその人は、お金があろうが地位があろうが卑屈で見すぼらしいだけ



(余談) ウィリアムジェイムズの行動心理学で提唱されている事

「精神の修養のために 毎日2つだけ自分がしたくない事をする」

第7章 『忘れても良い小事で心を乱すな』 D・カーネギー

1月に入ってから仕事に集中する日々を送っている。

仕事をしながらデール・カーネギーの『(耳で聞く)道は開ける』を聴いている。



昔から何度となく読み返してきた本だが、毎日1章づつ熟聴して内容を章ごとに記録しておくことにしよう。




第七章の内容を短い言葉で要約してみる。

「忘れても良い小事で心を乱すな。人生は短いので小事にわずらわされている時間は無い。」



<自分の感想>

人間は性質的に、小事にイライラすることで狂気にまで駆り立てられる。
そのことを、何百年も生きた大木が小さなカブトムシの群れにコツコツと食い荒らされることで枯れてしまう例を挙げて説明している。

カーネギーの本の内容全般に言える事だが、人間の性質はそうなのだけど、賢者はこの性質を認識した上で、知恵(心の持ち方)でその性質を出し抜いてしまう事ができると説いている。

物事を小事か、大事か判断するには、それを瞬時に忘れても良いことか否かによって決すればよい。
忘れても良い事は、自分の人生にとって取るに足らない小事である。忘れても良い事は気に病まず、忘れても良い感情を蒸し返したり深入りする必要はない。また忘れても良いようなどうでもいい人に関わるな。そんな人は空気と思って意識の外に締め出せ。

人生にとってもっと有意義な事(家族に愛情を注ぐ事や、仕事、家を大事にする事など)に集中するべし。


クララがいなくなって3週間が経ち・・・

クララは、12歳9ヶ月を生きた。自分の事を一生心に留めておいて欲しかったのか、12月9日に亡くなった。

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クララは有名な犬だったため、連日、山のように花束が届き、地元・上郡町の花屋さんは大忙しになった。

クララがいなくなって3週間が経ち・・・、いつまでも私たちと暮らしたいと言う気持ちを持ち続けて頑張ったクララの事を思うと悲しさで心が沈む。とくにバンビと散歩してクララが好きだった散歩道を歩くと、クララがいない事を意識してしまう。

私も歳を取り、バンビも食欲と散歩欲は旺盛だが足の弱りを隠せなくなってしまった。一つの時代が終わったと言う感がある。

クララが居なくなり部屋をかたずけているが、身近なものの死を経験すると、ものを整理して質素に暮らしたいと思いが強くなる。闘争心が旺盛だったクララが私に元気をくれていたのだなと思う。

イングリッシュゴールデンのルークや雑種のゴンスケが亡くなったときは私は30代前半~半ばで、やりたいことがまだたくさんあったが、今は正直、仕事以外でやりたいことはない。身の回り家のまわり、車などを綺麗にして不要物を処分して何かを新たに購入せずシンプルに静かに暮らしたい。

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ペット葬儀場に行った日に、待ち時間に訪れた牛窓のレストラン『ロッサ』で撮った写真。