因習の村 因習の別荘地・・・

「惨殺半島赤目村」という漫画を読んだ。



最近はまってるウシジマ君とは別系統だが、これはこれで傑作。

「惨殺半島赤目村」という横溝正史の伝統を引き継いだ因習ワールドもまた、自分は一般読者以上にリアルに感じる事ができる。

なぜなら、「惨殺半島赤目村」で描かれる、バブル期のリゾート開発が頓挫した島というのは、私が田舎物件を探して右往左往したことのある淡路島とよく似ているし、皆が皆の悪口を言ってる閉鎖社会というのは今私が住んでいる別荘地そのものだからだ。播磨自然高原・・・。

「惨殺半島赤目村」の最初の場面で、僻地医療にたずさわるために赴任してきた医師である主人公は、島の社会が、~派、~派の派閥に分かれていがみ合っており、誰もが表裏を使い分け、やがて一人も信用できる人がいない事に気づく。わたしが別荘地引っ越した当初に接した人々も、「あなたは~派か?」と聞かれるほど、定住者が派閥に分かれて悪口を言い合うおぞましい風習の社会だった。今では裁判や批判ビラまきや総会での怒号うずまく罵りあいにまで発展している。別荘地内にカフェ兼ワークショップを作った人は定住者の「金儲けしている」という嫉妬を買って陰口を叩かれまくって最近は閉めてしまった。(定住者の集団の一部は「俺たちが潰してやった」と言ってるそうだ。)閉鎖社会は恐ろしい。

漫画において突拍子もない設定に見えるものでも、現実もそれに負けじと狂ってるのが日本社会である。なまじっかな設定の平凡な小説よりも、何でもありの漫画の世界の方がリアルに感じてしまう。最近は、毎日数時間は漫画を読む時間にあてている。

「簡単に手に入るものは大切に出来ねえ」

漫画の「闇金ウシジマ君」を1巻から読んでいる。



本や映画を含めて、ここ数年読んだ中で、魂にまで突き刺さるような突出した作品だ。
「ナニワ金融道」と「カイジ」と「はだしのゲン」をたして3で割ったような超現実感。
最後まで読み切ったら、もう何度も読み直すだろう。

ウシジマ君の世界は、自分が20代前半に西中島で督促のバイトをしていた経験・当時はウシジマ君の住む町と同じ猥雑な下町で生活したこと・ウシジマ君の登場人物と同様にギラギラした野心に満ちた日々を送っていたこと等もあり、とてもリアルに感じる。泥沼にはまってゆく闇金の客たちも、(バブル崩壊の最悪期だった)当時は身近にいたような人々ばかりだ。

一話一話が教訓に満ちているが、第15巻目のセリフには妙に納得を覚えた。




俺たちが相手にしている連中はよ、孤独に耐えられねェ連中だ。
それを簡単に解決する手段を安易に手に入れた人間だ。
だがよ、簡単に手に入るものは大切にできねェ。
人と金を粗末にして心がどんどんさもしくなっちまった連中なんだ。


「闇金ウシジマ君 第15巻」より引用



「安易に手に入れたものは大切にできない。」

これは本当にその通りだ。その意味の中には、同時に、大切にするという行為には困難さや葛藤がつきものという事でもある。
仕事、家庭、家、趣味、あらゆるものに関して言える事だろう。継続し、維持することは困難な道であり、日々の積み重ねの中で築いてゆく。

安易であることがもてはやされる時代ではあるが、安易さを追いかける事には大きな落とし穴(愛情や人との信頼感、分別の欠如)もある。

不動産価格から読みとく社会の変化

最近、よく身近な場所の不動産物件を検索して調べる事を日課にしている。

地元の場合、駅から徒歩数分圏内のスーパーやコンビニに適した商業用の一等地がバンバン更地になって売り出されている。
焼き肉屋、老舗の仕出し屋、旅館のビルなどもバンバン売りに出されており、その価格も商業地としては捨て値に近く、この町の中枢部分が壊れてきているのが明確にわかる。

最近は、神戸市郊外の中古住宅などの相場も随分と下がってしまい、別荘地のビックリ捨て値価格と並べても同じような相場になってきた感がある。しかも不思議な事に、価格が下がれば下がるほど「そんな陳腐化した住宅はタダでもいらない」「高齢化したカビ臭い別荘地・新興住宅地など見るのも嫌」と思えてくる。

私が魅力を感じる歴史ある町も、市内では産廃計画がどんどん持ち上がり、日本最大の産廃銀座の様相。さらには、巨大な太陽光発電所がどんどん里山を崩している。町の一部に魅力を感じて移り住みたいと思っても、正直、こんな産廃や太陽光ばっかりできる市で大丈夫か?と思ってしまう。

新しい土地に家を建てたり、小マシな中古物件を買っても、別荘地でそうだったような隣家の変な人に悩まされるリスクがある。DIY好きの引退した人が近所にいれば一生その人の工作音を聞かされ続ける。DIYは、雑誌などでもてはやされているが、隠れた近所迷惑の筆頭。高齢化して暇をもてあます人が増える社会は、今まで問題にならなかったことも、四六時中それをやり続ける人が増えるため、隠れた社会問題化する。DIY雑誌の施工例など見ていても、憧れるどころかゴテゴテと手作りされた外構はゴミ屋敷と紙一重だと思ってしまう。

そうして田舎・郊外市町村の不安要素を並べてゆくと、大都市および周辺都市の駅近の築浅のマンションで暮らすのが一番良いように思えてくる。おそらく、多くの人々がそういう結論に達した結果、私の両親を含めてそのような生活スタイルを選択しているのだろう。

マンションでは、DIY好きな人々を避ける事ができる。とくに駅近の場合、住居を趣味にしていじくりまわして小汚くする人々を避ける事が出来る。読書や映画鑑賞、音楽鑑賞などを趣味にした知的な人々が多い場所に住まなければならない。

都会の良い面は、スタバ・図書館などを自分のリビングのように扱い、自分の所有する住居の利用比率を下げる事が出来る点。一方、マンションで隣にモンスター住民が住めば遮るものは壁一枚で、終の棲家が地獄に変わるという怖さがある。

このように考えると、住を固定して何十年もそこに住むことはリスクが大きい。そうしたリスクをうまく乗り切って暮らしてゆくにはどうすればいいのか?賃貸でリスクを負わないのも一手だが・・・賃貸には賃貸の問題もある。何がベストと結論が出せない難しい問題である。

色々と考えると、少なくとも手元にある今の住環境(不安や怒りを感じる事も多いが)を当面はベースにして、それプラス、利便性の良い場所に賃貸を借りて2者で欠点を補いながら暮らしてゆく事が有効なのではないか?

人間は後悔する生き物・・・でも安心して良い・・・


人間は、新しい何かを得た喜びよりも、それにより失ったものに執着して、後悔する生き物だという文章を読んだ。何かを得る喜びよりも、失う事の後悔の感情の方が勝ってしまうのだと言う。この世では、何かを得るためには、何かを失う事が必須なため、どんなに恵まれた環境にいるように見える人でも心の中は後悔でいっぱいという人が少なくないだろう。

その文章のキモは、「だから何かを失ったことに後悔していたとしても安心して良い(=後悔しているからと言って、新しい道に進む判断が誤りだという事にはならない)、それが新しい人生を受け入れる際の正常な反応なのだ。大切なのは、今の状態を最善にするために努力する事だ」というところだ。



話しはまったく変わるが・・・

ひさしぶりに興味惹かれる車、新型シビック タイプR。
本心で言うと、S660でも十分なのだが、軽は妻が嫌がる。少々値ははるが、すぐに買うものでもないので新型シビック タイプRに心惹かれながら日々を過ごしている。

1年~5年ぐらいのスパンをかけて、30代~40代前半にため込んだ色々なものを整理して、生活をリセットしたいと思っている。そして心惹かれるもののみを残す。

車と言うのは、もっともシンプルにストレス解消し気分を高揚させてくれるツールなので、何か一つに絞るなら楽しめ愛せる車を1台持ちたい。だが、昔のように何十年前のヴィンテージカーを修理しながら乗るのは負荷が大きすぎる。新車で購入でき、日本車で、シンプルに維持できる非日常的な車。この要素を満たしてくれる車が今のところ、シビック タイプRだ。

仕事場とガレージが一体になった空間を実現できればなお良いが、そう考えるといろんなものを背負いこむことになるのでシンプルでなくなるだろう。なにかを背負い込めば何かを失う。何かを失えば後悔する。

できるだけ失うものが少なくてシンプルに所有し楽しめる形態を考えよう。田舎なので、置き場所に費用はほとんどかからない。





海外ドラマを見ながら仕事するのが楽しい。今、仕事に順調に集中できているのでこの状態を今後何年間も保っていこう。一度リズムが崩れると立て直すのに何か月もかかる。モノも順調に処分して徐々にではあるが身軽な状態になっている。

最終的に数年後に、この山荘を買った当時のように素の状態に戻せればよい。たとえすぐに他へ移らなくても、定住を続けるにはあまりに気味悪い雰囲気になってきたスラム街化別荘地からいつでも移動できる状態にしておくことが精神を健康な状態に保つことに繋がる。

播磨自然高原

手放さなくても良い山荘

かなり周囲が荒れてみすぼらしい別荘地になってきたが、自分の山荘への愛情は深まるばかりである。いまさら手放してもたいしたプラスにもならないし、手放せばこのような贅沢な山荘を手に入れる事は2度と出来ないのだから、その意味でも手放す必要もない。こう悟れた事はある意味幸せかも。山荘を保ち長持ちさせるために出来る事をコツコツやってゆこう。

50代の生活を見据えれば、高地での定住生活は少々厳しいものになってくることは目に見えている。

今の生活のマイナス面 in 播磨自然高原
・冬場の寒さが半端ない(健康へのマイナス=光熱費も相当かかる)
・気圧の不安定さが耳など身体の繊細な器官に与える悪影響
・どこへ行くにも往復50-100キロの超絶不便な住環境
・文化面での豊かさがゼロなため町から受ける刺激の乏しさ
・自主管理別荘地の雰囲気の悪さ・管理のお粗末さ(人材の乏しさ)
・2キロ先に計画されている産廃処分場。

こうしたものが、居住10年を迎えて、少々耐え難いものになってきたのも事実で、10年弱先に定住地をもっと都会に移す事を考えはじめている。その場合、住居としてではなく、純粋な別荘としてこの山荘を所有し続ける事になる。姉の家族や赤穂の友人たちに使わせることも出来る。将来は人に貸しても良いかも。こうした余裕あるものを一つ持っておくことは、贅沢でワクワクする。田舎物件など2度と買いたくないし、オンボロ別荘地などとても人にも勧められないが、すでにあるのだから手放す必要は無いのだ。

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今後の人生において、守りたい事は以下の事。

1.シンプルライフ:極力モノを少なくして、心躍るもののみを残す。
     → 自由度を最大限に:手間のかかるルーティン削り、生活の自由度増。理想を言えば、冬場は温暖地(沖縄・九州)で暮らせるぐらいの自由度が欲しい。

2.仕事第一の環境:これからの世代は一生働く世代なのだから、何よりも何にも煩わされず楽しく仕事ができる環境を作る事が大事。
  バカな暇人・赤の他人に煩わされない場所を自分の居場所にする。

3.健康へ人一倍気を遣う:老齢化してゆくにつれ健康であることの価値が増す。歯磨きもそういう意識で。
  市立病院の徒歩圏内に住む。毎日数時間は思索と散歩に費やせるぐらいの、刺激と深みのある町に住む。