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創造的な人間は邪悪になる


スタンリーキューブリックの映画「2001年宇宙の旅」の冒頭で、サルがあるとき骨をこん棒として使う事を覚え、それを空に投げると人口衛星に変わるというシーンがある。

本能で生きていた生物が、創造性を得た瞬間を描いた象徴的なシーンである。

一方、古代ギリシャの神話にはプロメテウスという神が登場する。ゼウスは、人間が争い合う事を危惧して、人間に火を与える事を禁じたが、プロメテウスは自然の猛威になすすべもない人類を哀れんで人間に火を与える。そうして人間は戦争に明け暮れるようになる。




リドリースコットは、SF映画の古典である映画「2001年宇宙の旅」をその感性と知性で咀嚼し、映画「プロメテウス」・「エイリアン・コヴェナント」という傑作映画を生み出した。

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死の島 (ベックリン) ※「エイリアン・コヴェナント」に、この絵画にそっくりの霊廟が登場。

この映画は、上質のエンターテイメントであると同時に、哲学的な意味でも「人類の起源/進化」や「ロボットの反乱」に対する整合性のとれた独自の解釈を示す知的にも楽しめる映画なのだ。




この2本の続き物の映画の中で、もっとも印象に残ったのは、「創造的であること」に対してリミッターが無いロボットが、どんどんと創造性を発揮して、人間を裏切り、人間やエイリアンのDNAをいじくってより完璧な生物を生み出し、また時には一個の文明を破壊することに詩人バイロンやワーグナーの芸術が持つロマン主義的な高揚を感じて感動に浸ったりする事だ。

「創造的なロボットは邪悪になる。」・・・・創造的な人間もまた邪悪になる。




世界中に残る神話にはトリックスターという概念がある。トリックスターはいたずら好きで、秩序や道徳など無視して好き放題に生きる。その結果、タブーを侵して歴史を変えるほどの変革を社会にもたすのである。

古代ギリシャ神話のプロメテウスはトリックスターの典型と言われている。

日本社会が他の先進国に比べて恐ろしく自己変革力が無いのは、このトリックスターのような存在がいないからだろう。
トリックスターのいない世界は変化しない。変化の無いかわり平和がある。外から見ればそれは奴隷の平和かもしれないが、それでも平和が良いと日本人は思う。

欧米では、創造的な人間は邪悪をいかんなく発揮し、企業活動などもドラスティックに変わり、負け組は瞬時に大量殺戮され淘汰されてゆく。創造的な人間たちによって火を与えられた人間たちは、火を使って旧世界を破壊することを恐れない。

フォトショップ活用の外構デザイン

PCの画像を整理していると、外構デザインのために作成した画像が大量に見つかった。

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「カメオ風の縁取りで」という嫁のアイデアを取り入れて作ったゲートの装飾。愛犬をモデルにした犬のデザインも作った。
(ちなみにこのデザインは現在海外業者に依頼し犬用首輪のバックルに刻印してもらって、嫁のショップの売れ筋商品になっている。)

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業者さんがデザインしてくれたゲートにそれをはめ込んで最終デザインを決めた。

↓最初に業者さんが出してきたデザインは以下なので、かなりデザイン的に上質なものに向上できたと思っている。

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レンガの色、塀や門柱の配置など、三石のレンガ屋さんで撮影した材料を用いて、ありとあらゆるパターンの画像を作って嫁に見せ何がベストかを探った。

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完成したゲートや外構の姿は、PC上でデザインしたものよりもずっと良かったが・・・

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「スラムのようになってきた別荘地で生き抜く」と言うテーマで作った外構だったが、今も私たちの生活を支えてくれている。
「外構をやらずにあのまま今のメチャクチャな別荘地の状態に直面していたら、精神状態はずっとひどいもになっていただろうね」と妻とよく話している。

落ち葉掃除

梅雨の大雨と猛暑で出来なかった落ち葉掃除をする。

カーポートの掃除などコツコツ手を入れてゆくルーティンを再開しよう。

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適度に仕事をこなして、平凡だが安定した日々が続いている。

日曜日のWOWOWのエイリアンシリーズ一挙放送は最高に良かった。
「プロメテウス」と「エイリアン: コヴェナント」は最上質のエンターテイメント映画。

これからますます悪くなる


母親があいからわず月1回ペースで遊びに来るので、愛犬のバンビを同乗させて、最近は赤穂のミオテンプリーナでランチし、犬の散歩、そして軽くドライブしてカフェしてブラブラしながら母親とあれこれ話している。

この一か月は、母が住む大阪北部で大地震、私が住む中国地方山間部では大水害と天変地異に関西~中国地方が見舞われている。

母の友人などは大阪のマンション住まいの人が多いが、今回の強烈な大阪地震でマンションがヒビだらけになり、家の中もムチャクチャになって、「売る予定だったのに、地震が来る前に売っておけばよかった」と嘆いている人が多いらしい。また四国・中国地方の田舎に立派な家を建てている人々は悲惨な目に合っている人が多い。私の別荘地も近年はゴタゴタ続きで呆れ果てるような状態。

「その点、賃貸はこういう時にリスクが格段に小さいからいいよね」と話している。日本の国土はヨーロッパなどに比べて、天災がすさまじく多い。こんな国の住民が持ち家に拘るから、一寸先は闇である。

私自身も母のように老齢になっていくこれからは住む場所も暮らし方も戦略的に考えないとえらい目にあうと思う。

私も昔は2軒別荘を持っていたが、一つでも手放しておいて本当によかった。毎年何回か遊びに行く牛窓のペンションのドッグランは斜面が崩落して使用できなくなったそうだ。斜面だらけの山の別荘地も、大雨などで基礎周囲の地盤が緩んで今後は別荘そのものが崩落するケースが増えてゆくのではないか?(谷に落ちた別荘を一軒知っているが)




母に「うちの別荘地は、理事(自主管理のため住民の代表)をやりながら自分の別荘を売り出して、別荘が売れてもまだ理事をやっている人がいるそうだよ。その人は、それを指摘されて『利用価値の無い土地』を購入したけど入会金も登記費用も管理事務所持ちだったんだって」と言うと、「それってどういう事?」と目が点になって唖然としていた。衰退した別荘地では驚く事ばかり。(播磨自然高原)

中国地方の天災も、高齢化で山や河、野池の整備がされない → 流木が増える → 橋の欄干に木がはさまって洪水。という高齢化・人口減少の弊害が出ている。高齢者が支えてきた農業ももう先が見えており、これからは野菜や肉も国産品は値上りの一途だろう。これからはますます暮らしにくくなる。

これからますます悪くなる衰退社会において、トラブルに巻き込まれずより良く暮らせるように戦略的に考えて暮らしてゆかなければならない。

映画「ジェシー・ジェームズの暗殺」

ブラッド・ピット主演の映画「ジェシー・ジェームズの暗殺」を観た。意外にも出来の良い映画で驚いた。

アメリカ合衆国の大衆文化史におけるジェシー・ジェームズは、新選組の土方歳三のようなアンチ・ヒーローであり、とても人気がある。そのキャラクターの持つカリスマ性は、西部のガンマンの中でも突出していると言える。

その背景についてちょっとだけ書いてみたい。



ジェシー・ジェームズとその時代

ジェシー・ジェームズと兄のフランク・ジェームズは、南北戦争において、ウィリアム・クァントリル率いるクァントリルズ・ライダーズという南軍のゲリラ部隊に身を投じる。南軍の苦しい戦いと、南部共和国の敗戦を通じて、ジェームズ兄弟はプロの犯罪者として生きる道を選んでゆく。

彼らは、決して同時期の西部のならず者たちのように、自暴自棄で犯罪に走った者たちではない。将軍クラスの軍人を含む元南軍ゲリラのコミュニティの中で生き、家庭人として家族を大切にし、紳士として周囲から尊敬を集めながら、遠出してはヒットアンドアフェー方式で強盗・殺人を行い糧を得ていた。ジェームズ兄弟とヤンガー兄弟の強盗・殺人は、犯罪であると同時に、戦争継続主義者(敗戦を認めない南軍ゲリラ)の抵抗運動や復讐行為の側面もあり、多くの南部の民衆に支持され支援されてもいた。




ジェシー・ジェームズに関しては「ロングライダーズ」という名作映画が過去に作られている。「ロングライダーズ」は、ライ・クーダーの音楽が素晴らしい。ストーリーも単純化されよくまとめられている。

 一方、「ジェシー・ジェームズの暗殺」は、以前作られた「ロングライダーズ」などよりも、より史実に即した形でリアルにジェシー・ジェームズを描いている。他の映画よりも優れていると思える点は、ジェシー・ジェームズが以前の映画が描いたよりも現代に近い時代に生きていたこと、現代の郊外住宅地のような場所で偽名で家庭生活を送っていた事などを描いている点。晩年のジェシー・ジェームズは、西部のガンマンと言うよりは、都会のマフィアやギャングに近い。

実際に、口封じに昔の仲間を殺して行くところなど、マフィアそっくりである。

スコセッシの映画「グッドフェローズ」でデニーロが演じた、実在の空港強盗&殺し屋のジェームズ・"ジミー・ザ・ジェント"・バークは、自分の息子を"ジェシー"と名付けて、ジェシー・ジェームズを尊敬していたそうだ。そして、バークもまた、ジェシー同様に、口封じに昔の仲間を殺しまくる冷酷さを持っていた。

ジェシー・ジェームズの孤独、冷酷、得体の知れなさ。そして、ジェシーが死ぬ瞬間まで発していた、殺気・迫力、カリスマ性、そういったものを、この映画はよく描いている。