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高齢になっても働ける人と働けない人の壮絶な格差

働けない人と働ける人の格差は収入面のみと思いがちだが生きがいの面でも大きな格差になる。

働き口の乏しい場所では、退職で失った生きがいを取り戻そうと、たとえ無給の名誉職でも、高齢者が「肩書=生きがい」を巡って壮絶な争いを繰り広げる。

老後に「生きがい」があるのと無いのと大違いだから双方必死である。ありとあらゆる材料を使って、「肩書=生きがい」を奪取するための権力闘争を繰り広げるのだ。

働かない人(=働けない人)が大半の老後において、「老いてもなお働くことが出来る・老いてもなお時代に適応できている・社会が必要とするものを供給できる」事の価値は、若いころのそれよりも大きく輝きが増す。




それ以外にも他の人間(親など)の幸福感にも影響する。

親に「まわりは金せびってくるグータラ息子の話や離婚して戻ってきた娘の話をしている友人が多い。うちは息子も娘も家を出て自活してくれてお父さんもお母さんも助かってるのよ。」とよく言われる。

わたしが20代のフリーター暮らしの延長で生活していたら、父や母はお金があっても老後の時間やお金を自分たちの愉しみのために使う事ができなかっただろう。

働くということはそれ自体が自分以外の人間の幸福感に影響する。逆に言えば、その人が働かない事は他の人々を不快にさせ不幸にする。

これは社会に対しても同じなのである。

PRESIDENT ONLINE ~  「正論オジサン」とゴミ屋敷住人の酷似点
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190615-00029013-president-soci&p=2




老後2000万円必要とか3000万円必要と言う議論があるが、まずもって人間はおろか全ての動植物は、生きるためにはエネルギー供給をつねに必要とする。

人間も動物も何もしなければ「負債」である。たとえ食料やお金を貯めこんでいても、すごいスピードでそれを食いつぶして行き、かつ同時進行で蓄えた食料やお金は腐ってゆく。

よく節約だけで乗り切ろうとする人がいるが、そんなものは現役時代からやっていて当たり前だし、数万円節約というミクロの世界の闘いである。しかもその数万円のために最低限度の文化的な生活を犠牲にしなければならない。

極度の節約は、金銭を消費しなくても、人間らしい生活を代わりに失い、人生そのものを喪失させてしまいかねないのだ。




このように考えると、老後のために必要なのは単にお金だけではなく、60代70代になってからでも出来る仕事が必要である。そんな仕事を老人になってから考えろと言われても無理なので、もっと若いうちから自分自身を鍛え訓練して、老後も働ける仕組みを自分自身で作っておかなければならない。

幸福な人生を全うするためには、単にお金を貯めたり、節約するだけではなく、老後に出来る仕事自体を自ら育んでおく必要がある。

自分自身が人生で蓄えてきた知恵や知識、自分自身に元から備わっている知性や才能、自分自身の物質的所有物、自分が生活する周囲の環境、刻一刻と変わる世界の変化への認識力・対応力。ありとあらゆるものを総動員して、一生続けられる自分自身のライフワークを育むのだ。

定期的にわざと失敗してみる


古来、諸葛孔明のごとき、もっとも怜悧な支配者は、負ける事まで計算ずくで行う。

たとえば、世界覇権を握っている強国が、植民地における民族自決の機運を読み取り、徐々に世界から撤退を図ってゆく際に、そうした民族主義的なエネルギーの高まりを自ら誘導する。赤狩りで有名なマッカーシーの著作に「共産主義中国はアメリカが作った」という本があるそうだが、なぜ赤い中国をアメリカが作ったのかという理由はそこにある。賢者は、自分の敵ですら自らの手で育てるのである。



賢者は、自分にとってプラスの事ばかりではなくマイナスの事でさえも予期し、育て、それを操る。




こうした原理を個人規模のビジネスに適用する事もまた有効ではないか?大きな失敗を予期し、それに備えるため、自ら小さな失敗を誘発し、それにより現実感覚を取り戻し、より慎重に怜悧に行動することができるかもしれない。

失敗はしないに越したことがないが、失敗しないと学べない事はある。成長するには失敗が必要なのだ。

とりわけ、ビジネスが比較的うまくいっている時、ツいている時に、小さな規模で失敗を誘発してみるのは有効かもしれない。




もう一度書いておこう。

賢者は、自分にとってプラスの事ばかりではなくマイナスの事でさえも予期し、育て、それを操る。

仕事は一生続けるべき 暇は人を蝕む

PRESIDENT ONLINE ~  「正論オジサン」とゴミ屋敷住人の酷似点
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190615-00029013-president-soci&p=2

<<記事の内容まとめ>>

退職後の高齢男性の多くは、「自己承認欲求」というモンスターと格闘して、問題オジサン化。
※彼らのデフォルトとなっているのが、上下関係に基づく「マウンティング」のコミュニケーション

つながり欲求のはけ口を求める不機嫌なオジサンたち
・正論オジサン・・・ミクロレベルのルールマナーの順守に固執する「ポリス化」オジサン
・ゴミ屋敷オジサン・・・人とのつながりが無いのでゴミや屋敷や敷地と繋がりたがるオジサン
・他人の発する音に異様に反応するオジサン

↑個人的な体験としては、「ポリス化」と「マウンティング」と「権力闘争」が一体になった珍例を目にしたこともある。モンスターが集団化し群れ行動をとる例も珍しくない。

今後、ますますこの手の輩が増殖して行くだろう。
不十分な年金制度がモンスターを増殖させるに違いない。




 一方で、私の父などは知的で物静かな人間で、都市生活の中に自分の愉しみと居場所を見つけ、居酒屋で一杯飲んだり、読書をしたり散歩をしたり、良い老後の過ごし方をしていると思う。マウンティングのような事を父が他人にしているのを生まれてこの方、一度も見た事が無い。群れる事も無いが、人との適度な付き合いもある。
 父のような真の意味での教養や知性があればモンスター化は防げるだろう。だが教養や知性が無ければ、暇を有益に過ごすことなどできないので、暇→イライラ→モンスター化(隣近所に迷惑と不快感をまき散らす)というスパイラルに陥ってしまうのだろう。




結論:①仕事は一生続けるべきだし、引退などするものではない。
    ②暇すぎてバカになった人々と一生リアルな世界での関わりを持たない。

 昔バイト先で教えを受け私の人生観に多大な影響を与えた、元不動産会社の社長のバブル紳士は年金世代だが凛としていた。バブル崩壊で妻名義のマンション以外のすべてを失っていたが、私のような青二才と一緒に仕事をしても恥ずかしい素振りを全く見せなかったし、いつもビジネスチャンスを狙ってギラギラした目で世間を見ていた。「お前はダボか?」と神戸弁で威勢よく督促していた姿を今でも時々思い出す。老いたらあんな爽やかな紳士になるのが夢だな。

時代のせいにしない ~ 心の持ち様で世界は変容する

2000年代初頭は、いわば高度成長期の日本の経済敗戦の年(1945年)である。
わたしは当時、督促のバイトをしながら人生を模索していたが、一緒に働いていた人は稼げない営業マンだったり、破産したバブル紳士であったり、仕事がなくなった建築事務所経営者だったり、九州から落ち延びてきた元ヤクザの右翼活動家だったり、なんというか・・・・バブル崩壊の残骸のような場所から世間を眺めていた。今思うと不思議だが、私は督促部隊のチームリーダーとして、バブルが生んだ有象無象の人々に督促の口上を教えていたのだ。

私が当時住んでいた場所も、戦後の焼け跡に出来たバラックの延長上のような線路際の街で・・・よけいに日本経済の没落を感じた。

あの不況の極のような時代にあっても、今から思うと・・・なんと未曾有のチャンスがそこかしこに転がっていた時代だろうと思う。

私の一人暮らしのワンルームマンションの近くにはバイト先で知り合った河原崎君と言う友人がおり、その友人は月2万のアパートに住んでいたが・・・彼が西中島南方の小さな会社に移って、ごく初期のインターネットビジネスに関わっていた事を思い出す。私がインターネットの仕事に関わり始める3、4年前の話だった。

河原崎君は悲観的な青年で、家庭環境が悪かったことなどいつもグジグジと文句ばっかり言っていた。一方で私はというと、根拠はないが・・・自分には成長余地がまだまだあるという確信があった。瞳はいつも明るい未来を見つめていた。私は彼に一緒に何か商売をはじめないかとおもちかけたが、彼はあまり乗り気ではなかった・・・・。




どんな時代においても、衰退の極にある場所と成長の曙光が見え始めた場所がある。つねに光りある場所はどこかを見出す行動を続けてることが重要である。

悪い時代に見えても、すべてが悪いわけではない。つねにチャンスは芽生えているのだ。

悪い時代と思って世間を眺めるのと、未曾有のチャンスが転がっていると思って世間を眺めるのとでは、チャンスを発見する確率が大きく変わる。心の持ち方ひとつで、世界の見え方が大きく変わるのは真実である。




ここ数か月、仕事のスタイルの一部を、『世間から運気を取り込むスタイル』へと変えた。
そのことによって、いくつものニッチを日々発見するに至った。

チャンスを発見するための探索能力も日々向上している。
「推理力」がモノをいう世界である。私は長年犬を飼っているだけあって鼻が効くようだ。

毎日1個見つけられる程度のニッチなチャンスを日々発見する習慣は、精神衛生的にすごくいい。
チャンスで溢れた世界だと思って世界を眺めると、見えている世界の彩度が増す。

令和を区切りにして・・・

令和を区切りにして・・・

これだけは自分に厳命しよう。



「バカと付き合うな」はその通りだけど、バカはチャイムを鳴らしてあっちからやってくるものである。



「頭にきてもアホとは戦わない」 そうしたものに時間を取られずに効率的に仕事と趣味に打ち込もう。




感情エネルギーを愚かしい事柄に向けない習慣ができれば、仕事と趣味の効率が3倍になる!

令和に元号が変わったことは良い区切りになっているので、今のペースで、愚かしいものから精神的に離れて仕事と趣味で実現したいことを実現しよう!

ゴミ別荘地のみならず、これから日本社会はどんどん悪い方向に向かってゆくだろう。外部環境に右往左往する事を繰り返していると人生は徒労に終わる。

 変えられないものを変えようとせず、ビジネスのような自分自身の行動によって自由に変化可能な領域のみで生き、過去に何度の乗ったようなワープの波に再び乗るのだ。目の前の日常の変化を図るのではなく、仕事で人生に変化を及ぼすのだ。

武田邦彦氏の動画などを聞いていて思うが、人間が一段上の次元に上がりたいなら、勇気を持って克服すべきことがある。

・「頭にきてもアホとは戦わない」
・「アホが近づいてきたら全力で距離を置く(とくに精神的な意味で距離を置く訓練をする)」

今がその時だ。この習慣を完璧に身に着ける事ができれば、40代50代60代70代80代を一つ次元が上の領域で生きる事が出来る!

バカと関わって感情エネルギーを吸い取られないように、そのことを自分に厳命するために、少々見苦しいが、記事にこれらの書籍のリンクを貼っておくことにしよう。