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場所から得られる糧が乏しい田舎

いわゆるノマド的生き方(大企業を頂点とする生態系の枠外で生きる)をしようと思うと、まずその場所が何を生み出せるかを考える。

田舎に移ってきた当初、エクセルファイルに何十個と田舎でできる商売をリストアップした。
そうして考え至ったのは、田舎は場所によって得られる糧が極めて乏しいという事。

「場所から得られる糧」とは、その場所が永続的に生み出し続ける付加価値のようなもの。

たとえば明石では、妻の知り合いの淡路島に住む老人は、半分趣味で淡路島の魚市場の魚をフェリーで明石に運んで店舗に売ってその日の飲み代を稼いで、明石の飲み屋で遊んで帰るという生活をしていた。

モノが流れる場所では、そこにニッチな食い扶持が必ずある。
なので、首都圏のような壮大な物流のスペクタクルが展開されている場所では、商売感覚のある人間ならまったく食うに困らないほどのおこぼれがあるのだ。

かつて、ヨーロッパのユダヤ人は「都市の先住民」と呼ばれたが、彼らが都市に住んだのは、都市が生み出し続ける糧を収穫・狩猟するという合理的な行動によってである。大企業の雇用(封建的社会システム)の枠外生きようと思えば、都市に住むのがもっとも合理的な行動だ。

田舎ではモノも人も流れない。
しいて言うなら川や森、海が生み出す何かを活用する事。だが、それらの糧を得るには壮大な労力(多くは移動・運搬費用)と時間とインフラ投資が必要で個人には割に合わない。観光スポットもしょぼいので写真を撮ってみたところで何かに生かせるような求心力も生み出さない。

となると、何かを生み出す源泉は自分の頭脳(才能)とインターネットをリンクさせる事ぐらいしかない。
ただ、問題は、刺激の乏しい田舎という場所がその才能を育むのに極めて不向きという事である。

三枝成彰さんの本を読んでいると、不夜城のような六本木で暮らす事が芸術家にとっていかに創作意欲を掻き立てるかについて書かれている。頭脳作業は壮大な時間を使うが、六本木のように深夜でも人が忙しく働いている場所だと夜仕事していても寂しくないそうである。一方、田舎は夕方5時には真っ暗で町全体が寝る準備に入ってる。



10年、田舎に住んで仕事をしてみて得た結論は、都会の持つバイタリティ・刺激を定期的に心の中に取り入れないと仕事に悪影響を及ぼすという事だ。仕事上、都会に行くことがまったく必要なくても、定期的に都会の空気を吸わないと、仕事をする意欲が衰えてしまう。

都会で3日でたどり着けるような結論でも、田舎では数年かからないと至りつかないかもしれない。物事の進むスピード感もぜんぜん違うのだ。都会では、街並みの変化を見れば時代の移り変わりを物理的に実感できるが、田舎ではいつまでも風景が変わらない。思考もそれだけ鈍化する。

田舎暮らしの本には田舎の良い面ばかり書かれることが多いが、悪い面を認識して暮らさないといけないなと最近思っている。

コメント

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No title

今日お書きになられたこと全てに同感します。
私は40代の半ばで東京から北海道に転居。住むには本当に申し分ないのです。
けれど、こちらで生活の糧を永続的に得るのは至難の業だと思いました。

キチンとした技術を持っていなければ生きて行けないなぁと思ったのでした。



コメントありがとうございます。

mimihaさんは東京から北海道へ移住されたのですね!
大都会からだと良い意味でも悪い意味でもギャップがすごそうですね。

自分は30代前半から移住したのですが、都会にいる時からどこでも出来る仕事をしていてその面では変化は無いのですが、田舎に来て環境面から受ける悪影響はかなりあったと思います。(今後は無いようにしたい)

妻は大企業で忙しく働いていて、仕事を辞め田舎に来たことが骨休めになったかもしれません。今は営業の能力をネットショップで活かしています。

技術もそうですが、自営業の場合、ある種の自信も必要だと妻がネットショップを立ち上げる過程を見て思いました。