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幽霊マンションの話

京都の有名な幽霊マンションの話。

部屋を友人と共同で借りた時代劇の小道具係の男性は、そこに出没する女性の霊に悩まされ続ける。

北野誠や中山一朗がよく話す、実話の怪談である。

この物語には、オチがある。

幽霊マンションから引っ越した男性は、以後、霊体験に悩まされなくなったが、同時に、仕事も人生そのものも不調になってしまった。

その幽霊マンションに住んでいた時の方が、人も集まり、仕事も快調で、生きていて楽しかったそうだ。




この物語は、教訓として深いものがある。

この世の地獄を垣間見るような恐怖や不安の体験に遭遇することは生きている限り避けがたいが、それは必ずしも人生にとってマイナスではない。

いや、むしろ、それを体験している刹那にこそ、一方で夫婦や家庭の団結があったり、仕事の重要性に気づいたり、人生においての実りがあるのかもしれない。

一方で、降って沸いたような短絡的な勝利に酔いしれる人がいても、それはその人にとって、大きな落とし穴かもしれない。

甘い体験をすると、ついつい誘われて深みにはまる。そして深みの危険性に気付かずに、引き返せないところにまで落ちてしまう。

危機的状況や恐怖・不安といったものは、人間が分別を学ぶための重要な体験である。

映画「レイジングブル」のエンディングに引用された、「私は盲であったが今は見えるということです」という言葉は、示唆に富んでいる。

様々な体験(とくに自分にとってマイナスな体験)をしないと、見えないものもあるということである。いやそればかりではなく、マイナスに見えていても、実はその体験をしている時こそ、後で振り返れば自分の人生の黄金時代であったというオチもありうるのだ。

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