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何の非も因果も無いのに突然巻き込まれるパターン


ゾッとするような事件がまた起こった。京アニ放火事件。

今年の5/28に私は以下のような文章を書いた。

川崎の通り魔事件に思う事 ~ 地雷付き社会の到来
http://bessousaisei.blog.fc2.com/blog-entry-243.html

かつて殺人事件と言うと、親類縁者をたどってゆけば犯人が見つかると言う事も多かった。恋愛感情や近親憎悪といった情が凶行につながる事が多かったのだ。だが、最近の殺人事件は、被害者が突然巻き込まれるケースが増えていると言う。

普通に暮らしている人が何の非も因果も無いのに突然巻き込まれるパターンだ。いわば地雷のようなものが社会の各所に点在しており、ある日、偶然その地雷を踏んでしまうケース。たまたま通りかかった、たまたまそこにいた。たまたま運が悪かったというだけでいきなり平穏な生活が地獄に突き落とされる。




相手の意図がわからない、相手と会話が通じない、会話が通じても相手からは嘘をつかれている・・・。たまたまそこにいただけでこちらは何のアプローチもしていないのに突然巻き込まれる、あるいは分け隔てなく親切に接したのに、度を超した行為を注意すると突然逆上し本性を発揮するケースなどもあるだろう。

幸運な人々は、長らく幸福で安心した日々を送っていると、こうした地雷が社会に存在しないかのように思い込んでしまう。そのような思い込みそのものが地雷を踏んでしまう罠である。地雷が好んで標的にするのは疑う事を知らない無防備な人々なのだから。

性善説で社会と接していると、『地雷』を見た目だけで判断して、普通の人と思い込んでしまう。相手の言う事を言葉通りに信じてしまう。そして『地雷』を自分の領域に招き入れる。気づいた時にはもう遅い。そんな信頼感の低い社会では、すべての他人を『地雷』と考えて、社会との間に高い塀を築いて生活しなければならない。

残念ながら、今の日本はそんな時代に突入したのだ。




これからの社会を安全に生き抜くには、何事も、そこに地雷が存在するという前提で行動するべきである。あらゆる人生計画の枝葉の全てに、『地雷』を避ける警戒心が含まれていなければ不完全なものである。

町で人に注意などをしてはいけない理由もこれで有る。注意したくなるような地雷は、目に見えているのだから静かに距離を取る事だ。

嘘を平気でついたり、自分の利益都合で態度を豹変させる人間、人を見下す事が習慣化しているような人物も気づいた時点で即、自分の領域から排除して関わらない事である。軽々しくそのような人間に話を合わせて会話を続けない事である。初動の時点ですぐに排除するのだ。

不必要に人間関係を広げてもいけないし、不必要に深入りすることも良くない、地雷に遭遇する確率を増やすだけである。リアルに人と接するビジネス(とくにサービス業)に携わる人々は本当にこれからの時代、大変である。

それでも防ぎきれないかもしれないが、少なくとも『地雷』に対して要塞のように鉄壁の防備を固めているという意思表示を見せておくことが何よりも重要である。そのことによって吸着地雷(モンスター)を忌避できるかもしれないし、自分自身も安心できる。

たとえ鉄壁の防備を固めつつも地雷にやられてしまったとしても、それに万全に備えて遭遇してしまったのであれば少なくとも「備えをしておけば良かった」という後悔はしなくて済む。

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