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最後に人が欲しがるものは『幻想』

市川崑版の映画「野火」の中で、ミッキー・カーチス演じる若い兵士を顎でこき使っている古参兵がこんなことを言う・・・

若い兵士「みんなお腹が空いているのにタバコなんか欲しがらねえよ」
古参兵「そんなことはねえ。兵隊はたった1個しか残ったイモが無くてもそれとタバコと交換したがるもんだ。」

日本軍が敗走するジャングルの中ではイモが通貨になっている。




10月には消費税が上がり、近い将来オリンピック景気も終わる。
大阪維新の生みの親でもある故堺屋太一は、オリンピックが終わると日本はすさまじい不況になると言ってる。

五輪後は大不況となり移民受け入れの扉が開く
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171223-00017249-stoyos-bus_all

今度来る不況(世界的な規模で起こる可能性が高い)では、ヘリコプターマネーでもMMTでも何でも使ってさらにすさまじい金融緩和が行われるだろう。通貨の価値などあっと言う間にパーになるので、単純に貯めたお金で乗り越えることが出来ないであろう点が、1990年代から始まったバブル崩壊とは違う点だ。

そうした混乱の中であと10年前後で、今住んでるア〇ばっかりの別荘地も終わる可能性が高い。(仮にそうなっても自分の仕事さえちゃんと出来ていれば何も困らない)

ところで・・・・そうした不況において、どんなに経済が疲弊しても人々が欲しがるものは何か?
それは『幻想』であろう。




イギリスウェールズ出身の幻想小説家アーサーマッケンは、多くの優れた幻想小説を書き今では世界中にファンがいるが生前はほとんど日の目を見る事が無かった。

だが、一度だけマッケンの小説が売れまくった時がある。それはWW2以上の未曾有の惨事となった第一次大戦のさなかに、戦場での怪奇譚を集めて作られたシリーズだった。




大脳支配の動物である人間は、悲惨な時代が訪れたとき、幻想の中に逃げるのである。

なので幻想を紡ぐクリエーター業は、おそらく今後10年~20年間、もっとも有望な仕事であろう。

そろそろ現実世界を離れて、幻想の世界に戻らねばなるまい。

幻想の世界に生きる覚悟を持たなければ物語は紡げない。



仕事はお金のかからない遊び

2008年ごろからずっとウォッチしているブロガーがいる。

当時、その人(仮:Aさん)は超高学歴で私と同じように田舎暮らしをはじめたばかりだった。
年齢は当時28歳ぐらいだったと思う。

インテリのAさんは、極限まで生活費を削って生きれば働かなくてもいいと提唱して、ある種の生活スタイルとして本まで書いてTVや雑誌にも取り上げられた。

月数万円で暮らせると言ってたかな?




が、結局その人は、何か初めては中途半端に終わる事を延々と繰り返し、結局お金を使わない生活は退屈だったのだろう、最後には都会に帰って、今は配達業でバリバリ働いており、仕事の中に心の平安を見出している。

仕事は、お金も愉しみも仲間も家も家族も全てを与えてくれるリーゾナブルな遊びである。
(逆に言えば、仕事が無ければ、お金も愉しみも仲間も家族も家も全てが奪われてゆく。)

この人は28歳からの10年かけて30代後半になってそのことにやっと気づいたのだろう。




言っては何だが・・・わたしは25歳の時にすでにそれに気づいてた。(それでもかなり遅かったが・・・)

それ以前は何をやっていたかと言うと、中之島の公会堂の図書館に籠って文学を読みふけったり、一生分ぐらい釣りしたり、漫画家を目指して2年半もワンルームに籠ったり、まあふんだんにある時間を使って暇をもてあましていた。(それになりに個々の事に一生懸命だったのでこの時の経験が今はメチャクチャ役に立っている。あの時漫画修行をしていなければ、今著作権で食えていないだろう。)

当時は自分の能力と社会がうまくマッチングせず、何をしてもうまく行かず物足りなかった。

25歳で西中島南方の歓楽街にある怪しげなビルにフラっと入り込んだ。そこではバブル紳士たちや元ヤクザの右翼活動家(兼 選挙活動員)、その他素性の知れない流れ者たちが怒号を張り上げながら督促していた。自分もバイトとしてそれに加わった。その会社はバブル期のディスコブームで財を成した外国人が愛人にやらせていた会社だった。平凡な日常から突如、映画小説漫画の世界から抜け出したような闇の世界に生きる魅力的な面々が登場する人生が幕を開けた。あの場所は自分にとって宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の湯屋(神様、妖怪、魑魅魍魎たちが集まるお風呂屋)のようなものだった。あのときに、マーティン・スコセッシの映画「グッドフェローズ」の主人公のように、働くことはなんて楽しいのだろう、この世界はなんと魅惑に満ちている事だろうと確信して、一生働き続けようと思った。

その後、人生に一度はスーツを来て会社に行こうと思い働き始めた派遣会社で野心的な華僑の2歳年上の仲間と出会いビジネスをはじめた。その副業が、インターネットの広まりと共に凄まじいパワーで人生を上昇気流に乗せてくれた。だが、それは25歳の時に「絶対にそのような経験をしてやる」と誓っていた事だった。




以下のように、アドレスホッパーとして働かずに生きる事を希求した若者も、生活コスト削減求め移住先探しをした末に・・・

「極力働きたくない」渋谷系“漂流男子”夢は仮想通貨リタイア
https://www.businessinsider.jp/post-161544

「お金がかからないコミュニティーって結局仕事なんですよね」

と気づいた。




こうした事に早期に気づけるかどうかで人生は大きく変わってくる。

何も会社に入って誰かに雇われて奴隷のように働くばかりが仕事ではない。

どんな形であれお金になる仕事はあるし、作れる。

仕事を超える愉しみなど世の中にはないのだ。

人間に「バカの壁」があるとしたら、そこに壁がある。

だが、あまりに長期間、会社や職場に飼いならされる事に慣れた人は、意外とこの「仕事こそが遊び」という事実に気づかない。

同業者と情報交換する

5年ぐらい前まで大阪にいる華僑の友人と頻繁にスカイプで連絡を取り合っていたが、それ以降、私が他分野で仕事するようになったため、同業者との情報交換は今は皆無である。

ふと思ったが、それで普通に仕事で来ているのもよく考えればすごい。

たぶん、自分は、感受性が強いので、PC画面からの情報だけで奥の奥の事まで推理し読み取っているのだろう。




だけど、SNS等でもっと同業者と情報交換すれば、もっともっと伸びしろがあるのではないか?

とふと思った。




たとえば、私も嫁も、東京の中心部に住んでいれば、もっともっとビジネスの世界で羽を羽ばたかせているだろう。

今は山奥の山荘のPC画面の中に開いた小さな小窓から、市場にアクセスしているに過ぎない。

PCの小窓からしか世界を見ていないと言う事を時々は認識すべきである。

貞子を怖がらない方法 ~ 貞子の登場を期待する

実話怪談においてよく語られる事だが、悪霊はいかに体験者に恐怖を与えるか趣向を凝らすと言う。
体験者が恐怖を味わえば味わうほど、『悪霊=陰湿な悪意』はそれを喜ぶのである。




北野誠のサイキック青年団の過去放送を聞いてると竹内義和氏が面白いことを言っていた。

竹内義和氏は映画「リング」が怖くて怖くて見ていられなかったのだと言う。

だが、ある時、この恐怖を克服しようと思い立った。

竹内氏は「貞子が出てくることを期待しよう」と決めて、「貞子出てこい、貞子出てこい」と思って映画を見た。
実際貞子が登場すると「おっしゃ、貞子出てきよった。ガッハッハ」と大笑いして恐怖が吹き飛んだと言う。




人が何か嫌なものに悩まされているとき、「今日はその現象に出会いたくない、出会いたくない」と無意識下で念じている。

↑この感情に捉われたらアホの思う壺なのだ。

だが、逆に「大笑いしてやるから出てこい出てこい」とその登場を意識的に心待ちにすればどうだろう?

実際、その嫌いなものが登場したら「おっしゃアホがまた出てきよった、ガッハッハ」と心の中で笑ってやるのだ。




何らかの『陰湿な悪意』に現実世界で日常的に悩まされているのあれば、そして不幸にもそれを避ける事ができない環境にいるのであれば、その物事を笑いのネタにする習慣を身に着けた方が良いかもしれない。

「今日もまた何かアホがやってくるぞ、アホやってくるぞ、ほらやりよった!ガッハッハ、やっぱりアホや」と

よし、実践してみよう。

アホを活用して成功する

3月から本格的に取り組み始めた・・・
好きな仕事・得意な仕事を楽しんで行い趣味と実益の両面で成功を獲得するためのプロジェクトだが・・・
3、4、5、6、7月と順調に進んでいる。

一方で、ごく最近まで仕事に集中しすぎて気づかなかったが、アホが行動をエスカレートさせていたようだ。
そのことを知って、やや感情が乱された。だがもう大丈夫である。




私は令和に入ってから ①アホに感情的にならない ②アホに感情的になったとしても行動に移さない。 と決めている。
なぜならアホはどうしようもない存在、まったく希望など抱けない存在だから。アホを改善しようと思うことほど人生においてムダな事はない。一分一秒たりともアホに対して時間を使ってはいけない。

また同時に、私は自分に向いた仕事は楽しんでどんどん伸ばせる才能がある。
何もない、誰にも頼らない場所でも簡単にビジネスを立ち上げる事が出来る。
この才能は、人が望んでも得る事ができない能力である。

一方で、アホを相手にするのは無から仕事を生み出すのが得意なのと同じぐらい苦手である。

苦手な事をしてはいけないのだ。




だが、今日、ふと思った。
アホを相手にするのは苦手だが、クリエーターで食っているだけあって、感受性は人の何十倍も持っている。
アホに対する怒りのエネルギーを生み出す事は得意である。

どの道、毎日、アホにはイラつかされるのだから、この怒りのエネルギーをうまく仕事や趣味のエネルギーに転換できれば、仕事と趣味の活動力を1.5倍増しぐらいにできないだろうか?




たとえば、仕事に集中する午前中はほとんどアホにイラつかされることはないが、日常の雑事に取り組む時間帯になると外界と接するのでアホにイラつかされる。

だが同時に、昼下がり以降の時間は、眠くなって活動力が落ちて仕事が停滞する時間である。

午後から夜にかけての時間を、アホに対する怒りエネルギーをうまく転換して仕事へのエネルギーに回す事ができないだろうか?

午後は仕事がひと段落して眠い

アホにいらつく

パブロフの犬のように自分を訓練して、アホに対する怒りを、仕事に集中するためのトリガーにして再度仕事に集中する。





アホのおかげで、もっともっと成功して、人生が安泰になればこれほど愉快な事はない。

愉快さとはこういうシュチュエーションで生じる感情なのだ。

愉快になろうではないか?

アホにイラついた時の対処法

アホにイラつかないための対処法

つねに同時に2つの事を行う。




外に出たとたんに不快な気分になる事が多い。

その感情を引きずらないように心理学者が提唱する方法を行ってみる。

同時に2つの事をこなす。

同時に2つの事をこなしている間は怒りの感情が消えるのだと言う。

ここで暮らし続ける限り、何時も同時に2つの事を行うように心がけよう。
とくに外に出たときはそうだ。

この環境を活用すれば、今後の人生を生き抜くうえで精神鍛錬を行えるかもしれない。
今後、日本全体は、おそらく同じような殺伐とした場所になってゆくのだろうから。

同時に私自身も老いてますます偏屈になり怒りっぽくなる。
老いた時に若い人に不快感を抱かれないような爽やかな老人になるための度量を今から育てておかなければならない。

アホにイラつく事はみっともないことである。アホを華麗にスルーできるようになろう。

①耳栓などで常日頃アホの影響力を遮断する
 (アホは無自覚、感受性の高い人間のみが感情エネルギーを吸い取られる。
  ゆえに感受性の高い人間は時には耳栓等で鉄壁の要塞を周囲に築くべき。)

②それでも侵入してくるアホの影響力に対しては、同時に2つの事を行い常に忙しくしている事で対処。
  ↓
  仕事の効率も高まり収入も増えるので、悪環境を好結果に転換できる。
 




同時に2つの事を出来ない時にどうするか?

①1つの事を行う
②1つの事をいつもの2倍の効率とスピードで行う

これを試してみよう。

エセックス・ボーイズ

「キングオブギャングスターズ」「キングオブギャングスターズ2」という2本の英国発のギャング映画を見た。

"エセックス・ボーイズ"と呼ばれ、1980年代~1990年代の英国のドラッグシーン(クラブを中心にした薬物蔓延)の英国地方都市エセックスにおける中心人物たちの物語である。

彼らはいずれもサッカーのサポーター(フーリガン)上がりの暴れ者たちだった。


「キングオブギャングスターズ2」の主人公パット・テイトの在りし日

ヤクザ映画と言えば、日本のヤクザ映画とフランスのフィルムノワールである。

それぞれに民族性を反映している。

日本のヤクザ映画はとにかく陰湿。異様に我慢する。とにかく仲間同士で裏切るし、警察にチクる。

一方、フランスのヤクザ映画は、エゴ(己の意志)が強い。密告しないという事が掟。ヤクザ者であることに誇りを持っている。

一方で英国のヤクザ・ムービーの特徴は、"腕っぷしが強い奴が偉い"というおバカなほどの単純さがある。
そして、悪名高いと呼ばれるギャングなのに「ピストル持ってたら警察につかまるぞ」みたいな妙にお上の言う事をよく聞くところがある。
随所に子供っぽさ滑稽さがあるのだ。

英国は階級差がはっきりしているので、労働者階級という枠において"頭カラッポだけど腕っぷしで生きる"という昔ながらの乱暴者の生き方が許されている部分がある。ギャング自身もその枠を出ないのである。

たとえば有名なクレイ兄弟なども、公営住宅に住んでいた。高級車を乗り回せるほどの勢力を持った後も、日本でいう団地から暗黒街に出勤するのだから面白い。




悪癖を絶つ ~ 時間と質を大切にする


あまりにも殺風景な場所で暮らしているとつい賑わいを求めて遠出したくなるが、それ自体は満足度が低いのに、壮大に時間が奪われる行動・・・車で片道1時間以上など遠くの店に外食に行くのはやめよう。また歳も歳なので、キャンペーン目的や優待券などを消費しに安物のチェーンに行くことも行った後の後悔が大きいので止めるようにする。

行くなら、中の上以上の店に行く。大規模経営の安物のチェーンなど、もともと行きたくないので、一生行かなくても何の問題も無い。

年に数回ならいいが、週に1、2回もそういう事をしていると本当に時間が無くなるし、人生がむなしくなる。

45-60歳の15年間はあっと言う間に過ぎる。歳をとればとるほど人間の行動は習慣化する。戦略的に、質の低い行動を習慣の中から排除しておかないと、後で大きく後悔する事になる。




そのかわりに、散歩のついでに近場の海岸などに弁当を持ってピクニックに行ったりする方が満足度が高いだろうし、帰りも30分もあれば帰れるので時間が奪われることも無い。

生活のクウォリティーを下げるような行為を徹底的に排除して、何事も"質"と"時間"を大切にして暮らそう。



また、複数の選択肢があるなかで、もっとも質の高い行動を選ぶ決断を積み重ねる習慣自体が、過去の記事に書いた"アホ"や"地雷"と遭遇する確率を下げてくれるかもしれない。

何の非も因果も無いのに突然巻き込まれるパターン


ゾッとするような事件がまた起こった。京アニ放火事件。

今年の5/28に私は以下のような文章を書いた。

川崎の通り魔事件に思う事 ~ 地雷付き社会の到来
http://bessousaisei.blog.fc2.com/blog-entry-243.html

かつて殺人事件と言うと、親類縁者をたどってゆけば犯人が見つかると言う事も多かった。恋愛感情や近親憎悪といった情が凶行につながる事が多かったのだ。だが、最近の殺人事件は、被害者が突然巻き込まれるケースが増えていると言う。

普通に暮らしている人が何の非も因果も無いのに突然巻き込まれるパターンだ。いわば地雷のようなものが社会の各所に点在しており、ある日、偶然その地雷を踏んでしまうケース。たまたま通りかかった、たまたまそこにいた。たまたま運が悪かったというだけでいきなり平穏な生活が地獄に突き落とされる。




相手の意図がわからない、相手と会話が通じない、会話が通じても相手からは嘘をつかれている・・・。たまたまそこにいただけでこちらは何のアプローチもしていないのに突然巻き込まれる、あるいは分け隔てなく親切に接したのに、度を超した行為を注意すると突然逆上し本性を発揮するケースなどもあるだろう。

幸運な人々は、長らく幸福で安心した日々を送っていると、こうした地雷が社会に存在しないかのように思い込んでしまう。そのような思い込みそのものが地雷を踏んでしまう罠である。地雷が好んで標的にするのは疑う事を知らない無防備な人々なのだから。

性善説で社会と接していると、『地雷』を見た目だけで判断して、普通の人と思い込んでしまう。相手の言う事を言葉通りに信じてしまう。そして『地雷』を自分の領域に招き入れる。気づいた時にはもう遅い。そんな信頼感の低い社会では、すべての他人を『地雷』と考えて、社会との間に高い塀を築いて生活しなければならない。

残念ながら、今の日本はそんな時代に突入したのだ。




これからの社会を安全に生き抜くには、何事も、そこに地雷が存在するという前提で行動するべきである。あらゆる人生計画の枝葉の全てに、『地雷』を避ける警戒心が含まれていなければ不完全なものである。

町で人に注意などをしてはいけない理由もこれで有る。注意したくなるような地雷は、目に見えているのだから静かに距離を取る事だ。

嘘を平気でついたり、自分の利益都合で態度を豹変させる人間、人を見下す事が習慣化しているような人物も気づいた時点で即、自分の領域から排除して関わらない事である。軽々しくそのような人間に話を合わせて会話を続けない事である。初動の時点ですぐに排除するのだ。

不必要に人間関係を広げてもいけないし、不必要に深入りすることも良くない、地雷に遭遇する確率を増やすだけである。リアルに人と接するビジネス(とくにサービス業)に携わる人々は本当にこれからの時代、大変である。

それでも防ぎきれないかもしれないが、少なくとも『地雷』に対して要塞のように鉄壁の防備を固めているという意思表示を見せておくことが何よりも重要である。そのことによって吸着地雷(モンスター)を忌避できるかもしれないし、自分自身も安心できる。

たとえ鉄壁の防備を固めつつも地雷にやられてしまったとしても、それに万全に備えて遭遇してしまったのであれば少なくとも「備えをしておけば良かった」という後悔はしなくて済む。

『毎日1個ニッチ的な新分野を発見する』を再開すべし 出発点につねに帰る

なにか一つの事でうまくいくと、それを単純にコピペして拡大するのがビジネスである。

ビジネスの出発点とは小学生が何を閃くのと同じぐらい何気ない事である。

いかに効率的にその単純な仕組みをコピペして拡大できるかで結果が大きく変わる。

ところが、コピペによる拡大がやや満足できる規模になると、そのコピペ作業をやめてしまうことが多々あり、そのままやめたままで現状維持すると、コピペ作業のやり方すら忘れてしまう事が多々ある。




3月から本格的に拡大してきた単純作業的な仕事だが・・・ほぼ自動運転のような状態になっている。
現状維持で十分回る状態になっている。ここ半月ほど『毎日1個ニッチ的な新分野を発見する』を行っていない。




過去の一発屋的ツボにはまった局面では、このままズルズルと初心に帰れず、徐々にパイを減らして最後には、なぜ一発屋的な状況が生まれたのかという出発点も忘れてしまいマンネリの中に埋没することが多かった。

出発点を忘れてしまうのならまだいいが、現状維持すら忘れてしまい、ほぼ不労所得のようになった状況すら平気で捨ててしまったりする。

不思議な事だが、人間は自分が発見したものの有難みを忘れてしまうのである。多くの成功者はこの出発点を忘れなかった人間だとも言える。大会社の社長が、誰よりも早く出社して、玄関先を掃除するなどするのはこの出発点を忘れないための儀式的な行為と言えるだろう。

今回はそうしない。

『毎日1個ニッチ的な新分野を発見する』をそろそろ再開しよう。




思えば『毎日1個ニッチ的な新分野を発見する』は、何らよって立つものが無い状態で自分の才能だけを頼りに15年間生活してきた私にとって、生涯に渡って生きる事を保証してくれる鉄壁の生活保障のようなものである。

毎日1時間程度を使ってこれさえ続けておけば、定期的に大きなチャンスに巡り合うため生活に困る事はほぼないだろう。

ゆえにどんなに忙しい日々になっても必ず継続しなければならない事なのだ。

これに加えて、毎日1枚の絵が描ければなお良いだろう。この2つの作業が継続できれば、自分に与えられた2つの才能をつねに磨き続けることができる。