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川崎の通り魔事件に思う事 ~ 地雷付き社会の到来


15年程前に友人から聞いた話。その友人(若干ヤンキー系)は、梅田の某有名ホテルのロビー入り口で屈強な男性に思いっきり肩をぶつけられた。思わず一言言ってやろうかと思ったが、相手が発する殺気に圧倒されて思いとどまった。

数日後、ニュースで池田事件を見てゾッとしたという。そう、ホテルのロビー入り口で肩をぶつけられた相手がまさに犯人その人だったのだ。もしあの時自分が一言言ってたらどんな目にあわされたかと思うと青くなったそうだ。




実は、昨日、YOUTUBEの某怪談番組を見ているとこんな話が出てきた。

かつて殺人事件と言うと、親類縁者をたどってゆけば犯人が見つかると言う事も多かった。恋愛感情や近親憎悪といった情が凶行につながる事が多かったのだ。だが、最近の殺人事件は、被害者が突然巻き込まれるケースが増えていると言う。

普通に暮らしている人が何の非も因果も無いのに突然巻き込まれるパターンだ。いわば地雷のようなものが社会の各所に点在しており、ある日、偶然その地雷を踏んでしまうケース。たまたま通りかかった、たまたまそこにいた。たまたま運が悪かったというだけでいきなり平穏な生活が地獄に突き落とされる。

これは現代のフォークロア・民間伝承とでもいうべき実話怪談の世界もそうで、怪談も古典の時代から恋愛感情が恨みに変わったり、情が元で執着が生まれそれが悲劇を生んで怪談になるというパターンが多かった。

それがいつの頃からか、ビデオテープを偶然見たことがきっかけで・・・とか、介護ヘルパーとしてぐうぜんその家に行った事がきっかけで、古びた別荘地に偶然別荘を買った事がきっかけでなど、偶然地雷を踏んでしまうパターンの実話怪談ネタが急増しており、それがホラー作品などにも表れていると言う。

実話怪談作家の西浦和也氏いわく「そもそも幽霊自体がおかしくなっており、会話が通じない常識が全く通じないケースも多くなっている」そうだ。

そうした地雷を避けるには、社会への接し方をむかしのような性善説的視点から、性悪説的視点に換えざるを得ず、昨日までは良い人として振る舞っていた人も「怖い人」を演じないと絡まれたくないものから絡まれるようになる。社会との間に要塞のような高い塀を築いて常日頃生活しなければならない。

どこに地雷があるか表面を見ただけではわからない、何かに注意しておけば避けられるものでない以上、家もフィリピンの家のように元からアイアンフェンスで生活圏を要塞化しておかなければならないし、ある種の威圧感を発しながら生活する事も必要となる。

少子高齢化で殺人や強盗の件数自体は減ったとしても、ある種の地雷に偶然巻き込まれる機会は増えるような気がする。これから日本はそういう相互信頼感が低い社会になるのではないか? 

いわゆる地雷付きの社会の到来である。

時間が止まっている人にはならない


 時間はいつ何時も流れている。目の前の河の水の上を落ち葉が流れていても次に瞬間には遠くに流れて行ってる。

 世の中には「①時間を止めて見守るべきモノ」と、「②河を流れる落ち葉のようにやり過ごして良いモノ」と2つがある。




 世の中のほとんどのものは②の「②河を流れる落ち葉のようにやり過ごして良いモノ」である。

 たとえば野生動物は、人間みたいに何度も何度も同じものを見つめ続けたりしない。

 ほとんどの物事を、その場その場でやり過ごしているのだ。彼らにとって世界は刹那刹那で変化している。
 その刹那刹那を生き延びるのに必死なのだ。たとえば昨日出会った芋虫も今日には蛹になり、蝶になっているように、何物も命ある限りその姿で留まってはいない。

 一方、大脳支配の生物である人間はしばしば、ある種の物事に対して時間の経過を無視した認識をする。
 他人や自分が年老いて死に向かっている事すらしばしば忘れる。昨日出会った人も、今日はすでに同じではない。

 世界を眺めるとき、小さな次元でも、大きな次元でも、時間が経過している事を意識しておかなければならない。




それと同時に、過去に対する認識も変えなければならない。

人間はしばしば、現在が過去からの継続のように考える。

だが、スティーブンキングの小説「ランゴリアーズ」のように、過去は怠け者を食う怪物によって常に食われてゆく。
我々はランゴリアーズから逃れて、つねに未来へ未来へと逃避する生物である。

すでにランゴリアーズに食われてしまった過去によって、現在が害されてはならない。




武田教授の「昨日は晴れ、今日は朝」を心がけよう。

憂鬱な事があっても、その体験はランゴリアーズに食われて分解された過去の遺物である。
そんな過去は「晴れた良い日だった」と思う込もう。そして今は清々しい朝なのだ。

2時間に一度は他の事をやる

集中力があるのか無いのか、一度何かに集中すると、延々とそのことに取り組み続ける事がよくある。
気づいたら4時間、5時間経ってる。

でも成果があったのは最初の1時間半ほど。

最低でも2時間に1度は別の事をやった方が良いだろう。

いったん仕事や趣味を離れて掃除や料理で30分ほど時間を使う。
その方が全体的に見ると効率が上がる様な気が。

一日を終えた後も、1~2時間ぐらいは無為な時間、一人で散歩したりして頭を整理する時間を持った方が良い。
一杯いっぱいに課題を抱え込みながら一日を終えるのは良くない。

令和元年は武田教授の観点を取り入れる年に

武田邦彦教授が音声ブログ等で話している事は、平易な言葉で語られながら、実は深い洞察に基づいた考えであるがゆえにハッと気づかされることが多い。

今日聞いていてふと思ったのだが、武田教授のやり方(思考法)を取り入れれば、仕事と遊びで実現したいことの成果が2倍ぐらいにはなりそうな気がしてきたことだ。




何百と公開されている武田教授の人生論のごく一部を聞いただけでも、なるほどと思えることが多い。

いくつか例を挙げてみる。




「昨日は晴れ。今日は朝。」

昨日がたとえ土砂降りでさんざんな目にあった日であっても、昨日はとても晴れて気持ちが良く楽しい日であったと思い込む。
そして今日は、朝が清々しくて気持ちが良いと思う。

・デールカーネギーの本にも似たような章があるが、武田教授の考えのほうがより単純化されており直接的である。




目標はつねに後にある

たとえば大学に入りたいと思っても、東大に入るなどという具体的な目標は持たない。自分がやれるだけ勉強してその時に入れる大学に入ろうと思う。そろそろ家を建てたいと思ってもどんな家を建てたいか考えない。とにかく一生懸命貯金して貯金できた額に応じて建てられる家を建てようと思う。

私が見るところ、このような思考の本質にあるのは以下の2つである。

・自分が今この時にやるべき事だけに集中する。
・だが、その努力の末に得られる結果に期待したり気に病んだりせず、どんな結果であれ自分にふさわしいものとして受け入れるという気構えを持つ。



つまり世間に対して自分が働きかける事(勉強や貯金)には集中するが、世間がその対価として何を差し出すかについては「あーでもない・こーでもない」と妄想して思考エネルギーを無駄に浪費しないということだろうか?




努力家は不幸になる

努力家は真面目ゆえに自分に不向きな事を一生懸命やる。自分が苦手な事を克服することが意味があると思い込んでいる。たとえば苦手な英語の勉強をして努力して資格を取る。資格を取ったので英語の部署にまわされ、苦手な英語の仕事をやらされる。このように、誤った努力は人を不幸にするのである。

一方武田教授は、人間は20歳をすぎれば性質が変わらないものだと達観していたと言う。それは自分についてもそうだし、他人についてもそうなのだ。

 たとえば、タチの悪い同僚や上司がいれば、クズ人間を矯正しようとなどまったく思わず、むしろ彼らを褒めながら全力で距離を取って一切関わらないようにして、自分が居心地が良い部署へ、自分が向いていて楽しいと思う部署へと少しづつ寄って行って、自分の居心地の良い居場所を確保したのだと言う。




とくに最後の「努力家は不幸になる」は、なるほどと思える。

 私自身、努力家では全くなく、仕事自体は武田教授とまったく同じやり方で、やりたくない事から遠ざかり、付き合いたくない人々からも遠ざかり、自分に100%向いている事だけに注力していった。そうすることで本当にうまくゆく。15年ほど前、サラリーマン(SE)をやっていたが、サラリーマンそっちのけで自分に向いた副業に100%集中した結果、サラリーマンの給料の数倍ではきかないほどの成果が上がったのでフリーランスになりそれから一度も人に雇われずに暮らせている。

 一方で、自分には主に遊びや日常生活の面で「苦手な事を克服しよう」という部分が多少なりともあり、そのような努力は往々にして良い結果になっていない。20歳を過ぎれば人は変わらないと達観して苦手な事からは全力で距離を置いていればもっと良い結果になったのにと思えることが多いのだ。

運気を上げるためにやった事 ~ 過去数か月を振り返る。

このブログには、自分が自己啓発的な本や文章、動画などを見て学んだことを記録したり、ビジネスの上でひらめいた思考面のアイデアを書き記したりしている。

記録するのは時間がかかる。「ゲバラ日記」という本があるが、あれはボリビアのジャングルでの劣悪な戦闘の生活のさなかに時間を見つけてチェ・ゲバラがつづった日記である。どんな状況下でも、時間をかけてその時の考えを書き記しておくことは無駄ではない気がする。後で読み返してみたりできるし、記録する事で過ちを繰り返さない効果なども実際に上がっている。

より大きな効果は目に見えて仕事において成果が上がっている事だ。思い通りの成果が上がると次を考える。それがまた楽しい。




過去数か月においては以下の習慣を生活に取り入れた事が結構大きかった。
『単純労働』の部分のみに適用した習慣だったが成果が2倍~3倍に拡大した。

この習慣は誰かに聞いたわけではなく、ブログを書いていてふと思いついた事である。
やはり何か重要だと思ったことを書き記しておくことはアイデアの源泉になるようだ。

毎日何か新しいモノを発見せよ ~ マンネリ化しない

幸福になる世界観を持つ ~ 武田邦彦教授

武田邦彦教授は、実体験を通じて、人間が幸福になるために以下の法則を勇気を持って、自分自身に思い知らせることが必要だと言う。

『テニスの法則』 ・・・ 人はテニスの審判に対して自分に不利な判定が出たときは抗議するが、自分に有利な判定が出たときは気にかけない。得てして人は『人よりも自分は割を食っている、損をしている』と思いがちである。だが、人は自分の事をエコ贔屓して考えるため、『人よりも少し損している』ぐらいの感覚が、人と自分の関係が正常な状態である。

『三角形の法則』 ・・・あらゆる組織、集団は三角形の構造をしており、多くの人々は三角形の頂点に自分がいない事に不満を持つ。自分は不当に評価されていると思いがちである。たとえば平社員は自分が課長でない事を嘆き、課長は自分が部長で無い事を嘆き、部長は自分が社長で無い事を嘆く。だが、組織や集団に属する限り、自分は不当に低く評価されているというのが正常な状態である。なぜなら三角形の構造の集団の中でトップになるのはほんの一握りだからである。




『三角形の法則』に関しては、フリーランスをやっているとほぼ感じる事が無い。顧客がいる限りは不当には評価されていないわけで、そもそもどんな小さくてもビジネスが成り立っている限り「不当に評価されている」という感覚は生じないのである。

ただし、他の場面ではそのような感覚を今後持つことがあるかもしれない。その時には武田教授の法則を思い返そう。




 一方で『テニスの法則』のような、自分は割を食っているという感覚はしばしば持つことがある。

 そんな時に妻に言われるのは「世の中の人はたいへんなのよ。朝早く起きて電車に揺られて会社に行って、上司にこき使われて。ときどきは自分が恵まれている事を思い出したら?」なんて事も言われる。妻は現役営業マン時代は一日に車で三宮と上郡を3往復とか普通にしていたらしいから、ゴロゴロして遊びながら仕事をしている私の生活などリタイヤ生活にしか見えないだろう。

 同じことは姉にも言われる。姉からは仕事がな~んにも出来ないのに、目下だと思って姉にばかり仕事を押し付ける定年延長のオジサン社員(悪臭を放ち、いつもクチャクチャ音を立てて仕事中に雑談ばかりしているクズ職員)の愚痴をよく聞かされる。

 人間は良い判定がいくつ出ても気にかけず忘れてしまう。でも確率的に誰にでも起こり得る悪い判定の時だけ悲嘆にくれるのだ。悪い判定を平然とやり過ごす事が出来れば気分よく一日を過ごせる。

 この法則は勇気を持って受け入れて、自分の心の持ち様を改善せねばなるまい。

沈みゆくタイタニック号の中で・・・

最近、仕事をしながら某不動産コンサルタントの動画を聴いているが・・・

人口動態から言って、人口減少日本の不動産は3極化するそうだ。

①価値を維持する・もしくは上昇する 15%
②徐々に下落する 70%
③廃墟になる無価値化する 15%

この数値じたいに違和感はまったくなく・・・むしろ徐々に下落する不動産が70%もあるのか、廃墟化はたった15%なのかと思ってしまう。




こうした状況は、日本という国の今後の、ほとんどすべての分野についても言えるだろう。
たとえば仕事にしても会社にしても地域社会にしても、85%が多かれ少なかれ沈んでゆき、15%だけが救命ボートに乗れる。

平均的な目線で世間を見ると見誤る  に書いたが、こうした総崩れ状態の社会においては、平均的なものの見方、庶民と言う視点で生きる事は役に立たない。

人よりも目ざとく怜悧に生きないと沈んでしまうのだ。



武田邦彦氏は、こうした社会を生き抜く方法として、老後という概念を捨てるべきだと言う。

昭和の日本人のモデルケース:50歳まで働き、10年遊んで、最後の5年で死ぬ準備をして70歳ぐらいで亡くなる。

こうした昭和の古いモデルケースに対して武田邦彦氏は以下のような生き方を説く。

現代日本人のモデルケース:50歳で子育てやローン等を終え、残り50歳 → 100歳までが老後。
※人生の半分が老後など本来ならありえない。



50歳→60歳:蓄える期間。体力を蓄え、お金を蓄え、恩を蓄える。
60歳→90歳:一日5時間程度は労働にあて経済的に自立した生活をする
90歳→100歳:国の福祉に頼る期間




武田邦彦氏は、このように考えて生きる『べき』と言うが・・・むしろ、このような考えを持っていないと生きてゆけなくなる社会になってくると思った方が良いのではないか。


『住宅コスト』の元を取る方法

「元が取れる暮らし方」に対するニーズのつづき

資産価値に対するリテラシーのあるコミュニティとそうでないコミュニティ

アベノミクス以降、世の中は『住』についても"資産価値"に重点をおく人は増えている。"資産価値"に重点を置くとはすなわち、最初に投下した資金の元を取ると言う事に他ならない。

マトモなマンションなどは住民が相互に資産価値を高める事を共通の価値観にしているし、賢明なオーナーによって再生された別荘地なども「資産価値の向上」を目標に管理運営を行っている。こうした場所は、10年20年暮らしても快適だし、資産価値も落ちないので実質的に家賃ゼロで住める。

一方で、私が住む別荘地のような場所や、自暴自棄的な事がまかりとおる民度の低いコミュニティにおいては『資産価値』などという概念が存在せず、荒らし放題・荒れ放題の資産価値マイナスのハチャメチャな場所になる事が運命づけられている。

大都市近郊の千里ニュータウンにある実家に帰るたびに思うが、ここ10年ほどで急速に格差が開いているなと感じる。千里ニュータウンのような綺麗な場所はますます綺麗になる。



賢明な人はタダで住み、そうでない人はコストを払う

 少子高齢化で、日本全国の不動産価値が平均的に上昇することがほぼ絶望的になった状況下で、20年30年後も不動産価値を保てる物件などごくわずかである。だが、確実にそうした物件は存在する。そうした物件は、資産価値に対するリテラシーの高い人々に探索され購入されるだろう。

 結果的に元が取れて『住』にコストを払わなくても良い人と、様々な形でコストを払わされる人々の差は大きい。

 たとえば、4000万円の価値が落ちない不動産を所有していれば、その不動産に住みながら老後資金として銀行から4000万を借りて死ぬまで返さなくてもいいと言う事が可能(リバースモーゲージ)だが、こうした形の世渡り術は欧米の中流層では一般的だが、日本でも増えてきている。今後、政府の新政策下でさらに盛んになってゆくだろう。

 賢い人々はますます賢く生き、そうでない人々は死ぬまで『住』にコストを払い続け苦労し続ける世の中なのだ。



『住宅コスト』の元を取れない人に出来る事は何か?

 不幸にも別荘地に物件を買った事が資産面では多かれ少なかれ悪影響を及ぼす事が明白になった時、最初はそのことに憤慨したが、「ではどうすれば状況をマシなものにできるのか?」を考えすぐさま実行した。

 そして、治安対策と妻のショップの運営を考えて外構工事をしたし、以前よりも夫婦で協力するようになった。より大きいことは本業以外にミニビジネスを生み出す事を楽しみにし、日課にするようにもなった事だ。これにより収入源が多様化した。

 稼ぐという姿勢を以前よりも明確に持って生活する限り、住宅コストなどさして大きなコストではない。そして、結果的に「この山荘を購入して少しの苦労は経験したけど元を取った」と今は自信を持って言えるようになった。

 以前と変わらず山荘で自由気ままに暮らしているだけだが、頭の片隅に『どんな形であれ元を取ってやろう』と思い続け実行し続ける事が出来れば、結果が大きく異なってくる。



『住宅コスト』の元を取ることが出来ない人の第三の道

結論:不幸にも『住宅コスト』の元を取る事ができなかった人にも第三の道がある。

・自分の状況をより良くするために何ができるか考え実行する
・失敗をその後の人生に教訓として生かして、二度と腐食性の高い『腐れ負動産』に手を出さない事を肝に銘じる

この事が実行出来れば、住宅コストなどさしたるコストではない。
賃貸などでも「稼ぐ」という目線で場所を考えて借りれば、その場所に住むことによる副収入が発生し、家賃は実質タダになる。

元を取るには、「元を取ってやろう」という意識を持つ事が何よりも重要である。

仕事以外に夢中になれるものをリストアップ

仕事以外に夢中になれるものをリストアップしてみた。

仕事とかぶっているものが半分だが、そうでもないものもチラホラ。

10ジャンルをリストアップして10個の媒体(ブログ等)を作って展開して行こう。

そのうちの一つはもう始めているが、開始3日で50ユニーク/日になっている。




今日は妻が「ミオテンであなたの好きな緑のピザ(通称ミドリガメ)がメニューになってるよ」と言うので行ってきた。
13:30に予約して行ったが、店内が空いてていい感じのランチが出来た。

このナポリピザとイタリアンの店 『ミオ・エ・テンプリーナ』 in 赤穂。千里ニュータウンの実家近くにあって母親とよく行った『アローラ』というイタリア料理店と雰囲気が似ている。阪大の千里キャンパスのすぐそばにあって、知的な雰囲気で好きだった。

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アイスコーヒーを飲むと夏だなぁと思う。

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手前の緑のピザが私が大好きなリコッタチーズ入りのピザ。ミドリガメの甲羅に似てるのでミドリガメと密かに呼んでいる。

ミオ・エ・テンプリーナ
https://tabelog.com/hyogo/A2805/A280502/28038109/dtlmenu/lunch/

テンプリーナセット 1,620円
サラダ+Pizza(3種からお好きなのを選んで)+ドリンク

仕事以外に夢中になれるものを常に持っておく

最高のスピード感とゲーム感覚を味合わせてくれるのは日々取り組んでいる仕事だが、一方で「仕事以外に夢中になれるものを持っておくことは重要だ。」と最近思う。

頭の中が楽しさで常に満たされていたら、日常生活で少々不快な事に出くわしても無視することが出来る。精神衛生的にも、そのことを考えただけでワクワクできるようなものをコストを払ってでもいいから10項目程度は確保しておこう。

楽しさというのは待っていてもやってこないからこちから積極的に見出してゆかなければならない。趣味と実益を兼ねた方法の一つは、一つの趣味に対して一つのブログを立ち上げてそれを更新してゆくこと。

楽しいものを積極的に見つける事でそれが仕事にもフィードバックされてくる。その分野に精通すれば最初にコストを払ったとしても元を取るのは容易だ。楽しんで、仕事の幅も広げて一石二鳥だ。

すでにいくつかのプロジェクトに取り組んでいる。最近は、それが楽しくて仕方がない。




ENTER WAKE キッチンが再開されたのでさっそく今日から通い始めている。週2回は行きたい。

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