FC2ブログ


邯鄲の夢

試験にはげみ若くして高級官僚になる

有力者の娘をめとり、若くして出世する

大臣になる

政敵に陥れられて左遷される

数年後にそれが無実とわかり出世街道に復帰するが・・・

年波には勝てずついに死ぬ

こうした人生の栄枯盛衰を語る言葉として中国には『邯鄲の夢』という言葉があるそうな。
最近、久松文雄著の『秦始皇帝』の漫画で読んだ。






44歳も半ばになって最近思う事は、何をするにも今後は心底楽しめる事、自分のやりたい事をやろうと思う。そうしないと人生後悔するだろう。そして、自分のやりたい事をやるのだから、小さな事にクヨクヨせずに、楽しんでそれをやらなければらない。意欲的に日々を生きなければならない。

そんなことを考えながら、毎日、夕暮れに数時間、ワイマラナーのバンビとつっくんの散歩に行っている。
スポンサーサイト



第18章 『どうすれば他人を喜ばせる事が出来るか考える』 D・カーネギー

第18章で語られる人間の陥りやすいパターン(人間の本来の性質)

鬱病の1/3は、患者の『他人や社会への関心の無さ』が原因である。

仲間に関心を持たない人間は、人生において最大の苦難に悩み、社会に対して最大の被害をもたらす。




↓デール・カーネギーは心の持ち方を変える事で、行動を変え、人間本来の性質を出し抜くことが出来ると説く。

鬱病の人の1/3は、他人を喜ばせる行動を取るように心がければ病気が吹き飛ぶ。



どうやれば人を喜ばすことができるか考える習慣を持つ

自分以外の人のために尽くすことで、自己憐憫や自意識過剰から離れ、健康な精神状態を維持できるようになる。単に内面が変わるだけではなく、周囲の人に対する対応が好意的なものに変われば、周囲もあなたに好意的に接してくる。そのことによって気分もよくなる。

これは夫婦関係について一番いえることだろう。

妻に対して機嫌よく接し、何かについて手助けする夫は、妻からもよく扱われるだろう。
一方、逆の場合は、夫婦関係は互いにイライラとしたものになるだろう。

妻やペット、自分の両親など、あるいは日常接しているサービス業の人々に対しては、彼らを喜ばせるような態度で常に接したいし、妻などに対してはどうやれば彼女が喜んでくれるか考えて行動しよう。

そうすることが自分自身の内面の健康のために必要なのである。

なぜなら・・・

仲間に関心を持たない人間は、人生において最大の苦難に悩み、社会に対して最大の被害をもたらすからだ。



親無し子と呼ばれた少年がその後・・・

幼くして親を亡くし、町の人々にゆだねられた少年。
※開拓時代の名残を残すような古き良きアメリカの小さな町は、こうした助け合いの精神が残っていたのだろう。

少年は親を失ったとき「親無し子」と呼ばれていじめられることを何よりも恐れたが、まもなくそれが現実になった。
少年は、いじめっ子を殴り飛ばす勇気の持ち主だったが、ある日、女生徒に大切にしていた帽子(育て親の婦人がくれた大切な帽子)に水を入れられて台無しにされた。その大柄な女生徒は「あなたの石頭を冷やしてあげたんだわ」と言った。
人前ではけして泣かなかった少年だが、家に帰り大声で泣いていた。それを見て、育て親の婦人はいった。
「あなたが何かしら同級生たちが喜ぶような事をしてあげたら、きっとあの子たちもあなたをいじめたりはしないはずだよ」

その言葉で少年は生まれ変わった。同級生の宿題を助け、近隣の農家の未亡人のために朝早くから牛の乳を搾ってやった。
町の人気者になった少年は、青年になり海軍から帰ってきたとき、町中の農夫が何百人も出迎えてくれた。

町で少年を「親無し子」と呼ぶ人はいなくなった。

第17章 『損失から利益を生み出そう』 D・カーネギー

第17章で語られる人間の陥りやすいパターン(人間の本来の性質)


毎日1章を何度も聴き返しているデール・カーネギーの道は開ける(CD版)。



第17章で語られる人間の陥りやすいパターン(人間の本来の性質)は・・・

不運な出来事に出くわす

悲嘆にくれて、運命を呪い、その結果自己を甘やかし放蕩の限りを尽くす


つまり、人間は不運な出来事を自分を甘やかすための口実にすることが多いと言う事。
不運な出来事をきっかけにして、それまでやっていた努力をやめてしまうのである。



賢い人間が不運に出会った時の行動

賢い人は、損失を利益に変えようとする努力をする。

損失を利益に変えようと試みる事は以下の2つの点で良いことである。
1.もしうまくいけば、損失が利益に変わった喜びを得られる。
2.もしうまくいかなくても、過去を振り返ることなく前を見て進むことが出来る。

思い返せば、私は若い頃、自分はぜったいに理想の生活を手に入れるという明確な目標があったため、どんな努力を惜しまなかったし、何かに失敗しても、この失敗を教訓にして、今後は2度と失敗をしないと固く誓って行動していた。目的意識を強く持って生きている人は、損失をプラスに変える行動を無意識的に行っているのかもしれない。今は、昔ほど目的意識がなくなったため、失敗しても「人生とはこんなものか」と少し投げやりになる事が増えたと思う。家族を持ったことでどうにもならないことも増えたのも事実。だからこそ、D・カーネギーの本を読んで、昔の自分を呼び覚まさないといけない。



弱点そのものが私たちを助けてくれる

これもその通りである。自分の弱点や逆境が闘争心を呼び覚ましてくれる。



幸福は平穏な生活の中には無い。幸福は多くの場合、戦いの結果得られるものである。

多くの人は、平穏で快楽的な生活が幸福をもたらすと信じている。
たとえば、賃金労働者がいつの日かリタイア生活をすることを夢見るのも、そうした心理からだろう。
だが、多くの実業家や芸術家が引退することなく一生活動を続けるのはなぜだろう?

エンジンは、一定回転数以上回してはじめて、そのエンジンにとって健康な状態になる。
エンジンを低回転で回しても、エンジンにとって良いどころかスラッジがたまり故障の原因になる。

人間も同様であり、忙しい環境で自己を働かせ続ける事ではじめて肉体的にも精神的にも健康な状態が生まれる。

2017年の記事『名物焼きそば「急行」閉店 88歳店主、厨房で倒れ死去』を読んだとき、こんな人生を送りたいと思った。

第16章 『自分に割り当てられた土地を耕せ』 D・カーネギー

人間が陥りがちな性質

毎日1章を何度も聴き返しているデール・カーネギーの道は開ける(CD版)。



~ 第16章 ~ 

この章で挙げられる人間の陥りやすい精神的習慣は・・・・

人は自分以外の人間になりたがる。自分以外の人間を装いたがる。

※これは、欧米人よりも、日本人の方がそのような教育をされて育っている人が多いかもしない。官僚や企業戦士の規格にあう人間を量産しようとする試験偏重の選抜システムなどについてそれが言える。



どんな時にも自分らしく振る舞いなさい

だが、個々の人間は何かしら新しいもの(その人独自の唯一無二の個性)を持って生まれてきており、それがこの世で価値を生み出す源泉である。

ハリウッドを例にとると、クラーク・ゲーブルの劣化版コピーなど誰も欲しがっていない。人々はつねに、何か新しい別の味付けを欲しているのであり、自分らしく振る舞う事でそうした社会のニーズと自分が合致するのである。

自分の本質を偽っている人間は本来の能力を発揮できないのだ。社会は誰かの二番煎じなど求めてはいない。



人間は自分を割り当てられたものとみなすべき

人は(知性的に)成長する過程で、『嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為に他ならない。』という確信に達する時期がある。 
BY エマーソン

この意味は、人間は自分を割り当てられたものとみなすべきという事に他ならない。

宇宙には素晴らしい場所がたくさんあるが、人は自分に割り当てられた一区切りの土地に労苦をそそいで、自分という種を育てなければならない。



自分の領分の中で、もっとも活きの良い、最上のものになれ。

自分が大魚であろうが、小魚であろうが、かまわない。小魚であるなら、最も活きの良い、最上の小魚になれば良い。

※この章は、自営業で生きる私にとっては、無意識的に実践している事である。ゆえに、新たに学ぶことは少ないのではないかと思ったが、じっくり聞くとなるほどと思えることがいくつかあった。たとえば、この章を自分に関する章ではなく、自分の所有物、たとえば家にあてはめて考える事もできるのだ。家は自分同様に、自分らしい存在であると言える。欠点もあるし、良い点もある。周辺環境もしかりある。周囲には不快な事もあるだろう。それらはその家の個性と捉える事もできるし、その家が「割り当てられた場所」と捉える事もできるだろう。どうにもならない事はどうにもならないが、割り当てられた場所で最上の状態にする努力をして住み続ければ、それで十分、幸福な家と呼べるものとなるのではないか?

第15章 『あらゆる物事の良い面に目を向ける習慣』 D・カーネギー


毎日1章を何度も聴き返しているD・カーネギーの道は開ける(CD版)。




D・カーネギーは、人間の本来の性質はこうだけど、心の持ち方を変える事で、その性質を出し抜くことが出来ると説く。
三国志の時代の説客のように、逆境に陥ったときに外的要因に感情を支配されるのではなく、モノの見方を変えてチャンスと捉えて快活に行動するように説いているのだ。

たとえば、D・カーネギーが良く出す例は、手足を失った傷痍軍人が快活さを失わずに力強く生きている姿。傷痍軍人が苦境にあっても明るく生きているのに、あなたの悩みなど何でもないと諭す。



~ 第15章 ~ 

人間が陥りがちな事(人間の性質)

「人は、自分に備わっているものをほとんど気にかけず、いつも欠けているものについて考える」
 ・・・ ショーペンハウエル




年間数千万円の所得よりも価値がある事

不足しているものを数えるな、恵まれているものを数えてみよう。

あらゆるもの物事の良い面に目を向ける習慣を身に付ける事ができれば、それは年間数千万円の所得よりも価値がある。

自分の身の回りには生きる喜びを与えてくれるものが90%あり、そうではないものが10%ある。
人はその性質上、そうではない10%に集中して不幸に過ごしがちであるが、意識的に、生きる喜びを与えてくれる90%に集中して人生の真価を味わって日々を送るべきである。




欲しいモノを手に入れる事と楽しめるか否かは別

人間が目標とすべきは以下の2つ。
1.欲しいモノを手に入れる事
2.それを楽しむ事

2が出来るのは賢者のみ。

※たとえば、家にはドブレ700SLという薪ストーブがある。こんなものはマニアから言わせればそれだけで1年中楽しめるような代物かもしれない。(一部のマニアの間では薪ストーブ界のメルセデスベンツのようなストーブだそうだ。)私は、それを日常の暖房として実用的に活用しているにすぎないし、楽しいと思う事はごくわずかだ。だが、それを心底、楽しむことだってできる。こうした事に気づくことによって、人生は面白みを増すのだ。

 他方、私は自分の仕事を心底楽しいと思っている。こう思える人は世の中に少ないだろう。世の中では、働くぐらいならホームレスのように見すぼらしく暮らした方がマシだと思っているような人もけして少なくない。わたしが自分の仕事をこのように思える事にもっと幸福感や優越感を抱いて良いかもしれないし、その楽しい仕事にもっともっと打ち込める環境を整えるべきだろう。

第12章 『快活さを失った時に快活さを取り戻す方法』 D・カーネギー


今日は12章を、仕事をしながら何度も聴き返した。
D・カーネギーを聴きながら仕事をすると仕事がはかどる。
あと、田中康夫のyoutubeチャンネルなども最近は仕事に集中したいときによく聞く。
賢い人の言葉を聞くと心がしゃんとなる。



この章は、結構深い。




●苦境でも意志の力で気分を変えられる。

●幸福は、外的要因に左右されるものでは無く、自分の心が生み出すもの。
 (同時に不幸も心が生み出すもの。)
 ↓↓
 モノやお金や地位やビジネスの上での成功などは、一時的に心を高揚させるが、幸福は外的な要因によってもたらされない。
 例:成功や勝利や地位を独占したナポレオンは、エルバ島で「私の人生において幸福だった日々は5日もなかった。」と語った。




行動心理学の権威 ウィリアム・ジェイムズの言葉

●苦境でも意志の力で気分を変えられる その方法
 
 先入観:「行動は感情に従う」
 ↑
 実際は・・・「行動と感情は同時に働く」

 感情は意志によって変える事は難しい。ゆえに大半の人間は感情に振り回される。

 だが、行動は意志の力で変えられる。ゆえに、行動を変えれば 感情も変わる。
 
 賢者はこの原理を理解しており、意志の力で自由自在に自分の感情を支配することができる。

 ↓↓具体的な実践方法
 『快活さを失った時に 快活さを取り戻す方法は、すでに快活さが戻ったかのように演技すること』
  ※幸福感あふれる演技をしながら、同時に悲しみにふける事は肉体的に不可能
  (=行動が感情を支配できる)

●災いを幸せに変換する方法

 災いによって生じる「恐怖心」を「闘志」に変換すればよい。

 私自身の場合:不快な感情が生じれば、その心的ストレスを、ビジネスに取り組む闘志に変換して昇華する。
   =不遇な環境を、経済的富裕の実現と、精神的成長=自己実現へと昇華できる。



心の持ち方を変えて、不幸ではなく幸福を引き付けろ

自分が快活であるかのように振る舞うだけで周囲の人々を幸福に出来るのになぜ不機嫌にふるまっているのですか?
=人間は自分が望むものではなく、自分が現在そうであるものを引き付ける
 (幸福なら幸福を引き付け、不幸にふるまっていれば不幸を引き付ける)

↓↓↓↓

人間は自分の気の持ち様を向上させることによってのみ、自分自身を高める事が出来る。→これが出来なければいつまでもその人は、お金があろうが地位があろうが卑屈で見すぼらしいだけ



(余談) ウィリアムジェイムズの行動心理学で提唱されている事

「精神の修養のために 毎日2つだけ自分がしたくない事をする」

第7章 『忘れても良い小事で心を乱すな』 D・カーネギー

1月に入ってから仕事に集中する日々を送っている。

仕事をしながらデール・カーネギーの『(耳で聞く)道は開ける』を聴いている。



昔から何度となく読み返してきた本だが、毎日1章づつ熟聴して内容を章ごとに記録しておくことにしよう。




第七章の内容を短い言葉で要約してみる。

「忘れても良い小事で心を乱すな。人生は短いので小事にわずらわされている時間は無い。」



<自分の感想>

人間は性質的に、小事にイライラすることで狂気にまで駆り立てられる。
そのことを、何百年も生きた大木が小さなカブトムシの群れにコツコツと食い荒らされることで枯れてしまう例を挙げて説明している。

カーネギーの本の内容全般に言える事だが、人間の性質はそうなのだけど、賢者はこの性質を認識した上で、知恵(心の持ち方)でその性質を出し抜いてしまう事ができると説いている。

物事を小事か、大事か判断するには、それを瞬時に忘れても良いことか否かによって決すればよい。
忘れても良い事は、自分の人生にとって取るに足らない小事である。忘れても良い事は気に病まず、忘れても良い感情を蒸し返したり深入りする必要はない。また忘れても良いようなどうでもいい人に関わるな。そんな人は空気と思って意識の外に締め出せ。

人生にとってもっと有意義な事(家族に愛情を注ぐ事や、仕事、家を大事にする事など)に集中するべし。