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植田統「45歳から5億円を稼ぐ勉強法」

自分にピッタリの本を見つけた植田統「45歳から5億円を稼ぐ勉強法」。
(この5億円という部分は、あくまで本を売るためのセールストークだと思うので無視した方が良い。)



この本の要点は、45歳から男は仕事上でターニングポイントを迎える。ここで仕事人としての立ち位置をリセットして、一から勉強しなおして、45歳~70歳の25年間、現役でバリバリ稼げるような仕事のスタイルを確立せよという内容。

最初、東大法学部の筆者の本なので参考にならないと思った。東大卒という時点である種の天才なので、試験秀才の唱える勉強法など、わたしのように試験大嫌いな人間には普通は参考にならない。でも、この人は大学の教授を兼任しているだけあって、どんな人間にもその力量・度量にあわせて応用可能な形で方法を説いており、この「5億」という部分も自分に見合った金額に置き換えればよいように読むことができる。

自分の場合、どの分野で今後25年間食ってゆくか?という部分はもう決めているので、この本の勉強のノウハウを取り入れて、日々時間を作りその分野により精通し仕事に取り組んでゆこうと思っている。「働きながら学ぶ」という点が重要。

20代前半、大阪の上新庄の家賃2万5000円の安ワンルームに住んで、ある職業を1年半、根をつめて勉強して目指した。バイトをしながら、毎日毎日取り組んで、1年半で収入6万円にしかならずにその職業を諦めた。それが、30代半ばになって再びやってみると、10年のブランクにもかかわらずそれで食えるようになっていた。20代に憧れた職業をやれている、それだけで幸せだ。でもまだ経験は浅いので学ぶことはたくさんある。日々働くことを通じてその分野を深め学ぶのだ。

無駄な趣味をそぎ落とし、仕事を唯一の趣味にして45歳からの第二の人生を生きてゆきたい。




「いまいくら持っているかではなく、なにで稼いで食っていくか」を考えられる人じゃないと、お金(が減ってゆく不安)に取り殺される。人生90年と見るならば、70歳どころか80歳手前までは働けるように今から計画を練っておこうと思っている。

キューブリックの映画「バリーリンドン」

スタンリー・キューブリックの映画「バリーリンドン」を、中学生以来、再度見た。

中学生当時は、黒澤映画やヴィスコンティの映画のような濃厚さの無い、あっさりした歴史ものという印象だったが、今見ると、黒澤やヴィスコンティよりも、一見粗削りに見えて、全体としてみると上質な映画に思えた。

自然光のみを使って撮られたという映像の美しさは際立っており、バロック絵画~クリムトの絵画に至るオーストリア芸術の美の世界を映画において実現している。

時代背景は、ナポレオン戦争よりも1世代~2世代前の時代だが、ヨーロッパを舞台にした七年戦争を背景にしており、当時のイギリス軍人の心意気などはホーンブロワーシリーズに通じるものがあり、とても面白く見ることが出来る。

私がこの映画で一番心惹かれたのは、アイルランド人のヨーロッパにおける立ち位置を体現しているとも言えるバリーリンドンの流浪の人生そのものと、途中に登場する盗賊一味、そして、バリーにこの時代を生きてゆく知恵を授ける、同じくアイルランド出身のシュヴァリエ・ド・バリバリという賭博師(兼 詐欺師)だ。

こうした小国生まれの漂泊民が、大国同士の戦争や貴族のおこぼれにあずかりながらも逞しく生きていた時代。最後にサッカレーが書く、「どんな高貴な人間も身分の低い人間も、今はみんな墓の下だ。」という言葉が良い。

貴族たちを騙して狡猾に生きるバリーであっても、自分の息子にだけは惜しみない愛情を注ぎ、それが行き過ぎた結果息子の命を奪ってしまうエピソードも感慨深い。愛情がある人間は憎めない。



幸せの時間

国友やすゆき「幸せの時間」を全巻読破した。

登場人物のファッションや街の雰囲気がまさにバブルの余韻が漂っていた1990年代の日本の世相を映しており、何とも言えない懐かしさを感じて引き込まれてしまった。ストーリーは、最初は幸せな家庭ドラマを思わせたが、ドロドロの不倫ドラマの末に、最後は、梶原一騎の「人間凶器」のような破滅的な展開になり、最後までストーリーにグイグイ引き込まれた。



ロジェ・バディム(ロジェ・ヴァディム)はサドの小説を映画化するときに、「情動の激しい時代」としてナチス政権下のフランスを物語の舞台に描いたと言うが、今の日本は情動が停滞した時代(コンプライアンス重視の時代)である。バブル~バブル崩壊期は普通のサラリーマンでも出世のためには犯罪に手を染めるような情動の激しかった時代なので、「幸せの時間」のような野心を持った男の破滅・泥沼不倫の末の家族の崩壊劇がリアリティーをもって成立することができたのだ。

また、この物語は一個の新築の家が舞台である。幸せの時間を過ごす場所に見えた家が最後は誰もが逃げ出したくなるような修羅場になる。程度の差はあれ、バブル期に新築の家を建てた家庭の多くが同様のストーリーを辿ったとも言える。

主人公が、7000万で買った家ではなく、不倫用に借りたボロい安アパートに「何だろうこの安らぎは・・・。今の俺の身の丈にあった場所はここなんだ。」とつぶやくシーンが妙に印象に残った。



中古物件の怖い話 ~ 家は「夢の箱」


ある豪邸。敷地に入った瞬間に異様な空気が漂い、室内に入ると男性の怒った顔が宙を漂っている殺気だった雰囲気の売り物件。殺人事件や孤独死が起きたわけでもない、いわくつき物件でもない、なのになぜ?

売主の男性(その豪邸の所有者)は、今は同じ町のアパートに住んでいる。

多くの場合、家は、購入時に壮大な借金を背負い、お金を払い続けて手に入れるもの。持ち主の夢、希望、絶望、など念が詰まった箱のようなモノ。

事件など起こらなくても、破産・離婚などで、「夢の箱」はある日突然、「絶望の箱」になってしまう。

「家っていうのは良くも悪くも誰かの夢の箱だ」
引用元:漫画 ほんとにあった怖い話 読者体験シリーズ 大竹とも 第02巻



夢の箱の中では良い夢を育まなければならない。自分の敷地に一歩入れば楽園と考えて時を過ごそう。

ゴミ屋敷の深層心理


怪談の面白さは、ゴミ屋敷のような現実に起こる異様な物事に、寓話的な解釈を与えているところである。

人間の深層心理は、人間が眠るときの夢を見てもわかるとおり寓話的な世界である。なので、異様な物事も、寓話的な解釈を与えられると妙に納得できたりする。

たとえば、ゴミ屋敷を作る人についての解釈の一つが以下である。

ゴミを溜めている方も供物を欲しがる悪鬼に取り憑かれているのです
引用元:ほんとにあった怖い話 読者体験シリーズ 大竹とも編③



この解釈を突き詰めてゆくと、モノを溜め込んでいると悪鬼が集まってくる、という考えに発展する。

悪鬼とは、自分の人生の本質とは関わりのない邪念であり、邪念に憑りつかれると、その分時間を浪費し人生を無駄にする。酷い場合は、そうした邪念に憑りつかれることで自分の身体・人生そのものが滅ぼされてしまう。

邪念はモノを欲しがる。そして一度モノを欲しがると、次から次へと際限のない欲望が湧いてくる。




私は最近、「モノを増やす事は、自分の弱点を増やす事」なのではないか?と思うようになった。

人生の中で本質的な部分を研ぎ澄ましたいと思ったら、モノは少なくし、モノにまつわる習慣を減らし、世界をシンプルにしなければならない。

最近は、庭にゴテゴテと植物を生やす事を良い事と思わなくなった。習慣が増えれば増えるほど、人間は弱くなる。もっとやる事を減らして、人生をシンプルにした方が良い。田舎の土地や物件もタダ同然で安いからと軽々しく買って増やさない方がいい。(なにか必要があれば賃貸でその都度借りればいい。)

闇金ウシジマ君に出てくるヤクザ滑皮は、この無駄をそぎ落とし、研ぎ澄まされた人間の事を「生き方を決めた人間」と呼んでいる。滑皮にとって、人間の強さの秘訣とは「生き方を決める事」にあるのだ。






40代の残りは、モノを所有する事への追求ではなく、それからの脱却、仕事・本・漫画・映画・旅行など創造・訓練・知識・経験・方面へのシフトを図りたい。

因習の村 因習の別荘地・・・

「惨殺半島赤目村」という漫画を読んだ。



最近はまってるウシジマ君とは別系統だが、これはこれで傑作。

「惨殺半島赤目村」という横溝正史の伝統を引き継いだ因習ワールドもまた、自分は一般読者以上にリアルに感じる事ができる。

なぜなら、「惨殺半島赤目村」で描かれる、バブル期のリゾート開発が頓挫した島というのは、私が田舎物件を探して右往左往したことのある淡路島とよく似ているし、皆が皆の悪口を言ってる閉鎖社会というのは今私が住んでいる別荘地そのものだからだ。播磨自然高原・・・。

「惨殺半島赤目村」の最初の場面で、僻地医療にたずさわるために赴任してきた医師である主人公は、島の社会が、~派、~派の派閥に分かれていがみ合っており、誰もが表裏を使い分け、やがて一人も信用できる人がいない事に気づく。わたしが別荘地引っ越した当初に接した人々も、「あなたは~派か?」と聞かれるほど、定住者が派閥に分かれて悪口を言い合うおぞましい風習の社会だった。今では裁判や批判ビラまきや総会での怒号うずまく罵りあいにまで発展している。別荘地内にカフェ兼ワークショップを作った人は「金儲けしている」という嫉妬を買って陰口を言われまくっていた。閉鎖社会は恐ろしい。

漫画において突拍子もない設定に見えるものでも、現実もそれに負けじと狂ってるのが日本社会である。なまじっかな設定の平凡な小説よりも、何でもありの漫画の世界の方がリアルに感じてしまう。

不動産価格から読みとく社会の変化

最近、よく身近な場所の不動産物件を検索して調べる事を日課にしている。

地元の場合、駅から徒歩数分圏内のスーパーやコンビニに適した商業用の一等地がバンバン更地になって売り出されている。
焼き肉屋、老舗の仕出し屋、旅館のビルなどもバンバン売りに出されており、その価格も商業地としては捨て値に近く、この町の中枢部分が壊れてきているのが明確にわかる。

最近は、神戸市郊外の中古住宅などの相場も随分と下がってしまい、別荘地のビックリ捨て値価格と並べても同じような相場になってきた感がある。しかも不思議な事に、価格が下がれば下がるほど「そんな陳腐化した住宅はタダでもいらない」「高齢化したカビ臭い別荘地・新興住宅地など見るのも嫌」と思えてくる。

私が魅力を感じる歴史ある町も、市内では産廃計画がどんどん持ち上がり、日本最大の産廃銀座の様相。さらには、巨大な太陽光発電所がどんどん里山を崩している。町の一部に魅力を感じて移り住みたいと思っても、正直、こんな産廃や太陽光ばっかりできる市で大丈夫か?と思ってしまう。

新しい土地に家を建てたり、小マシな中古物件を買っても、別荘地でそうだったような隣家の変な人に悩まされるリスクがある。DIY好きの引退した人が近所にいれば一生その人の工作音を聞かされ続ける。DIYは、雑誌などでもてはやされているが、隠れた近所迷惑の筆頭。高齢化して暇をもてあます人が増える社会は、今まで問題にならなかったことも、四六時中それをやり続ける人が増えるため、隠れた社会問題化する。DIY雑誌の施工例など見ていても、憧れるどころかゴテゴテと手作りされた外構はゴミ屋敷と紙一重だと思ってしまう。

そうして田舎・郊外市町村の不安要素を並べてゆくと、大都市および周辺都市の駅近の築浅のマンションで暮らすのが一番良いように思えてくる。おそらく、多くの人々がそういう結論に達した結果、私の両親を含めてそのような生活スタイルを選択しているのだろう。

マンションでは、DIY好きな人々を避ける事ができる。とくに駅近の場合、住居を趣味にしていじくりまわして小汚くする人々を避ける事が出来る。読書や映画鑑賞、音楽鑑賞などを趣味にした知的な人々が多い場所に住まなければならない。

都会の良い面は、スタバ・図書館などを自分のリビングのように扱い、自分の所有する住居の利用比率を下げる事が出来る点。一方、マンションで隣にモンスター住民が住めば遮るものは壁一枚で、終の棲家が地獄に変わるという怖さがある。

このように考えると、住を固定して何十年もそこに住むことはリスクが大きい。そうしたリスクをうまく乗り切って暮らしてゆくにはどうすればいいのか?賃貸でリスクを負わないのも一手だが・・・賃貸には賃貸の問題もある。何がベストと結論が出せない難しい問題である。

色々と考えると、少なくとも手元にある今の住環境(不安や怒りを感じる事も多いが)を当面はベースにして、それプラス、利便性の良い場所に賃貸を借りて2者で欠点を補いながら暮らしてゆく事が有効なのではないか?

人間は後悔する生き物・・・でも安心して良い・・・


人間は、新しい何かを得た喜びよりも、それにより失ったものに執着して、後悔する生き物だという文章を読んだ。何かを得る喜びよりも、失う事の後悔の感情の方が勝ってしまうのだと言う。この世では、何かを得るためには、何かを失う事が必須なため、どんなに恵まれた環境にいるように見える人でも心の中は後悔でいっぱいという人が少なくないだろう。

その文章のキモは、「だから何かを失ったことに後悔していたとしても安心して良い(=後悔しているからと言って、新しい道に進む判断が誤りだという事にはならない)、それが新しい人生を受け入れる際の正常な反応なのだ。大切なのは、今の状態を最善にするために努力する事だ」というところだ。



話しはまったく変わるが・・・

ひさしぶりに興味惹かれる車、新型シビック タイプR。
本心で言うと、S660でも十分なのだが、軽は妻が嫌がる。少々値ははるが、すぐに買うものでもないので新型シビック タイプRに心惹かれながら日々を過ごしている。

1年~5年ぐらいのスパンをかけて、30代~40代前半にため込んだ色々なものを整理して、生活をリセットしたいと思っている。そして心惹かれるもののみを残す。

車と言うのは、もっともシンプルにストレス解消し気分を高揚させてくれるツールなので、何か一つに絞るなら楽しめ愛せる車を1台持ちたい。だが、昔のように何十年前のヴィンテージカーを修理しながら乗るのは負荷が大きすぎる。新車で購入でき、日本車で、シンプルに維持できる非日常的な車。この要素を満たしてくれる車が今のところ、シビック タイプRだ。

仕事場とガレージが一体になった空間を実現できればなお良いが、そう考えるといろんなものを背負いこむことになるのでシンプルでなくなるだろう。なにかを背負い込めば何かを失う。何かを失えば後悔する。

できるだけ失うものが少なくてシンプルに所有し楽しめる形態を考えよう。田舎なので、置き場所に費用はほとんどかからない。





海外ドラマを見ながら仕事するのが楽しい。今、仕事に順調に集中できているのでこの状態を今後何年間も保っていこう。一度リズムが崩れると立て直すのに何か月もかかる。モノも順調に処分して徐々にではあるが身軽な状態になっている。

最終的に数年後に、この山荘を買った当時のように素の状態に戻せればよい。たとえすぐに他へ移らなくても、いつでも移動できる状態にしておくことが精神を健康な状態に保つことに繋がる。

播磨自然高原