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迫りくる大不況に精神面・物理面の両面で備える

田舎に住んでいると、日本全体の変化を実感として感じる事は少ない。
いや、着実に周囲の田舎や別荘地は荒廃していってるが、株価上昇などを見る限り、日本全体はむしろそこそこいい状態にあるのではないかと思ったりもしている。

だが、一方で大不況が迫っているのではないか?という不安もなんとなく持ったりしている。
政治状況の混乱のニュースなどを見ていて、そのような確信を日々深めている。

今、明確に実感することは、田舎の小規模店舗がどんどん閉店していってること、いよいよ別荘地の外の地元の住宅地の住宅が100万円200万円300万円といった尋常でない価格で投げ売られはじめたこと。いままでまともな体裁を繕っていた場所でも価格崩壊が起き始めている。大都市近郊の郊外なども同じ現象が起きているのではないか?

こうした現象の中で、いままで保たれていた社会の基礎的な部分の均衡が徐々に破壊されて、いろんな機能が突然死してゆく現象が起こってゆくだろう。もっとも弱い部分として、民間の小規模店舗の閉店現象が連続して起こっているのだ。

迫りくる大不況に精神面・物理面の両面で備えなければならない。
愛犬に愛情をそそいで後悔のないように最後までしっかり面倒を見る事。一方、物理面では、生活スタイルをミニマム化する事。山荘は保有し続けたとしても、いつまでもココで暮らさなければならない事はあるまい。すくなくとも精神面の自由さを確保するため、いつでも移動できるような自由度を確保できるように準備しておこう。

物理面でモノを減らし、ミニマムにシンプルにしてゆき、いつでも移動可能にしておくことが、精神面での閉塞感を払しょくすることに繋がるだろう。

また諦めるという精神的作業も自由度を確保するために必要な事だ。ユダヤ人はジュビリーという考えを持っている。50年に一度、負債が清算されてチャラになる。私も、心の中に鬱屈して溜まった負債(モノへの執着・不快な記憶・憎悪など)をジュビリーしなければならない。そうすることで、場所やモノから離れて自由になれる。

モノではなく、体験にお金をかけてゆくようにする。たとえばいい車がを買いたいではなく、いい店で食事したいという風に。そして一番重要な事は、肉体・精神、両面の健康さを保つ事。その健康さを保つために、外部環境を自由に変化させることができる自由度を確保しよう。車・家といった大型のものをレンタルで済ませる時代にますますなってゆくだろう。自由な生き方ができる人間が勝ち組で、モノに縛られ場所に縛られる人々はますます負け組になるだろう。

変化の時代にもっとも苦労するのは自由度の無い人である。自由である事、何よりもそれに価値を置くべき時代の到来が真近に迫っている。夫婦や血族で協力し合い努力してそれを乗り切ってゆく事を楽しみにできるようにしよう。

医者が猛烈に余り、移民の扉が開く ・・・ 堺屋太一

実家の母親が月一ペースで来て、あいかわらずドライブと食事とカフェめぐり。いつも会話の中心になるのは、この社会がどうなってゆくか、どう衰退してゆくか。

大阪一の人気地区である実家の周りのニュータウンは、田舎と違い団地がマンションに変わり、戸建ての土地は分割されて、昔に比べて人がひしめき合っている。にもかかわらず、北千里や千里中央の飲食店は寂れいるのだという。なぜだろう?

堺屋太一の本が話題の中心になった。以下の本である。



堺屋太一の記事を読んで意外感があることがある。2020年以降に到来する不況では、医者が猛烈に余る、という指摘。K計学園問題の時に獣医師が今後いかに余ってゆくかのグラフを見て愕然とした経験があるが、人間の医師でも同じことが起きるのだろうか?

実は、私が住んでいる上郡町やその周辺の町でそれを体感している。

個人医院がガラガラで、薬をもらうときに、「ずっと来てくれてないとこの薬は在庫できない。」と言われる。看護婦が営業員になって、一言発するたびに検査をされてぼったくり請求書を渡されるボッタクリ医院に入ってしまったこともある。また、むかし手首にヒビが入ったときは、私が自宅で仕事をしていると知るや、ギブスではなく手術でプレートを入れましょうと入院を勧めてきた。結局ギブスしてもらい、2週間後に自分でハサミで切って外して全快した。一方、流行っている医院は猛烈に流行っている。2極化がすごい。

2020年以降、不動産価格の暴落が起これば、日本人は窒息するような絶望感に陥ると言う。そうすれば、必ず移民を入れようという話になると。

堺屋太一は、戦国時代、江戸時代初期、明治初期には、戦争難民・経済難民・文化難民の中国人が大量流入して日本を活性化したと指摘する。

私は大阪時代は、大戦中に移民した台湾華僑の友人と一緒に仕事をしていたので、彼らがすぐに日本になじんで、時に日本人以上に日本人らしくなることを知っている。なので、移民にはそれほどのアレルギーは無い。だが、今の社会の風潮では、移民受け入れ増加に至るまで、相当の衰退と混乱を経るだろうなと思う。

少子化で相当のダメージを受けない限り、そのような結論に到達できないかもしれない。

一方、ステルス的な移民増加は体感している。仕事の中で、知らず知らずに外国人相手の仕事が10%を超えて行っている。大半は中国人だが、カタカナでどの国の人かよくわからない人もいる。田舎の町でも、辺鄙な工場からは、ネパール人?かベトナム人かわからない礼儀正しい若い人たちが自転車で帰路についている。またイラスト投稿サイトのフォロワーも中国人・韓国人の増加がすごい。

実は、極東はすでに複数民族が価値観を急速に均一化して文化的な統合が自然現象的に水面下で起こっているのかもしれない。衰退現象ばかり目で追っていると時代を取り違えるかも。