寝たきりでも働けるように

10年ほど前は、早期リタイヤ、働かなくてもいいように、なんて呪文のように考えていた時期があった。

今は、将来、寝たきりになっても働いていられるように今からいろんな種を撒いて育てておこうと計画するのが楽しくてたまらない。散歩中、お風呂やサウナの中、夜ベッドのなか。ワクワクしながら構想を練ってる。

そうした計画遊びも完全に無駄ではなく、その中のいくつかは毎月、着実に実現していってる。

自分のビジネスアイデアは、いつも自分が興味があるものから始まっている。
水木しげるが言ってたかな「自分の好きを信じなさい」 自分の好きなものは、多くの人が求めているものと繋がっていると確信している。興味があるものを発掘して、手に入れてみて、その世界にどっぷり入ってみる。そしたら、そこにどういうマーケットがあってどこにニッチがあるか見えてくる。その分野の粋人になれば、人々が欲しいものが手に取るようにわかるのだ。

周囲の人が見たら、たんなる遊び人にしか見えないかもしれない。

昔と違うのは、そうした趣味の世界は海外とも連動している事だ。海外マーケットの方が大きい事もある。今は10%ぐらいだったとしても、ビジネスにおける海外比率は今後、もっと高まってゆくだろう。

モノを右から左に動かすだけではなく、自分でモノを作れるようにもなりたいと思っている。
趣味としてそうしたことを初めて、少しずつスキルを磨いてゆきたいと思っている。

日本が10年後20年後に、世界の中でより小さい存在になったら、かつてのようにモノを日本が自ら生み出して海外に売っていかないといけなくなる。韓国人や中国人はみんなそうやって活路を開いている。将来の姿である。

そのための準備をしておくのだ。

明石の木曽路

毎年、必ず年末に行く木曽路だが、もう少し回数を増やしたいと思い昨日も行ってきた。
片道2時間、こんな時間をかけてしゃぶしゃぶ食べに行くのも家ぐらいだろう。

毎回、行くだけの価値はあったと満足して帰路につく。犬たちも明石大橋の見える綺麗な公園で散歩出来て大満足。

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妻は、木曽路の裏にあるマンションで育っている。
明石の木曽路があった場所は、昔は氷屋さんで、毎日リアカーで大きな氷を無料でもらっていたそうだ。

もうかなり昔から、行くと必ず顔を見かける仲居さん(ウェイトレス)がいる。

その方が担当してくれたので、少し話す機会があった。
やはりかなりの年数、ここで働かれているそうだ。
明石に越してこられた当時の話など、していただいた。
自分も明石が大好きなので、とても楽しかった。
仕事だけではなく、プライベートでもいろいろな場所に食べ歩きをするのが趣味の、人生を楽しんでおられる女性のようだった。

どんな仕事であれ、真摯に仕事に取り組みながら継続している方は尊敬してしまう。
かならず嫌な体験や、浮き沈みなどあったはずである。

そういった経験を乗り越えれば、心底仕事が楽しくてたまらないという境地があるのだろう。
年配の女性にとってけして楽な仕事ではないだろうが、このように仕事に取り組まれている方では無ければ、これほど生き生きと働きプライベートも充実させて人生を楽しんでおられないだろう。

帰りの車の中で、妻と「もしかしてあの女性は、あの店舗のオーナーなのかもしれにないね。」なんて話した。
そういう事もあながち無い話ではないと思う。毎日店舗に立って配膳をするぐらいの気概がないと商売など出来ないからだ。
そのように仕事に誇りを持ちながら継続している人にとってその仕事は苦役ではなく生きがいとなるのだろう。

ロイヤルミルクティー

自宅から車で一時間の犬連れ専用ペンション。

毎年、一番空いてるときに、我が家一組だけの時に泊まる。1月は2回泊まった。
贅沢な貸し切りの時間。部屋での犬たちとのうたた寝が気持ちいい。

いつも朝食時に飲むロイヤルミルクティーが美味しくて・・・。

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最近は、自宅で製法を工夫して、ほぼ同じ味のものを毎日飲んでいる。
妻が「ロイヤルミルクティー飲みたい」と毎日催促するので。

コーヒーカップに紅茶のパックを2つ入れ、2/3弱の沸騰したお湯を注いで2分待つ。
その後に、沖縄県産の黒糖をスプーンに1杯~2杯。
それを混ぜながら牛乳(四つ葉か、蒜山もしくは淡路島産)を温め、カップの残りスペースに注いで混ぜたら出来上がり。

手間はかかるが、これを飲み始めると普通の紅茶が飲めなくなる。

パット・ギャレットとビリー・ザ・キッド


~~~~~~英語版予告編のナレーション~~~~~~

ウィリアム・H・ボニー、彼は21人を殺害した。
そうであっても、彼はただのガキ(キッド)だ。ビリー・ザ・キッド・・・

パトリック・F・ギャレット、かつて準州におけるもっとも凶悪なアウトローだった。
だから、実業家たちはギャレットを保安官にした。

パトリック・F・ギャレットにはただ一人の友人がいた。ビリー・ザ・キッド・・・
そして、ただ一つの仕事があった。彼を殺す事。

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サム・ペキンパーの腕がさえわたった時期の作品群、「ゲッタウェイ」「ビリーザキッド/21歳の生涯」「戦争のはらわた」・・・
その中でも「ビリーザキッド/21歳の生涯」は自分がもっとも好きな作品。久々にWOWOWで見た。

ペキンパーにとっても、ビリーとその時代は、彼の育った場所と繋がりがあるゆえに、特別に思い入れがある。ペキンパーはビリーやギャレットの時代の雰囲気がまだ漂う土地に、開拓者の息子として生を受けている。

かつて見たときは、ボブ・デュランの音楽をBGMにひたすら抒情的なイメージが映し出される美しい映画という印象だった。だが、今、大人になってこの作品を見ると、この映画が描くのはパット・ギャレットという大人の男の生きざまである事がわかる。

キッドもギャレットも同じアウトローとして、犯罪に手を染めた仲間である。
だが、ギャレットは年老いて、家畜を襲う一匹狼として生きるよりも、牧場主の世話になる方を選び、かつての仲間を始末するという汚れ仕事を与えられる。

ギャレットは、もっとも危険な類の男である。だからこそ、チザムら牧場主たちの番犬の役割を果たすのだ。だが、心情的にはビリーやその仲間に同情を感じている。その心の葛藤をかかえながら、しかし一匹狼のアウトローとしての威厳を保ちつつ、ビリーとその仲間を冷酷に追い詰め葬り去ってゆく。

その一挙一動の身のこなし、言動、雰囲気、その全てが、数々の修羅場をくぐり抜けて生きのびてきた男だけが持つオーラを漂わせている。細部に渡り、ギャレットと一体化したジェームズ・コバーンの奇跡的な演技。

プロ中のプロのアウトローとして自らを叩きあげてきたギャレットの本物感と絶妙な対比を見せるのが、素人(歌手であるクリス・クリストファーソン)が演じる青臭いビリーと、さらに素人丸出し感がいい味出してるはにかみ屋の道化師ボブ・ディラン。観客は、ボブ・デュランの目を通して、ギャレットとそれに対峙するビリーの生きざまを見届ける。

そして、ギャレットは、ビリー・ザ・キッドという後に伝説になる人物を殺したという原罪を背負って余生を生き、最後は自らも殺されて準州の土に帰る。




少し暖かい日曜日の昼下がりは犬たちをはべらせ大人のオモチャで遊ぶ。

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サービス業で回られている人々の苦悩

ある場所が荒廃してゆくとき、その荒廃を一番最初に察知し、それからの被害をこうむるのはサービス業で回られている人々であると思う。ここでは、各種の配達や送迎や清掃などの仕事を言う。

こうした人々は、仕事内容ももちろん大変なのだが、同時に人々とコミュニケーションもしなければならない大変な仕事なのだ。同時に、客から「俺は客やぞ」という態度を一番とられやすい仕事でもある。

別荘地などの場合、こうした業種の人々が回ってくれているおげで生活が成り立っているという自覚があるので、なるだけこうした人々が気持ちよく仕事できるように対応するようにしている。それは同時に私にとっても、まともな感覚の人々と日常的にコミュニケーションをとれる有難い機会なのだ。

そうして、「最近どうですか?」という世間話をするのだが・・・温厚な顔をした方からあふれ出る不満の数々たるや。こちらが世間話程度で切り上げようとしても、話が次々に膨らんでなかなか収まらない。よっぽど聞いてくれる相手を求めていたのだろう。

過去10年の価格崩壊と、過去5年ほどのオーナーチェンジの結果、街中・農村ふくめた地元の地域の中で、別荘地だけが突出してガラが悪く、難しい場所に地元の人々から見られているのではないか?火事が頻発し、地元消防団経由でも悪名が広まっているだろう。おまけに不便で、サービス業の人にとっては良いところが何も無い。

そうした人々の話を聞くことで、共感を覚え、この場所の様々な事に不快感を覚えているのは自分だけではない事を認識して癒される効果があるし、またもっともっと深刻な影響を受けている人の存在を知り、自分などまだ軽い方だと思えてきたりもする。

しかし、定住世帯が200人程度なのに、いったいいくつのご近所トラブルや裁判が起こっているのか?もっと大枠では別荘地の運営方針をめぐり、覇権争い・派閥争いが起こっている。だが、住民の高齢化で今後はもっと酷くなるに違いない。

移住してまもない人など、まったく無自覚の人もおり、地元よりも品のいい場所・レベルの高い場所だと思い込んでいる人々も中にはいる。すでに日本一地価が安いのにゲートを作ってしまってるのが滑稽でもある。どうやったら何十倍も地価の高い地元よりも優位に立っていると思えるのか疑問だが、そのような思い込みも地元のサービス業の人々に対して上から目線の態度を取ってしまう一因なのだろう。だが、本当に品のいい人がそう思い込んでいるなら、醜い現実を知る機会がなくてある意味、幸福だろう。

また同時に、数年前から変化に気づいて警戒しながら暮らしている私たちも、その変化に気づいてる点では幸福だろう。幻想をいだいて後で裏切られる事ほど不幸な事はないからだ。

しかし、愚かしいと思うのは、別荘地の運営を考える住民が、毎年収入が減っている現実を前に、こうしたサービス業の人々の食い扶持に手をつっこんで、別荘地職員が代わりにそのサービスをやればいいと言い出している事だ。それに事業予算がついているのだから愚かしい。

どれだけ大変かわかっているのだろうか?また他人の米びつに手をつっこむ行為がどれだけエゲツナイかがわかっているのだろうか?もしそんなことを始められても、プロ意識ゼロ信頼感ゼロの自主管理別荘地に何かのサービスを頼む気などこちらはさらさらないが。




安心を自称する別荘地

本来であれば、別荘の購入希望者に事前に、「この別荘地は、老朽化したインフラを満足に更新できておらず耐用年数をはるかに超えた状態。」「開発主が事業破綻した元別荘地で、一部有志が管理組合的なものを作っているが、破綻のゴタゴタでスッタモンダがあり、全ての土地所有者が会員になっているわけではなく、全ての道路インフラを取得できているわけでもなく、規約・規定も一部の利用者に対しては及ばない場所。だから太陽光なども作られる。」「本来別荘地の格を守るべき職員自身によって一区画10万円前後の安値で空き地が投げ売られている。しかもマトモな別荘建築用途に使われるわけでない事を知りつつそれを行っている。(職員自身がこの別荘地をその程度のレベルの場所と認識、これより下を探す方が難しい最低ランクの不動産)」「運営方針をめぐって内部で揉めまくっており、運営への批判ビラがバラまかれて、総会は怒号の嵐。」「一部重鎮や元職員は太陽光を目の前に作られた別荘オーナーから裁判まで起こされている。」「このような場所なので覚悟して購入してください。」などとハッキリ正直に言うべきなのではないか?自己責任とは言え、何も知らない新規購入希望者に対して、「安心」などと軽々しく書くものではないと思う。

いいかい、泥からお金を作るんだよ。


先日の記事の続きだが、99歳のユダヤ人のスーパー実業家お爺ちゃんの話。

このお爺ちゃんは、比較的裕福な家庭に生まれたが、すぐに父親が死に家族は貧乏のどん底へ。幼いお爺ちゃんは、「かならず自分の黄金時代を取り戻してやる」と決意し身を粉にして働いた。そんな日々、幼いお爺ちゃんが仕事に出かける時に、母親は「いいかい、泥からお金を作るんだよ。」と繰り返し諭した。

「泥からお金を作る。」これは言葉では表しにくいが、どんな小さなビジネスにおいても、本当にその通りなのだと思う。

泥のようにその辺に転がっているものに価値を見出すことが面白いからビジネスは面白いのだ。それには泥から何かを感じ取るデリカシーのある感性や、他の人とは違う角度から泥を観察するオリジナリティーが必要となる。また日々の気持ちの持ちよう・習慣・動作といったものまでが泥であり、やりかたによって自分の価値を高めてゆくものである。泥という意味は、未知のもの・自由度のあるもの・曖昧模糊としたものなどを総称する表現であり、すべては自分の心がけ・生活しだいという意味も含まれていると思う。

林の中で・・・

自分の敷地はあまり急でない斜面(ところどころ平地に近いなだらかな部分もある)を中心に500坪ほどある。今は坪300円ぐらいの価値しか無い辺境の山林だ。

最近はこの別荘地も激安価格なのも手伝って数百坪~1000坪弱もの敷地の木を全部切ってしまうような使われ方が横行している。グーグルアースで見ても禿地がどんどん増えている。

自分は敷地の木を別荘の周りしか切っておらず8割がたの森林は手つかずのまま残っている。

別荘の周囲以外の400坪強は過去10年間、数回しか歩いたこともない。昨日、ふと自分の敷地を見て回ろうと思い、残りの400坪の林を下ってみた。初めて歩く場所だ。歩いてみると、敷地を左右にS字に下ってゆくととても歩きやすくちょっとした道を作ってやれば、下まで往復20分ぐらいのウォーキングはできそうな空間があることが分かった。正直、ウォーキングは大好きだが、別荘地の中(敷地の外)は雰囲気が暗く歩きたくない。自分の敷地にウォーキングロードを作れれば生涯利用出来て健康へのプラス効果は計り知れない。夏場もマムシ対策用に足に防護をしておけば歩ける。

自分の別荘が木々で見えなくなるぐらいの場所に来ると、周りは森林だけでとても清々しい空気が流れていた。そう、良かったころの別荘地はこんな心が落ち着く場所だった。そんな雰囲気の林の中で少しリフレッシュできた。

こんな良い雰囲気の空間が自分の敷地にあったとは驚きだった。地形的にも誰も意識しないで良く、冬の眺望も素晴らしい。ヴィトゲンシュタインの山荘のように、少々斜面を下ったり登ったりする場所に無ければ、俗人の干渉にさらされる。真の別荘たるものは険しい場所になければならないのだ。

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哲学者ヴィトゲンシュタインが生涯利用したノルウェーの山荘

この林の中に単に何度も歩いて足で踏み固めただけの小道を作って、そのところどころの傾斜が平らに近くなっている空間に、ワンダーデコールの小人などを並べて敷石を敷いただけの小さな謎めいた庭園を造ってやれば、とくに冬から春にかけてインスタ映えもする素晴らしい空間になるだろうと思った。またツリーハウスを作れる大きな木もあった。


人生の長期計画は立てるな ~ 明日のランチの心配をしろ

4回ぐらい読み返しているビジネス書がある。

ユダヤ系トルコ人の実業者の99歳のお爺ちゃんが孫に語った、成功する人生の習慣・心がけのようなものが書かれた本。

そこに書かれている事の半分は、嫁が常々私に言って聞かせてきたことでもある。嫁は経営者の家に生まれて、若い頃は自分でも会社を経営したり、結婚直前は某企業で男も含めた全国の営業部隊の中で記録的な好成績を叩き出す営業マンだったりしたので、いわゆる実業家脳が身についている。

嫁は、人生計画は短期思考で、今日楽しい事、明日楽しいことを考えていつも明るく生きている。一方、犬たちはというと、今楽しい事のみを考えて生きている。老化して、足腰が弱ってきても、とにかく散歩の時は無我夢中で楽しむ。

前述のビジネス書でもユダヤ系トルコ人のお爺ちゃんも語っているのが、人生の長期計画は立てるなということ。遠い将来まで考えれば、迷ったり不安になったりするし、何よりも今現在を基準に考えるので創造的ではなくなる。たとえば工場労働者が一生その工場で働くことを考えて生活すれば、そこからの飛躍は無い。またそうした思考で生活していると、ケチ臭くなったり、人間そのものも薄っぺらく貧相になるのではないか?

人生には、良いミラクルがたくさん起こるし、悪い事(授業料を払わされること)もたくさん起きる。将来のイメージを固定化してはいけないのだ。それは人のやる気を失せさせ、人生を悲観的にさせ不幸にもする。

100%仕事に打ち込んでいる前提だが、人生計画はせいぜい1か月ぐらい先までで良いと老人は言う。一方で、ビジネスの計画は長期的に考えても良い、と言う。

この本にはこの他にもためになることが多いので、その思考が身についていくまで読み返そう。



残りの人生をリタイヤ生活と考えてみる

会社勤めしていない自分がピンと来ないのがリタイヤ生活と言う言葉だ。
と言っても、20代~30代の頃に派遣社員や会社勤めしていた頃も会社のために人生をささげるという気は全くなかったので、会社のパソコンでほぼ一日好きな事をやって遊んでいたと言ってもいい。

とくに20代の派遣社員の頃は財閥系の企業に出向しながら数か月間~半年間もPCの前で待つ時間が多かったので、そこで知り合った華僑出身の友人とひたすら自分たちの事業の作業をしていた。そのころからずっと仕事=趣味だから、自分の仕事に対してはワクワク感しかない。

逆に退屈で面白くないのは、結果を伸ばせる仕事に100%集中できずに、ルーチンワーク的な仕事をマンネリ化しながらやっているときだ。

毎日、起きたい時間に起きて寝たい時間に寝る。起きている間は好きな事をやる。最近、自分の生活ってもしかして俗にいうリタイヤ生活なのではないか?と思えてきた。自分を束縛するものは大型犬の世話だけである。それも好きで飼っているのだ。

であるならば、リタイヤ生活という視点で人生を見てみるのも面白いかもしれない。自分が自由であるか否かは、まったく意識の問題なので物理的な問題ではない。心の持ちようなのだ。

リタイヤ生活をしたら何をやりたいだろう?

いろんな面を向上させたいが、今と基本的は同じ生活をしたいと思うだろう。
一番重要なのは、自分はリタイヤしているんだ、自由なんだ、残りの人生好きに使ってもいいのだという意識を持つことだけだ。