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100個以上のイチジク


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自分の尊敬する獣医師の先生に頂いたシマトネリコの苗を植えてちょうど1年が経った。もう2メートルを超えている。

嫁が南側の庭のイチジクの実の個数を数えてみたが、見えてるだけで70個あったそうだ。
ということは、見えていないものも含めると100個近く実が生っている可能性がある。

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ビルベリーは想像よりも小さかった。目にいいらしいが・・・。

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最近は、イチゴの苗をせっせせっせと来年のために増やしている。




品揃えの良い、隣町のコメリに買い物に行った。
不景気?なのか・・・価格崩壊がすごい!

一生懸命集めたオールドテラコッタが全て半額になっているのは驚いた。
半額になると逆に買う気が失せるのだが、デザインはいいので、割れても補修して使えそうなものを買い増した。
もうちょっと買ってもいいかな?

イチジクの苗も全て価格崩壊。(植え付けのシーズンも終わりだから??)
実がいくつも生ってる苗でも500円。

嫁が欲しがっていたブラックベリーも安く売られていたので買う。




最近は、WOWOWのオンデマンドでツインピークスを見ながら仕事するのが至福の時間だ。
読書はクライブ・バーガーの「血の本」シリーズを読み返している。
東西の英雄譚の古典である司馬遷の「史記列伝」と「プルターク英雄伝」を買って読みたいと思いネットで古本を漁ってる。

美味しい食事と、菜園と、読書、仕事中に見れる映画。
これらがあれば他には何もいらないと思う。

今週は犬の手術などもあるが、毎日、楽しい日々で充実している。

幽霊マンションの話

京都の有名な幽霊マンションの話。

部屋を友人と共同で借りた時代劇の小道具係の男性は、そこに出没する女性の霊に悩まされ続ける。

北野誠や中山一朗がよく話す、実話の怪談である。

この物語には、オチがある。

幽霊マンションから引っ越した男性は、以後、霊体験に悩まされなくなったが、同時に、仕事も人生そのものも不調になってしまった。

その幽霊マンションに住んでいた時の方が、人も集まり、仕事も快調で、生きていて楽しかったそうだ。




この物語は、教訓として深いものがある。

この世の地獄を垣間見るような恐怖や不安の体験に遭遇することは生きている限り避けがたいが、それは必ずしも人生にとってマイナスではない。

いや、むしろ、それを体験している刹那にこそ、一方で夫婦や家庭の団結があったり、仕事の重要性に気づいたり、人生においての実りがあるのかもしれない。

一方で、降って沸いたような短絡的な勝利に酔いしれる人がいても、それはその人にとって、大きな落とし穴かもしれない。

甘い体験をすると、ついつい誘われて深みにはまる。そして深みの危険性に気付かずに、引き返せないところにまで落ちてしまう。

危機的状況や恐怖・不安といったものは、人間が分別を学ぶための重要な体験である。

映画「レイジングブル」のエンディングに引用された、「私は盲であったが今は見えるということです」という言葉は、示唆に富んでいる。

様々な体験(とくに自分にとってマイナスな体験)をしないと、見えないものもあるということである。いやそればかりではなく、マイナスに見えていても、実はその体験をしている時こそ、後で振り返れば自分の人生の黄金時代であったというオチもありうるのだ。

ミニトマト 毎日収穫

ミニトマトをここ2週間ほど毎日収穫できている。

すべてプランターで運用しているが、15本は植えているので毎日かなりまとまった量を収穫できる。

量は、スーパーで売ってる一袋よりも少し多いぐらいが一日の収穫分。
それとは別に割れてしまったものは犬たちのおやつにあげる。

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オリーブも実が大きくならずに落ちるかと思ったけど、しっかり大きくなっていて収穫できそうだ。

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南側の庭にはフェンス後、また鹿が侵入したようだが、イチジクの収穫はかつてなかったほどの量になりそうなので、実のひとつひとつにネットをしておこう。

来年は、ミニトマト、イチゴ、ズッキーニを中心に、プランター畑のサイズを2倍にして運用するつもりだ。

毎日実がとれる植物を栽培するのは楽しいし、とても贅沢な気分になる。

「仕事」についてのゲーテの言葉の迫力

自分が過去3年ぐらいでより明確に気づいたことは、何をしている時よりも
仕事をしている時が一番楽しいということである。

小学校を卒業するとき、卒業式で一人一人が将来の夢を発表しなければならなかった。
その時に自分が発した言葉は、「絵を描く仕事をしたい」だった。

それから20年ほど、絵などまったく描かなかった。
親に「あなたは絵を描くのがうまかったから描いてはどうか」
と時々言われた。

そうして、8年ほど前の正月にもう一度描き始めた。
絵に関する特別な教育は、これまでまったく受けていないが、
試しに描いたものが即仕事になり成果になり自分でも驚いた。

ゲーテは、「才能は自ずと歩むべき道を見つけるものだ」という
言葉を残しているが、まったく意識なく、気づいたら小学生の頃の
夢のとおりの道を歩んでいた。

日常生活で様々なトラブルがあっても必ず描くことに帰ってくる。

「仕事は仲間を作る」というが、趣味と実益をかねて投稿しはじめた
某お絵かきサイトで、今日の時点で自分のフォロワーが8000を超えた。
日本人だけではなく、欧米、韓国、中国の人々から絶えず、コメントが入る。
ド田舎に住んでる中年が、10代や20代や30代の男女にフォローされている。

無から生み出したものが、人に評価されるというのは未だ持って不思議な
体験である。

ゲーテは、また仕事の重圧の喜ばしさについて語っている。

「自分に負荷をかけ、そこからしばし解放されると、とても気持ちが良い。
 一方、何もしないで無為に日々を過ごすことはみじめである。」

高校デビューする大人には気を付ける。

私が、「この場所で自分に寄ってきた人物たちに特徴がある。最初は良い人に見えたけど、私たちに利用価値がないと判断したときの豹変ぶりもすごかったね。」と妻にグチると、妻は「あの人たちはみんな高校デビューしたいんだよ。」と語った。

この年になってはじめて知った高校デビューと言う言葉。

中学時代は、いじめられっ子でイケてなかったのに、高校に入ったのをきっかけにキャラ変えを目論むような人を言うのだ。それを大人になってやる人を「高校デビュー」って言うんだって。私が今住む場所では50代の人々で「高校デビュー」を目論んでいる人が幾人か、私たちの前にやってきて去って行った。

・居住歴は長くない。経歴などを自慢して自分を売り込むが、実力が見えない。仕事があるように見えない。時間はありそう。
・やたら自治組織がらみの政治に関わりたがる。「この場所を良くしたい」と言う。その内容はころころ変わる。
・異様なほど"この場所だけ"で活動的・社交的。 空き地を安く買って何かをやりたがっている。
・私たちが人付き合いがなく、数の力が無く、その人を応援する気も無いと知ると、態度を豹変させ履き捨てるように扱って去る。

特徴はこんな感じだ。

この場所には、「この場所は掘り出しものだ。」「この場所では自分はデカくなれる」と思わせる何かがあるらしい。この人たちが、どんな今後、どんな飛躍を見せるのか楽しみではある。気を付けなければならない相手だと思うが、こんな退屈な場所で、少しぐらいは興味をそそる観察対象があっても良い。

極端な行為をしていると人間性が破壊される

最近は政治ニュースが連日新展開があり、ハゲーと叫んだ女性議員の話など面白すぎるので毎日数時間は夫婦でその話題で盛り上がっているが・・・
昨日は、嫁に芸能界でも松居一代がとんでもない事になってきていると教えてもらった。

極端な綺麗好き、極端な前向き、極端な利益追求、極端な出世欲、こういう事を一時の熱狂ではなく習慣にまで高めてしまうと、求道の世界に入るのではないか?宗教で言うと、一種の修行の状態である。

一般的に修行というと、人を高める事と思われがちだが、私が大学時代に読みふけった19世紀イギリス魔術の探究者アリスター・クローリーの「神秘主義」という題名の文章の中で、「悟り」へと至る人間心理の変化の工程が記載されていた。

道を究め無我の境地を追及してゆけば、最終的に制御不可能なほどの我の塊が膨らんで、性格は尊大になり周囲への支配欲は強大になる。献身的に無私に物事を追求すれば、最終的にエゴ(我)がモンスター化してしまうというのは皮肉なパラドックス(逆説)だ。

修行による副産物であるその強大な我を封じ込めるだけの精神の度量や肉体的頑強さ、自分を客観視できる教養や知性がないと、その強大な我は修行者の人格・人間性そのものを破壊してゆくのだ。

自己啓発や宗教的な修行が深入りすると危険だと言われるのはそれがためだ。

最近、梶原一騎原作の漫画がマイブームなのだが、まさに梶原一騎の作品は、この究極的に自己を研ぎ澄まそうと決意した主人公が、道半ばで精神・肉体両面で崩壊してゆく様子を、喜劇・悲劇を交えながら描いている。