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『おこぼれ』がある場所と皆無な場所


森永卓郎が、「引退してお金が無い人は都会田舎・大都市郊外に住みなさい」と言ってる。
こうした暮らしの自称・専門家の言う事はあてにならない。

私個人の意見としては、
①仕事を作り出せる特殊な才能が無い限り、活気が無い場所は収入の道が乏しい
②基礎的な部分で物価が高いのでお金が乏しいと即困窮する
③10年先20年先の自治体・管理組合・スーパー等の町の基礎的インフラの継続性が絶望的

としか思わない。

普通の人が田舎や寂れた郊外で暮らすのは単にリスキーだと思う。

一方で・・・都会で暮らしているというメリットを見出せる頭脳があれば、都会で暮らしているというだけの利点のみで生活して行くことも可能なのだ。

都会には、何百と言うニッチなメリットがあり、それらをうまく活用すれば、それだけで生活して行くことが十分に可能。
そうしたニッチが無数放置されているほど、都会は田舎に比べて豊かなのだ。




現在、大都市中心部ではウーバーイーツというサービスが盛んになりつつある。

登録した個人配達員が、依頼主宅(あるいは会社)までマクドナルドなどを運ぶサービスである。

このようなサービスは、個人の働き方を変えるだけではなく、レストラン業のスタイル自体も変える可能性を秘めている。




配達員の目線に立つと、個人の持つ時間という資産を、ウーバーのシステムで切り売りできるわけである。
客と配達員の中間がウーバーのみのため、配達員の時間給も通常のアルバイトよりも高くなる。

引退者のアルバイトとしても最適であるため、60歳以上でウーバー配達員を始める人も増えている。




これはいわば、時間の切り売りができるというサービスだが、個人の所有物(自動車)などのシェアリングサービスも猛烈な勢いで成長している。

空き部屋を宿泊システムとして貸す、民泊は言うまでもない。




このように、こと都会に限っては、余った時間があればお金に変え、余ったモノがあればシェアリングしてお金を生み出せる。

もちろん、これらは都会で暮らす利点のほんの一例にすぎない。
ウーバーイーツであくせくモノなど運ばなくても、もっと楽な収入手段がいくらでも見つかる。

東京のような大都会で暮らす事には何百と言う『おこぼれ』があるのだ。しかもそれがすごいスピードで日々生み出されている場所が都会なのである。




もっとも、その都会の『おこぼれ』を狡猾に見出せる能力があれば、田舎でも十分暮らして行けるというオチがつくが・・・。

都会でそれが見つけられない人間は、田舎ではさらなる困窮生活が待っている。

狩猟採集民型の人間は、どんな環境でも食い扶持を自分で探し出すが・・・農耕型の人間は、やせた土地で作物を生み出す事は出来ないゆえに、やせた場所に移住すれば単に困窮するしかない・・・・。

高齢になっても働ける人と働けない人の壮絶な格差

働けない人と働ける人の格差は収入面のみと思いがちだが生きがいの面でも大きな格差になる。

働き口の乏しい場所では、退職で失った生きがいを取り戻そうと、たとえ無給の名誉職でも、高齢者が「肩書=生きがい」を巡って壮絶な争いを繰り広げる。

老後に「生きがい」があるのと無いのと大違いだから双方必死である。ありとあらゆる材料を使って、「肩書=生きがい」を奪取するための権力闘争を繰り広げるのだ。

働かない人(=働けない人)が大半の老後において、「老いてもなお働くことが出来る・老いてもなお時代に適応できている・社会が必要とするものを供給できる」事の価値は、若いころのそれよりも大きく輝きが増す。




それ以外にも他の人間(親など)の幸福感にも影響する。

親に「まわりは金せびってくるグータラ息子の話や離婚して戻ってきた娘の話をしている友人が多い。うちは息子も娘も家を出て自活してくれてお父さんもお母さんも助かってるのよ。」とよく言われる。

わたしが20代のフリーター暮らしの延長で生活していたら、父や母はお金があっても老後の時間やお金を自分たちの愉しみのために使う事ができなかっただろう。

働くということはそれ自体が自分以外の人間の幸福感に影響する。逆に言えば、その人が働かない事は他の人々を不快にさせ不幸にする。

これは社会に対しても同じなのである。

PRESIDENT ONLINE ~  「正論オジサン」とゴミ屋敷住人の酷似点
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190615-00029013-president-soci&p=2




老後2000万円必要とか3000万円必要と言う議論があるが、まずもって人間はおろか全ての動植物は、生きるためにはエネルギー供給をつねに必要とする。

人間も動物も何もしなければ「負債」である。たとえ食料やお金を貯めこんでいても、すごいスピードでそれを食いつぶして行き、かつ同時進行で蓄えた食料やお金は腐ってゆく。

よく節約だけで乗り切ろうとする人がいるが、そんなものは現役時代からやっていて当たり前だし、数万円節約というミクロの世界の闘いである。しかもその数万円のために最低限度の文化的な生活を犠牲にしなければならない。

極度の節約は、金銭を消費しなくても、人間らしい生活を代わりに失い、人生そのものを喪失させてしまいかねないのだ。




このように考えると、老後のために必要なのは単にお金だけではなく、60代70代になってからでも出来る仕事が必要である。そんな仕事を老人になってから考えろと言われても無理なので、もっと若いうちから自分自身を鍛え訓練して、老後も働ける仕組みを自分自身で作っておかなければならない。

幸福な人生を全うするためには、単にお金を貯めたり、節約するだけではなく、老後に出来る仕事自体を自ら育んでおく必要がある。

自分自身が人生で蓄えてきた知恵や知識、自分自身に元から備わっている知性や才能、自分自身の物質的所有物、自分が生活する周囲の環境、刻一刻と変わる世界の変化への認識力・対応力。ありとあらゆるものを総動員して、一生続けられる自分自身のライフワークを育むのだ。

仕事は一生続けるべき 暇は人を蝕む

PRESIDENT ONLINE ~  「正論オジサン」とゴミ屋敷住人の酷似点
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190615-00029013-president-soci&p=2

<<記事の内容まとめ>>

退職後の高齢男性の多くは、「自己承認欲求」というモンスターと格闘して、問題オジサン化。
※彼らのデフォルトとなっているのが、上下関係に基づく「マウンティング」のコミュニケーション

つながり欲求のはけ口を求める不機嫌なオジサンたち
・正論オジサン・・・ミクロレベルのルールマナーの順守に固執する「ポリス化」オジサン
・ゴミ屋敷オジサン・・・人とのつながりが無いのでゴミや屋敷や敷地と繋がりたがるオジサン
・他人の発する音に異様に反応するオジサン

↑個人的な体験としては、「ポリス化」と「マウンティング」と「権力闘争」が一体になった珍例を目にしたこともある。モンスターが集団化し群れ行動をとる例も珍しくない。

今後、ますますこの手の輩が増殖して行くだろう。
不十分な年金制度がモンスターを増殖させるに違いない。




 一方で、私の父などは知的で物静かな人間で、都市生活の中に自分の愉しみと居場所を見つけ、居酒屋で一杯飲んだり、読書をしたり散歩をしたり、良い老後の過ごし方をしていると思う。マウンティングのような事を父が他人にしているのを生まれてこの方、一度も見た事が無い。群れる事も無いが、人との適度な付き合いもある。
 父のような真の意味での教養や知性があればモンスター化は防げるだろう。だが教養や知性が無ければ、暇を有益に過ごすことなどできないので、暇→イライラ→モンスター化(隣近所に迷惑と不快感をまき散らす)というスパイラルに陥ってしまうのだろう。




結論:①仕事は一生続けるべきだし、引退などするものではない。
    ②暇すぎてバカになった人々と一生リアルな世界での関わりを持たない。

 昔バイト先で教えを受け私の人生観に多大な影響を与えた、元不動産会社の社長のバブル紳士は年金世代だが凛としていた。バブル崩壊で妻名義のマンション以外のすべてを失っていたが、私のような青二才と一緒に仕事をしても恥ずかしい素振りを全く見せなかったし、いつもビジネスチャンスを狙ってギラギラした目で世間を見ていた。「お前はダボか?」と神戸弁で威勢よく督促していた姿を今でも時々思い出す。老いたらあんな爽やかな紳士になるのが夢だな。