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運気を読む ~ 停滞した後に来るもの・幸運は連続する

物事が停滞した時、人は幸運に見放された感覚になる。

物事が停滞した後に来るのは2パターンある。

①単に運気が滞留してるだけで、その後、せき止められた運気が一気にやってくる。

②さらなる停滞がやってくる。
 初動の停滞がさらなる停滞の序章で有ったとわかる。




もし何か物事がうまく回っていて、3、4日、「少し調子が悪いな」と思った時があったとしよう。
そうした時は多くの場合、①である。その後に大量の幸運がドッと押し寄せる。

だが短気な人は、その小さな停滞を不運のサインとして読み取って運を引き寄せるための努力をやめてしまうかもしれない。
そうすればさらなる停滞の原因になるかもしれない。

このようにマイナス思考は多くの場合、不運を呼び寄せる。




もう一つ、この数か月で学んだこと。

「幸運は連続する」ということ。

一つの幸運が起きると、すぐ後にもまたそれが続く。

釣りでいう「入れ食い」状態だ。

一つの幸運が起こった時、その後、「入れ食い」状態がやってくるかもしれないので、そのための準備を迅速に行う事だ。

「幸運」という魚がかかる網を張る

三国志の諸葛孔明の話などを見ると、孔明がいかに『~が起こる確率』というものに精通していたかわかる。

確立論こそが、神の御業を分析する手段に他ならない。



幸運がかかるように、毎日一つの網を追加する。

「運」にめぐりあう事は、確率論で説明できる事象である。

うまく幸運という魚がかかるようにいろんな網を張っておく、その一つ一つが、1か月に一回とか数日に一回とかそういう確率で魚がかかるものにしておく。そういう網を毎日一つ考えて張っておく、網を数限りなく張る事を日課にする。すれば、おのずとラッキーが舞い込む。毎日いくつも幸運が舞い込む。

たとえば、1か月に一回、「幸運」という魚かかる網を一か月=30回張り続けると、毎日一匹は魚がかかるようになる。1回しか使えない網もいくつも出てくるだろうが、一つの網で何十匹も魚を捕らえる網も出てくる。

自分の内面世界が幸運で満たされれば、高い確率で『不快』という魚が毎日一匹網にかかる場所に住んでいたとしても、不快という魚は、一日獲れた魚のうちの1/10や1/20にすぎない。

幸運という魚がうまくかかる網を、毎日張り続けよう。過去3ヵ月ほど毎日網を張ってきたが、漁果は予想以上である。

住環境の問題を『仕事』で克服する

ご近所問題等の住環境に問題を抱えている人は、家で気分よく楽しく暮らしているだけでも一歩外に出るたびに不快な気分になったりする。とりわけ閉鎖的な日本社会においてはそのような問題を抱えている人は多いだろう。



サラリーマンは、会社に出社すれば良いので、あまりそうした問題からは悪影響は受けないだろうが、自宅で仕事する人や主婦はそうした問題から悪影響を受ける。




私自身は急速にスラム化しつつあるレベルの低い別荘地でここ12年ほど暮らして(スラム化の悪影響を受けだしたのはここ4年ほど)、住環境の問題を自分にとってプラスに変える方法を思いついて実践している。

私が『単純作業』と呼んでいる分野の仕事だが、住環境に満足していた時代にはほとんどやらなかった仕事だが、4年ほど前から本格的に始め、今はほとんどそれだけで生活が成り立つぐらい安定したものになった。そして、その仕事に日々アイデアを注ぎ込む事でもっと大きな夢も見れるようになった。

その仕事自体はゲームのようなもので、ほとんど楽しみだけでやっていると言ってもいい。




毎日の生活で、何か自分にとって(精神的に)マイナスの影響を及ぼすものがあるなら、自分にとって毎日プラスをもたらす何かを始めてみるべきだ。

そしてそれは、自分にとって明確な利益になるものが良い。

「毎日、何かで得をしている」「今日はラッキーだった」と思えるような状況を自分で作りだすのだ。




そうした事を着実に実行し、成果を積み上げていくと、自分に関係の無いところでマイナスの事が起こったけれど、自分の領分内の事は4年前よりも着実に良くなっていると思えるから不思議だ。

自分の人生を鳥瞰視して「40代前半の一時期にマイナスの事が起こったが・・・・それによって自分の生活の中に一生涯糧をもたらす『金脈』を発見できた」というサクセスストーリーを描くことが今では明確にできる。




実際に世の中の多くの成功者は、このように環境のマイナス面をビジネスでプラスにした人々である。

人は環境がマイナスの影響を及ぼすような、明確な生活上の"危機"が現出しない限り、自らの能力に気づかないものである。"危機"こそがアイデアの源泉である。

デール・カーネギーはこの事をこう表現している。



「人生がしょっぱいレモンを与えたら、それを使って甘いレモネードを作りなさい」

"危機"はビジネスを膨らませるための種のようなものなのだ。




今ではこの環境で自分をどこまで伸ばせるか試行錯誤する日々が楽しくてたまらない。
またこの4年間を通じて自分が以前よりも強くなったと感じる。

逃げずに克服する事で、開ける世界もある。

ゲーム性のある仕事が自分に向いている

この2、3ヵ月、20代後半~30代前半の感覚・・・浮いているような感覚を取り戻せてきた。

浮いている感覚とは、空を飛んでいる夢を見たときの感覚。
自分と言う車のエンジンがこの上なくスムーズに動いて、車体がスムーズに前進して加速して行く感覚。

この感覚は30代半ばに喪失して、30代後半に少し取り戻し、40代前半に完全に失ってしまったものだった。




これを取り戻せた理由は、時流に乗った単純作業の仕事に立ち戻った事にある。

そしてこの仕事はゲーム性があり、寝る瞬間までやっていたいと思い、朝目覚めるとすぐにデスクに向かいたいと思う。

思い返せば、過去に一番うまくいっていた仕事のパターンはこれなのだ。

・単純作業であること
・ゲーム性がある
・一度仕組みを作ると倍数的にスケールを拡大して行ける




自分には他にも才能を生かせるライフワーク的仕事がある。30代後半を費やしたこの難解な分野の仕事では数か月ごとの停滞に陥っていた(そのかわり一旦作品を生み出せば永続的な著作権料につながるメリットがある)。

だが、今取り組んでいる仕事は停滞と言うものが無い。いや、まだ停滞に達するほど鉱脈を深堀していない。まだまだ先があるのだ。

このゲーム的な仕事の方法を難解な分野の仕事にも取り入れて、すべてを単純化パターン化して繰り返せば、すべての仕事がゲーム性のある仕事となり、停滞を経験することなく延々と前進して行けるのではないか?

おそらくどんな仕事の分野の成功者も、仕事内容を分割し単純化して、ゲーム的に停滞なくこなしてゆく域に達する事が出来た人々なのではないか?

これが自分に向いた仕事のやり方なのではないか?




ここ数か月の前進と上昇の感覚を途切れさせずに、行き着くところまで極め切ってみよう。

一発屋的に燃え尽きるのではなく、パターンを見極め、仕事スタイルとして確立させるのだ。

知らぬ間に、20代後半~30代前半の黄金時代の感覚が取り戻せている・・・・毎日が楽しくてたまらない。

時代のせいにしない ~ 心の持ち様で世界は変容する

2000年代初頭は、いわば高度成長期の日本の経済敗戦の年(1945年)である。
わたしは当時、督促のバイトをしながら人生を模索していたが、一緒に働いていた人は稼げない営業マンだったり、破産したバブル紳士であったり、仕事がなくなった建築事務所経営者だったり、九州から落ち延びてきた元ヤクザの右翼活動家だったり、なんというか・・・・バブル崩壊の残骸のような場所から世間を眺めていた。今思うと不思議だが、私は督促部隊のチームリーダーとして、バブルが生んだ有象無象の人々に督促の口上を教えていたのだ。

私が当時住んでいた場所も、戦後の焼け跡に出来たバラックの延長上のような線路際の街で・・・よけいに日本経済の没落を感じた。

あの不況の極のような時代にあっても、今から思うと・・・なんと未曾有のチャンスがそこかしこに転がっていた時代だろうと思う。

私の一人暮らしのワンルームマンションの近くにはバイト先で知り合った河原崎君と言う友人がおり、その友人は月2万のアパートに住んでいたが・・・彼が西中島南方の小さな会社に移って、ごく初期のインターネットビジネスに関わっていた事を思い出す。私がインターネットの仕事に関わり始める3、4年前の話だった。

河原崎君は悲観的な青年で、家庭環境が悪かったことなどいつもグジグジと文句ばっかり言っていた。一方で私はというと、根拠はないが・・・自分には成長余地がまだまだあるという確信があった。瞳はいつも明るい未来を見つめていた。私は彼に一緒に何か商売をはじめないかとおもちかけたが、彼はあまり乗り気ではなかった・・・・。




どんな時代においても、衰退の極にある場所と成長の曙光が見え始めた場所がある。つねに光りある場所はどこかを見出す行動を続けてることが重要である。

悪い時代に見えても、すべてが悪いわけではない。つねにチャンスは芽生えているのだ。

悪い時代と思って世間を眺めるのと、未曾有のチャンスが転がっていると思って世間を眺めるのとでは、チャンスを発見する確率が大きく変わる。心の持ち方ひとつで、世界の見え方が大きく変わるのは真実である。




ここ数か月、仕事のスタイルの一部を、『世間から運気を取り込むスタイル』へと変えた。
そのことによって、いくつものニッチを日々発見するに至った。

チャンスを発見するための探索能力も日々向上している。
「推理力」がモノをいう世界である。私は長年犬を飼っているだけあって鼻が効くようだ。

毎日1個見つけられる程度のニッチなチャンスを日々発見する習慣は、精神衛生的にすごくいい。
チャンスで溢れた世界だと思って世界を眺めると、見えている世界の彩度が増す。