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敵を憎んではならない・・・その本質は「彼らに教訓を与えてはならない」

自分は思い返せば、30代半ば以前に他人とのトラブルというものをほとんど経験していない。
とくに20代半ば~30代前半は、平穏であった。いや、なにかしらのトラブルに遭遇していたのかもしれないが、ほとんどそれを気に欠ける事は無かった。

思い返せば何かしらのトラブルはあったが、ほとんどのトラブルはガラの悪い場所で暮らしたり働いている事、ガラの悪い人に遭遇した事が原因であった。20代前半までは実家の住宅街周辺で暮らしたが、そこでトラブルに遭遇した事は皆無である。




デール・カーネギーは人間関係のトラブルに遭遇した際の「敵」に対する態度を説いている。

デール・カーネギーは以下のような事を言っている。

『神(運命)が「彼ら」を裁くのであるから、あなたは何もしなくて良い。』と。

この事の本質は、彼らの何がしかの悪い面をいちいちこちらが指摘して直させてやる必要も無く、悪い面に自ら害されて、それが改善できることに気づかないまま墓穴を掘って自滅するに任せればよいという事だろう。




人と無用なトラブルを引き起こすような行動や思考は、必ずその人自身の人生を害しているはずである。

たまたま、それに遭遇して悪い影響を受けたとしても、いちいちそれに怒って、相手を諭してその部分を改善させようとする必要はない。

他人に対して、そこまでお人好しである必要はないのだ。彼らはその悪い面をこれからも背負って、自分を害しているものが何であるか気づかないまま生きてゆけば良いのである。




自分に出来る事は他人を変える事ではなく、自分自身を変える事のみである。

この事を肝に銘じる。

今後、気分が悪くなるような人に出会う事があったとしても「怒る事で彼らに教訓を与えて、彼らの人生を改善してはならない」と思うようにしよう。




日本古来の穢れの考え方で見ると、怒る事は好きでもない相手と「縁」を持つ事である。

怒る事で、自分が嫌悪感を抱くような相手と「縁」を持ってならない。



第19章 『悩みを完全に克服するには 祈りが必要』 D・カーネギー

1. 祈りは、自分が何で悩んでいるのか言葉で正確に表現する助けになる。
2. 祈りは、誰かと自分の重荷を負担し合っているような感じを与える。
3. 祈りは、悩みを解決するための、積極的な行動へと人を駆り立てる。






以前書いた文章で、虚構(妄想)を作り出す能力こそがホモサピエンスが100頭を超えて、何千匹、何万匹の群れを作れる理由であるという内容の事を書いた。

映画「ウォーロード/男たちの誓い」 ~ 人類は虚構を作り出す事で・・・

「物語」の力

人間の行動と、虚構(妄想力)は深く結びついている。
ゆえに、祈りと言う手法は、自分自身を積極的な行動に出させるための、最も効果的な方法なのだ。
これは具体的な宗教に対して信仰があろうがなかろうが、そうなのである。



好機に備え、好機を逃さない で書いたが、どんな人間でも数日単位、数週間単位、数か月単位で好機は巡ってきている。

原始人が荒野を歩いていて、木の実がたくさん生った木に巡り合う確率がそう低くないのと同様に、世界はチャンスで満ちている。

その人に自然の恵みとでも言うべきをチャンスを受け入れる準備があるか無いかである。




妻の祖母は、日本で最初か、兵庫県で最初かどちらか忘れたが、宅建を取った最初の女性だそうだ。
1945年、三ノ宮の駅前に死体が山のように積まれているまさにその時に瓦礫の街を歩き、ここで商売をすれば大きい事になると胸を躍らせたと言う。

米軍の絨毯爆撃で大都市は壊滅、誰が見ても「日本は終わった」と思うしかない状況。田岡一雄やボンノや国際ギャング団が闊歩し闇市が乱立する戦後の荒廃した三宮においても、いつの日か三宮が復興すると確信して留まり、その後女性経営者として成功をおさめた。状況にうちのめされたり、不運にいじけるのではなく、最悪の状況で人よりも早く希望を抱けた事が成功の秘訣だった。

自分の過去を振り返えれば、どんな不遇な時代にも、後から振り返れば、瞬時に不遇を振り払うチャンスはたくさんあった。

どんなときにも好機は必ず巡ってくると信じ、そのための準備をする事はもっとも基本的な祈りであろう。



好機に備え、好機を逃さない

D・カーネギーは、「損失を利益に変えなさい」という積極的な姿勢を説く。

一方、最近、「項羽と劉邦」や「三国志」といった漫画を読みふけっているが、そこには『食客』や『説客』といった人々がよく出て来る。

彼らは、普段、主人に食事をタダで食べさせてもらいながら、武芸を磨いたり、論争を戦わせたりしている。有事になると、我先にと主人のために命を投げ出したり、知恵を出したりするが、普段はブラブラしているのである。

思い出すのが、昔、華僑の友達も「項羽と劉邦」や「三国志」の話をしていた。彼は、ふだんはゴロゴロしながら何か月も、あるいは何年も何もせずにネットを徘徊しているのだが、これぞという儲け話を見つけると動き出す。

好機を待ち、好機を逃がさないという生き方も世の中にはあるのである。※昨今は、この生き方の方がうまくいった時代かもしれない。

若くエネルギーが旺盛な時期は、セカセカ動いて積極的に努力する事もできようが、歳をとり以前ほどのエネルギーが無くなると、好機を待ち、好機の到来に対して準備を万端にする事が重要になる。

何を好機ととらえるかはその人の見識や度量によるし、世間一般には災難でも、その人にとっては好機という事も世の中にはままある。年老いた亀のように鼻先に獲物がやってくるのを何年間も待ち続ける根気が必要なのだ。

好機に備え、好機を逃さないように、つねに努力(物事への継続的な観察や勘を磨く事、自分の得意とする分野への精通を深める事)を継続する事である。

第18章 『どうすれば他人を喜ばせる事が出来るか考える』 D・カーネギー

第18章で語られる人間の陥りやすいパターン(人間の本来の性質)

鬱病の1/3は、患者の『他人や社会への関心の無さ』が原因である。

仲間に関心を持たない人間は、人生において最大の苦難に悩み、社会に対して最大の被害をもたらす。




↓デール・カーネギーは心の持ち方を変える事で、行動を変え、人間本来の性質を出し抜くことが出来ると説く。

鬱病の人の1/3は、他人を喜ばせる行動を取るように心がければ病気が吹き飛ぶ。



どうやれば人を喜ばすことができるか考える習慣を持つ

自分以外の人のために尽くすことで、自己憐憫や自意識過剰から離れ、健康な精神状態を維持できるようになる。単に内面が変わるだけではなく、周囲の人に対する対応が好意的なものに変われば、周囲もあなたに好意的に接してくる。そのことによって気分もよくなる。

これは夫婦関係について一番いえることだろう。

妻に対して機嫌よく接し、何かについて手助けする夫は、妻からもよく扱われるだろう。
一方、逆の場合は、夫婦関係は互いにイライラとしたものになるだろう。

妻やペット、自分の両親など、あるいは日常接しているサービス業の人々に対しては、彼らを喜ばせるような態度で常に接したいし、妻などに対してはどうやれば彼女が喜んでくれるか考えて行動しよう。

そうすることが自分自身の内面の健康のために必要なのである。

なぜなら・・・

仲間に関心を持たない人間は、人生において最大の苦難に悩み、社会に対して最大の被害をもたらすからだ。



親無し子と呼ばれた少年がその後・・・

幼くして親を亡くし、町の人々にゆだねられた少年。
※開拓時代の名残を残すような古き良きアメリカの小さな町は、こうした助け合いの精神が残っていたのだろう。

少年は親を失ったとき「親無し子」と呼ばれていじめられることを何よりも恐れたが、まもなくそれが現実になった。
少年は、いじめっ子を殴り飛ばす勇気の持ち主だったが、ある日、女生徒に大切にしていた帽子(育て親の婦人がくれた大切な帽子)に水を入れられて台無しにされた。その大柄な女生徒は「あなたの石頭を冷やしてあげたんだわ」と言った。
人前ではけして泣かなかった少年だが、家に帰り大声で泣いていた。それを見て、育て親の婦人はいった。
「あなたが何かしら同級生たちが喜ぶような事をしてあげたら、きっとあの子たちもあなたをいじめたりはしないはずだよ」

その言葉で少年は生まれ変わった。同級生の宿題を助け、近隣の農家の未亡人のために朝早くから牛の乳を搾ってやった。
町の人気者になった少年は、青年になり海軍から帰ってきたとき、町中の農夫が何百人も出迎えてくれた。

町で少年を「親無し子」と呼ぶ人はいなくなった。

第17章 『損失から利益を生み出そう』 D・カーネギー

第17章で語られる人間の陥りやすいパターン(人間の本来の性質)


毎日1章を何度も聴き返しているデール・カーネギーの道は開ける(CD版)。



第17章で語られる人間の陥りやすいパターン(人間の本来の性質)は・・・

不運な出来事に出くわす

悲嘆にくれて、運命を呪い、その結果自己を甘やかし放蕩の限りを尽くす


つまり、人間は不運な出来事を自分を甘やかすための口実にすることが多いと言う事。
不運な出来事をきっかけにして、それまでやっていた努力をやめてしまうのである。



賢い人間が不運に出会った時の行動

賢い人は、損失を利益に変えようとする努力をする。

損失を利益に変えようと試みる事は以下の2つの点で良いことである。
1.もしうまくいけば、損失が利益に変わった喜びを得られる。
2.もしうまくいかなくても、過去を振り返ることなく前を見て進むことが出来る。

思い返せば、私は若い頃、自分はぜったいに理想の生活を手に入れるという明確な目標があったため、どんな努力を惜しまなかったし、何かに失敗しても、この失敗を教訓にして、今後は2度と失敗をしないと固く誓って行動していた。目的意識を強く持って生きている人は、損失をプラスに変える行動を無意識的に行っているのかもしれない。今は、昔ほど目的意識がなくなったため、失敗しても「人生とはこんなものか」と少し投げやりになる事が増えたと思う。家族を持ったことでどうにもならないことも増えたのも事実。だからこそ、D・カーネギーの本を読んで、昔の自分を呼び覚まさないといけない。



弱点そのものが私たちを助けてくれる

これもその通りである。自分の弱点や逆境が闘争心を呼び覚ましてくれる。



幸福は平穏な生活の中には無い。幸福は多くの場合、戦いの結果得られるものである。

多くの人は、平穏で快楽的な生活が幸福をもたらすと信じている。
たとえば、賃金労働者がいつの日かリタイア生活をすることを夢見るのも、そうした心理からだろう。
だが、多くの実業家や芸術家が引退することなく一生活動を続けるのはなぜだろう?

エンジンは、一定回転数以上回してはじめて、そのエンジンにとって健康な状態になる。
エンジンを低回転で回しても、エンジンにとって良いどころかスラッジがたまり故障の原因になる。

人間も同様であり、忙しい環境で自己を働かせ続ける事ではじめて肉体的にも精神的にも健康な状態が生まれる。

2017年の記事『名物焼きそば「急行」閉店 88歳店主、厨房で倒れ死去』を読んだとき、こんな人生を送りたいと思った。