幸せの時間

国友やすゆき「幸せの時間」を全巻読破した。

登場人物のファッションや街の雰囲気がまさにバブルの余韻が漂っていた1990年代の日本の世相を映しており、何とも言えない懐かしさを感じて引き込まれてしまった。ストーリーは、最初は幸せな家庭ドラマを思わせたが、ドロドロの不倫ドラマの末に、最後は、梶原一騎の「人間凶器」のような破滅的な展開になり、最後までストーリーにグイグイ引き込まれた。



ロジェ・バディム(ロジェ・ヴァディム)はサドの小説を映画化するときに、「情動の激しい時代」としてナチス政権下のフランスを物語の舞台に描いたと言うが、今の日本は情動が停滞した時代(コンプライアンス重視の時代)である。バブル~バブル崩壊期は普通のサラリーマンでも出世のためには犯罪に手を染めるような情動の激しかった時代なので、「幸せの時間」のような野心を持った男の破滅・泥沼不倫の末の家族の崩壊劇がリアリティーをもって成立することができたのだ。

また、この物語は一個の新築の家が舞台である。幸せの時間を過ごす場所に見えた家が最後は誰もが逃げ出したくなるような修羅場になる。程度の差はあれ、バブル期に新築の家を建てた家庭の多くが同様のストーリーを辿ったとも言える。

主人公が、7000万で買った家ではなく、不倫用に借りたボロい安アパートに「何だろうこの安らぎは・・・。今の俺の身の丈にあった場所はここなんだ。」とつぶやくシーンが妙に印象に残った。



中古物件の怖い話 ~ 家は「夢の箱」


ある豪邸。敷地に入った瞬間に異様な空気が漂い、室内に入ると男性の怒った顔が宙を漂っている殺気だった雰囲気の売り物件。殺人事件や孤独死が起きたわけでもない、いわくつき物件でもない、なのになぜ?

売主の男性(その豪邸の所有者)は、今は同じ町のアパートに住んでいる。

多くの場合、家は、購入時に壮大な借金を背負い、お金を払い続けて手に入れるもの。持ち主の夢、希望、絶望、など念が詰まった箱のようなモノ。

事件など起こらなくても、破産・離婚などで、「夢の箱」はある日突然、「絶望の箱」になってしまう。

「家っていうのは良くも悪くも誰かの夢の箱だ」
引用元:漫画 ほんとにあった怖い話 読者体験シリーズ 大竹とも 第02巻



夢の箱の中では良い夢を育まなければならない。自分の敷地に一歩入れば楽園と考えて時を過ごそう。




余談だが、昭和の別荘地の多くは投資目的を兼ねて作られているが、私の住んでいる別荘地など、当初1区画1500万円で売られた土地が、いまでは3万円で投げ売りされたり、タダでも手放せないような状況になっている。3000人近くはいたと思われる区分所有者の99%に近い人々が損をしている。

原野商法で大損こいた会員ばかりの場所は、絶望の場所なのだ。この場所で定住者の離婚や孤独死や自殺が多かったり、人々がいがみあい雰囲気が悪くなったり、産廃や太陽光など住む上で不快なモノが集まってくるのは不思議でも何でもない。

そうしたものが発する悪い念に影響を受けないように暮らさなければならない。

ゴミ屋敷の深層心理


怪談の面白さは、ゴミ屋敷のような現実に起こる異様な物事に、寓話的な解釈を与えているところである。

人間の深層心理は、人間が眠るときの夢を見てもわかるとおり寓話的な世界である。なので、異様な物事も、寓話的な解釈を与えられると妙に納得できたりする。

たとえば、ゴミ屋敷を作る人についての解釈の一つが以下である。

ゴミを溜めている方も供物を欲しがる悪鬼に取り憑かれているのです
引用元:ほんとにあった怖い話 読者体験シリーズ 大竹とも編③



この解釈を突き詰めてゆくと、モノを溜め込んでいると悪鬼が集まってくる、という考えに発展する。

悪鬼とは、自分の人生の本質とは関わりのない邪念であり、邪念に憑りつかれると、その分時間を浪費し人生を無駄にする。酷い場合は、そうした邪念に憑りつかれることで自分の身体・人生そのものが滅ぼされてしまう。

邪念はモノを欲しがる。そして一度モノを欲しがると、次から次へと際限のない欲望が湧いてくる。




私は最近、「モノを増やす事は、自分の弱点を増やす事」なのではないか?と思うようになった。

人生の中で本質的な部分を研ぎ澄ましたいと思ったら、モノは少なくし、モノにまつわる習慣を減らし、世界をシンプルにしなければならない。

最近は、庭にゴテゴテと植物を生やす事を良い事と思わなくなった。習慣が増えれば増えるほど、人間は弱くなる。もっとやる事を減らして、人生をシンプルにした方が良い。田舎の土地や物件もタダ同然で安いからと軽々しく買って増やさない方がいい。(なにか必要があれば賃貸でその都度借りればいい。)

闇金ウシジマ君に出てくるヤクザ滑皮は、この無駄をそぎ落とし、研ぎ澄まされた人間の事を「生き方を決めた人間」と呼んでいる。滑皮にとって、人間の強さの秘訣とは「生き方を決める事」にあるのだ。






40代の残りは、モノを所有する事への追求ではなく、それからの脱却、仕事・本・漫画・映画・旅行など創造・訓練・知識・経験・方面へのシフトを図りたい。

「簡単に手に入るものは大切に出来ねえ」

漫画の「闇金ウシジマ君」を1巻から読んでいる。



本や映画を含めて、ここ数年読んだ中で、魂にまで突き刺さるような突出した作品だ。
「ナニワ金融道」と「カイジ」と「はだしのゲン」をたして3で割ったような超現実感。
最後まで読み切ったら、もう何度も読み直すだろう。

ウシジマ君の世界は、自分が20代前半に西中島で督促のバイトをしていた経験・当時はウシジマ君の住む町と同じ猥雑な下町で生活したこと・ウシジマ君の登場人物と同様にギラギラした野心に満ちた日々を送っていたこと等もあり、とてもリアルに感じる。泥沼にはまってゆく闇金の客たちも、(バブル崩壊の最悪期だった)当時は身近にいたような人々ばかりだ。

一話一話が教訓に満ちているが、第15巻目のセリフには妙に納得を覚えた。




俺たちが相手にしている連中はよ、孤独に耐えられねェ連中だ。
それを簡単に解決する手段を安易に手に入れた人間だ。
だがよ、簡単に手に入るものは大切にできねェ。
人と金を粗末にして心がどんどんさもしくなっちまった連中なんだ。


「闇金ウシジマ君 第15巻」より引用



「安易に手に入れたものは大切にできない。」

これは本当にその通りだ。その意味の中には、同時に、大切にするという行為には困難さや葛藤がつきものという事でもある。
仕事、家庭、家、趣味、あらゆるものに関して言える事だろう。継続し、維持することは困難な道であり、日々の積み重ねの中で築いてゆく。

安易であることがもてはやされる時代ではあるが、安易さを追いかける事には大きな落とし穴(愛情や人との信頼感、分別の欠如)もある。