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過去に「もしも」が起きる事はない

昨年は、愛犬のクララが弟のバンビに体当たりして、後ろ足の靭帯が伸びてとても深刻な状況になった。
毎年、7月8月はなにかが起こって心配させられる。

妻は、外的な世界も自分たちも常に変化しており、一定なものなど何もないという前提で生きているので、起こった事をつねに受け止めて冷静に対策を練るが、わたしは真っ先に過去をほじくりまわしてクヨクヨ考える。

あの時にああした方が良かった、こうした方が良かったと。そうやって自分を追い詰めるのが得意だ。

こうした日々の中で、暇を見つけては「自殺島」というタイトルの漫画を読むことをささやかな楽しみにした。漫画は、食事中に読むことが多いが、瞬間的にその世界に入り込めるので最近は一番の自分の楽しみ(趣味)にしている。

自殺島01_000
出展:森恒二「自殺島」1の表紙より引用

ネガティブなタイトルとは真逆で、自分を見失った若者たちが、大自然の中のサバイバルや集団での自給自足生活の中で、「単に生きている事の喜び」を見出して行くという感動的なドラマだ。かといって、そのストーリー展開は、教条主義的な退屈なものではなく、様々なクレイジーなキャラクターや奇怪な出来事を通じて主人公たちは生きることの意味を見出してゆくのだ。

いろいろと心に残る場面があったが、突き刺さった言葉の一つがこれ。

「過去に"もしも"が起きる事はない。」
「"もしも"が起きるのは----・・・未来だけなのだ」

読後に、仕事などで高望みして自分を追い詰めるのをやめて、もっと地に足をつけて生きたいと思った。もう44歳になって、物質的にも経験的にも満たされてこれ以上望むことはない。今のままでいい。妻や犬たち、あるいは実家の母の何気ない日常生活を守るために出来る限りのことをする事が自分の幸せなのだという気持ちに至りついた。


幸せの時間

国友やすゆき「幸せの時間」を全巻読破した。

登場人物のファッションや街の雰囲気がまさにバブルの余韻が漂っていた1990年代の日本の世相を映しており、何とも言えない懐かしさを感じて引き込まれてしまった。ストーリーは、最初は幸せな家庭ドラマを思わせたが、ドロドロの不倫ドラマの末に、最後は、梶原一騎の「人間凶器」のような破滅的な展開になり、最後までストーリーにグイグイ引き込まれた。



ロジェ・バディム(ロジェ・ヴァディム)はサドの小説を映画化するときに、「情動の激しい時代」としてナチス政権下のフランスを物語の舞台に描いたと言うが、今の日本は情動が停滞した時代(コンプライアンス重視の時代)である。バブル~バブル崩壊期は普通のサラリーマンでも出世のためには犯罪に手を染めるような情動の激しかった時代なので、「幸せの時間」のような野心を持った男の破滅・泥沼不倫の末の家族の崩壊劇がリアリティーをもって成立することができたのだ。

また、この物語は一個の新築の家が舞台である。幸せの時間を過ごす場所に見えた家が最後は誰もが逃げ出したくなるような修羅場になる。程度の差はあれ、バブル期に新築の家を建てた家庭の多くが同様のストーリーを辿ったとも言える。

主人公が、7000万で買った家ではなく、不倫用に借りたボロい安アパートに「何だろうこの安らぎは・・・。今の俺の身の丈にあった場所はここなんだ。」とつぶやくシーンが妙に印象に残った。



中古物件の怖い話 ~ 家は「夢の箱」


ある豪邸。敷地に入った瞬間に異様な空気が漂い、室内に入ると男性の怒った顔が宙を漂っている殺気だった雰囲気の売り物件。殺人事件や孤独死が起きたわけでもない、いわくつき物件でもない、なのになぜ?

売主の男性(その豪邸の所有者)は、今は同じ町のアパートに住んでいる。

多くの場合、家は、購入時に壮大な借金を背負い、お金を払い続けて手に入れるもの。持ち主の夢、希望、絶望、など念が詰まった箱のようなモノ。

事件など起こらなくても、破産・離婚などで、「夢の箱」はある日突然、「絶望の箱」になってしまう。

「家っていうのは良くも悪くも誰かの夢の箱だ」
引用元:漫画 ほんとにあった怖い話 読者体験シリーズ 大竹とも 第02巻



夢の箱の中では良い夢を育まなければならない。自分の敷地に一歩入れば楽園と考えて時を過ごそう。

ゴミ屋敷の深層心理


怪談の面白さは、ゴミ屋敷のような現実に起こる異様な物事に、寓話的な解釈を与えているところである。

人間の深層心理は、人間が眠るときの夢を見てもわかるとおり寓話的な世界である。なので、異様な物事も、寓話的な解釈を与えられると妙に納得できたりする。

たとえば、ゴミ屋敷を作る人についての解釈の一つが以下である。

ゴミを溜めている方も供物を欲しがる悪鬼に取り憑かれているのです
引用元:ほんとにあった怖い話 読者体験シリーズ 大竹とも編③



この解釈を突き詰めてゆくと、モノを溜め込んでいると悪鬼が集まってくる、という考えに発展する。

悪鬼とは、自分の人生の本質とは関わりのない邪念であり、邪念に憑りつかれると、その分時間を浪費し人生を無駄にする。酷い場合は、そうした邪念に憑りつかれることで自分の身体・人生そのものが滅ぼされてしまう。

邪念はモノを欲しがる。そして一度モノを欲しがると、次から次へと際限のない欲望が湧いてくる。




私は最近、「モノを増やす事は、自分の弱点を増やす事」なのではないか?と思うようになった。

人生の中で本質的な部分を研ぎ澄ましたいと思ったら、モノは少なくし、モノにまつわる習慣を減らし、世界をシンプルにしなければならない。

最近は、庭にゴテゴテと植物を生やす事を良い事と思わなくなった。習慣が増えれば増えるほど、人間は弱くなる。もっとやる事を減らして、人生をシンプルにした方が良い。田舎の土地や物件もタダ同然で安いからと軽々しく買って増やさない方がいい。(なにか必要があれば賃貸でその都度借りればいい。)

闇金ウシジマ君に出てくるヤクザ滑皮は、この無駄をそぎ落とし、研ぎ澄まされた人間の事を「生き方を決めた人間」と呼んでいる。滑皮にとって、人間の強さの秘訣とは「生き方を決める事」にあるのだ。






40代の残りは、モノを所有する事への追求ではなく、それからの脱却、仕事・本・漫画・映画・旅行など創造・訓練・知識・経験・方面へのシフトを図りたい。