キューブリックの映画「バリーリンドン」

スタンリー・キューブリックの映画「バリーリンドン」を、中学生以来、再度見た。

中学生当時は、黒澤映画やヴィスコンティの映画のような濃厚さの無い、あっさりした歴史ものという印象だったが、今見ると、黒澤やヴィスコンティよりも、一見粗削りに見えて、全体としてみると上質な映画に思えた。

自然光のみを使って撮られたという映像の美しさは際立っており、バロック絵画~クリムトの絵画に至るオーストリア芸術の美の世界を映画において実現している。

時代背景は、ナポレオン戦争よりも1世代~2世代前の時代だが、ヨーロッパを舞台にした七年戦争を背景にしており、当時のイギリス軍人の心意気などはホーンブロワーシリーズに通じるものがあり、とても面白く見ることが出来る。

私がこの映画で一番心惹かれたのは、アイルランド人のヨーロッパにおける立ち位置を体現しているとも言えるバリーリンドンの流浪の人生そのものと、途中に登場する盗賊一味、そして、バリーにこの時代を生きてゆく知恵を授ける、同じくアイルランド出身のシュヴァリエ・ド・バリバリという賭博師(兼 詐欺師)だ。

こうした小国生まれの漂泊民が、大国同士の戦争や貴族のおこぼれにあずかりながらも逞しく生きていた時代。最後にサッカレーが書く、「どんな高貴な人間も身分の低い人間も、今はみんな墓の下だ。」という言葉が良い。

貴族たちを騙して狡猾に生きるバリーであっても、自分の息子にだけは惜しみない愛情を注ぎ、それが行き過ぎた結果息子の命を奪ってしまうエピソードも感慨深い。愛情がある人間は憎めない。



パット・ギャレットとビリー・ザ・キッド


~~~~~~英語版予告編のナレーション~~~~~~

ウィリアム・H・ボニー、彼は21人を殺害した。
そうであっても、彼はただのガキ(キッド)だ。ビリー・ザ・キッド・・・

パトリック・F・ギャレット、かつて準州におけるもっとも凶悪なアウトローだった。
だから、実業家たちはギャレットを保安官にした。

パトリック・F・ギャレットにはただ一人の友人がいた。ビリー・ザ・キッド・・・
そして、ただ一つの仕事があった。彼を殺す事。

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サム・ペキンパーの腕がさえわたった時期の作品群、「ゲッタウェイ」「ビリーザキッド/21歳の生涯」「戦争のはらわた」・・・
その中でも「ビリーザキッド/21歳の生涯」は自分がもっとも好きな作品。久々にWOWOWで見た。

ペキンパーにとっても、ビリーとその時代は、彼の育った場所と繋がりがあるゆえに、特別に思い入れがある。ペキンパーはビリーやギャレットの時代の雰囲気がまだ漂う土地に、開拓者の息子として生を受けている。

かつて見たときは、ボブ・デュランの音楽をBGMにひたすら抒情的なイメージが映し出される美しい映画という印象だった。だが、今、大人になってこの作品を見ると、この映画が描くのはパット・ギャレットという大人の男の生きざまである事がわかる。

キッドもギャレットも同じアウトローとして、犯罪に手を染めた仲間である。
だが、ギャレットは年老いて、家畜を襲う一匹狼として生きるよりも、牧場主の世話になる方を選び、かつての仲間を始末するという汚れ仕事を与えられる。

ギャレットは、もっとも危険な類の男である。だからこそ、チザムら牧場主たちの番犬の役割を果たすのだ。だが、心情的にはビリーやその仲間に同情を感じている。その心の葛藤をかかえながら、しかし一匹狼のアウトローとしての威厳を保ちつつ、ビリーとその仲間を冷酷に追い詰め葬り去ってゆく。

その一挙一動の身のこなし、言動、雰囲気、その全てが、数々の修羅場をくぐり抜けて生きのびてきた男だけが持つオーラを漂わせている。細部に渡り、ギャレットと一体化したジェームズ・コバーンの奇跡的な演技。

プロ中のプロのアウトローとして自らを叩きあげてきたギャレットの本物感と絶妙な対比を見せるのが、素人(歌手であるクリス・クリストファーソン)が演じる青臭いビリーと、さらに素人丸出し感がいい味出してるはにかみ屋の道化師ボブ・ディラン。観客は、ボブ・デュランの目を通して、ギャレットとそれに対峙するビリーの生きざまを見届ける。

そして、ギャレットは、ビリー・ザ・キッドという後に伝説になる人物を殺したという原罪を背負って余生を生き、最後は自らも殺されて準州の土に帰る。




少し暖かい日曜日の昼下がりは犬たちをはべらせ大人のオモチャで遊ぶ。

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映画「狩人の夜」 The Night of the Hunter


リーニング、リーニング、リーニング オン ジ エバーラスティング アームズ ~♪ (頼れよ 頼れ 永遠に朽ちる事の無い腕に頼れ♪)



アメリカ南部の黒人霊歌として歌われた讃美歌がこの映画のメインソングである。主人公のサイコパスの殺人鬼(演:ロバート・ミッチャム)はこの歌を歌いながら、幼い兄妹を追いかけてくる。

自分が今まで見た映画の中でベスト1を挙げよと言われれば、今は迷いなくチャールズロートンの「狩人の夜」と答えるだろう。それに、溝口健二の「雨月物語」と黒澤明の「蜘蛛巣城」、五社英雄「鬼龍院花子の生涯」、1967年度版「遥か群衆を離れて」、ロジェ・バディム「悪徳の栄え」などが続くだろう。

かつては猟場だった丘陵地のニュータウンで育った私と姉は、子供の時よく、犬を連れて近くの大病院の向かいの芝生のこんもりとした小さな丘に座って、遠くの大阪の街の夜の景色を眺めるのが好きだった。ゴーという街の音が遠くから響いてきた。わたしたちはここちよい夜風に吹かれ、街灯と月の光に照らされていた。

映画「狩人の夜」 に魅せられるのは、そうした子供時代に見た世界観がそこにあるからだろう。この映画はサスペンス映画だが、子供の目を通して世界で描いており、それが独特の世界を作り出している。



物語は子供目線と、寓話的な子守歌をBGMにして美しい白黒の映像によって進む。

映画「怒りの葡萄」や「ボニーとクライド」や「北国の帝王」などと同じく、大恐慌時代が舞台。大恐慌時代に、アメリカ中西部の子供たちが、貧困の嵐の中、親とはぐれて難民化したことを背景にしている。

カエルや野ウサギに見守られながら川を下って逃げる兄妹、たどりついた岸辺の家の中から優しい母親の子守歌が聞こえ、ポーチにつられた鳥小屋が影絵のように子供たちの目に映る。子守歌に母親の温もりを思い出した妹が「わたしたち家に帰ってきたの?」と聞く(他人の家なのだが・・・)。

その時に流れる子守歌「ハッシュ マイ リトル・ワン ハッシュ」という曲が、この映画の中で一番好きな曲である。



人を子供時代の感受性に連れ帰ってくれる魔法のような映画。