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映画「ウォーロード/男たちの誓い」 ~ 人類は虚構を作り出す事で・・・

最近聞いた話で興味深かった事。

人類=ホモサピエンスはアフリカで生まれ、全世界に分布した。人類は、臭いに敏感で、自分たちと違う臭いのするヒト属(ネアンデルタール人など)を嫌ったとそうだ。ゆえに、ホモサピエンスに侵略された土地では、別種のヒトとことごとく対立。ネアンデルタール人のような、時にホモサピエンスよりも勇敢で聡明なヒト属を絶滅に追いやって行った。

ホモサピエンスは頭脳が大きい事で、他のヒト属と違い「虚構」を作り出す事が出来たと言う。「虚構」とは、宗教やプロパガンダとでも呼ぶべきものだ。

「虚構」によって、人は、類人猿やネアンデルタール人が作る群れ(100頭程度が限界)よりもはるかに大きな群れを作る事が出来たと言う。




映画「ウォーロード/男たちの誓い」を見た。ウォーロード=軍閥の意味。映画の原題は「投名状」。投名状とは義兄弟の契りの事。

19世紀半ばの中国における太平天国の乱を背景に、「山軍」という貧しい農民を中心とした兵士で成り立つ軍閥を率いた3人の義兄弟の物語。

義兄弟の契りや任侠道、仁義といった「虚構」こそが、三国時代を生きた英傑たちの時代から変わらずに、乱世に覇をとなえる男にとって不可欠な手段だった。「虚構」が「虚構」を生み、山賊100人の義兄弟の契りからはじまった「山軍」はやがて何万人の規模に拡大し、3人の義兄弟は英雄となり天下を動かすような存在になる。

第二次世界大戦と同じ規模の死者・餓死者を出したというこの内乱の規模の大きさに最初から最後まで圧倒され、またあらためて、日本の歴史とは比べ物にならないほどスケールがデカい近代中国史に興味惹かれた。

創造的な人間は邪悪になる


スタンリーキューブリックの映画「2001年宇宙の旅」の冒頭で、サルがあるとき骨をこん棒として使う事を覚え、それを空に投げると人口衛星に変わるというシーンがある。

本能で生きていた生物が、創造性を得た瞬間を描いた象徴的なシーンである。

一方、古代ギリシャの神話にはプロメテウスという神が登場する。ゼウスは、人間が争い合う事を危惧して、人間に火を与える事を禁じたが、プロメテウスは自然の猛威になすすべもない人類を哀れんで人間に火を与える。そうして人間は戦争に明け暮れるようになる。




リドリースコットは、SF映画の古典である映画「2001年宇宙の旅」をその感性と知性で咀嚼し、映画「プロメテウス」・「エイリアン・コヴェナント」という傑作映画を生み出した。

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死の島 (ベックリン) ※「エイリアン・コヴェナント」に、この絵画にそっくりの霊廟が登場。

この映画は、上質のエンターテイメントであると同時に、哲学的な意味でも「人類の起源/進化」や「ロボットの反乱」に対する整合性のとれた独自の解釈を示す知的にも楽しめる映画なのだ。




この2本の続き物の映画の中で、もっとも印象に残ったのは、「創造的であること」に対してリミッターが無いロボットが、どんどんと創造性を発揮して、人間を裏切り、人間やエイリアンのDNAをいじくってより完璧な生物を生み出し、また時には一個の文明を破壊することに詩人バイロンやワーグナーの芸術が持つロマン主義的な高揚を感じて感動に浸ったりする事だ。

「創造的なロボットは邪悪になる。」・・・・創造的な人間もまた邪悪になる。




世界中に残る神話にはトリックスターという概念がある。トリックスターはいたずら好きで、秩序や道徳など無視して好き放題に生きる。その結果、タブーを侵して歴史を変えるほどの変革を社会にもたすのである。

古代ギリシャ神話のプロメテウスはトリックスターの典型と言われている。

日本社会が他の先進国に比べて恐ろしく自己変革力が無いのは、このトリックスターのような存在がいないからだろう。
トリックスターのいない世界は変化しない。変化の無いかわり平和がある。外から見ればそれは奴隷の平和かもしれないが、それでも平和が良いと日本人は思う。

欧米では、創造的な人間は邪悪をいかんなく発揮し、企業活動などもドラスティックに変わり、負け組は瞬時に大量殺戮され淘汰されてゆく。創造的な人間たちによって火を与えられた人間たちは、火を使って旧世界を破壊することを恐れない。

映画「ジェシー・ジェームズの暗殺」

ブラッド・ピット主演の映画「ジェシー・ジェームズの暗殺」を観た。意外にも出来の良い映画で驚いた。

アメリカ合衆国の大衆文化史におけるジェシー・ジェームズは、新選組の土方歳三のようなアンチ・ヒーローであり、とても人気がある。そのキャラクターの持つカリスマ性は、西部のガンマンの中でも突出していると言える。

その背景についてちょっとだけ書いてみたい。



ジェシー・ジェームズとその時代

ジェシー・ジェームズと兄のフランク・ジェームズは、南北戦争において、ウィリアム・クァントリル率いるクァントリルズ・ライダーズという南軍のゲリラ部隊に身を投じる。南軍の苦しい戦いと、南部共和国の敗戦を通じて、ジェームズ兄弟はプロの犯罪者として生きる道を選んでゆく。

彼らは、決して同時期の西部のならず者たちのように、自暴自棄で犯罪に走った者たちではない。将軍クラスの軍人を含む元南軍ゲリラのコミュニティの中で生き、家庭人として家族を大切にし、紳士として周囲から尊敬を集めながら、遠出してはヒットアンドアフェー方式で強盗・殺人を行い糧を得ていた。ジェームズ兄弟とヤンガー兄弟の強盗・殺人は、犯罪であると同時に、戦争継続主義者(敗戦を認めない南軍ゲリラ)の抵抗運動や復讐行為の側面もあり、多くの南部の民衆に支持され支援されてもいた。




ジェシー・ジェームズに関しては「ロングライダーズ」という名作映画が過去に作られている。「ロングライダーズ」は、ライ・クーダーの音楽が素晴らしい。ストーリーも単純化されよくまとめられている。

 一方、「ジェシー・ジェームズの暗殺」は、以前作られた「ロングライダーズ」などよりも、より史実に即した形でリアルにジェシー・ジェームズを描いている。他の映画よりも優れていると思える点は、ジェシー・ジェームズが以前の映画が描いたよりも現代に近い時代に生きていたこと、現代の郊外住宅地のような場所で偽名で家庭生活を送っていた事などを描いている点。晩年のジェシー・ジェームズは、西部のガンマンと言うよりは、都会のマフィアやギャングに近い。

実際に、口封じに昔の仲間を殺して行くところなど、マフィアそっくりである。

スコセッシの映画「グッドフェローズ」でデニーロが演じた、実在の空港強盗&殺し屋のジェームズ・"ジミー・ザ・ジェント"・バークは、自分の息子を"ジェシー"と名付けて、ジェシー・ジェームズを尊敬していたそうだ。そして、バークもまた、ジェシー同様に、口封じに昔の仲間を殺しまくる冷酷さを持っていた。

ジェシー・ジェームズの孤独、冷酷、得体の知れなさ。そして、ジェシーが死ぬ瞬間まで発していた、殺気・迫力、カリスマ性、そういったものを、この映画はよく描いている。

サム・ペキンパー「荒野のガンマン」

以前感想を書いた「パット・ギャレットとビリー・ザ・キッド 」と同じサム・ペキンパーの監督作品。

この映画を見るのは2度目だ。
ペキンパーの作品群の中では地味な印象だが、なぜか心に残る。

1度目に見たときは、ありがちなガンマンが主人公の西部劇だと思ったが・・・2度目に見て、やはりペキンパーらしさが細部に出ている作品だとわかった。

この映画の全編を通して漂う雰囲気は、戦争の傷跡が癒え切らない社会と言うところだろうか・・・。

体内に弾丸が残り銃をまともに撃つことができないブライアンキース演じる主人公のガンマン。額には、サディストの南軍脱走兵に頭の皮を剥がれそうになった時の大きな傷跡が残る。

ヒロインは、ダンスバーで汗に臭いの染みついた疲れた男たちの相手をして働くモーリン・オハラ演じる未亡人。

そして、敵役となる男は、前述の南軍脱走兵なのだが、ニカラグアを侵略したアメリカ人ウィリアム・ウォーカーのように私兵を率いて自分の王国をつくる妄想に憑りつかれているアル中のクズ男。

この3者が基本的な登場人物だ。

主人公は、頭の皮を剥いだ南軍脱走兵への復讐心に憑りつかれてこの数年を生きてきたが、モーリン・オハラ演じる未亡人と苦難を共にすることで改心し、クズ男への憎しみの感情から逃れることができた。一方で、戦争から最悪のものしか得なかった南軍脱走兵のクズ男は、狂気の夢をふくらませ・・・。

ペキンパー自身が、第二次大戦の戦争後遺症に悩まされてアル中・薬中へになってゆくが、そうした体験も織り交ぜて、戦争に翻弄された後で、ボロボロになりながらも愛(希望)を見つけた男と、環境から悪いモノだけを吸収し自らの妄想の掃き溜めの中でもがくクズ男との対比を鮮烈に描いている。

何度見ても、疲れた中年女性役のモーリン・オハラが素晴らしい。「コルドラへの道」のリタ・ヘイワースを思い出させる名演。

キューブリックの映画「バリーリンドン」

スタンリー・キューブリックの映画「バリーリンドン」を、中学生以来、再度見た。

中学生当時は、黒澤映画やヴィスコンティの映画のような濃厚さの無い、あっさりした歴史ものという印象だったが、今見ると、黒澤やヴィスコンティよりも、一見粗削りに見えて、全体としてみると上質な映画に思えた。

自然光のみを使って撮られたという映像の美しさは際立っており、バロック絵画~クリムトの絵画に至るオーストリア芸術の美の世界を映画において実現している。

時代背景は、ナポレオン戦争よりも1世代~2世代前の時代だが、ヨーロッパを舞台にした七年戦争を背景にしており、当時のイギリス軍人の心意気などはホーンブロワーシリーズに通じるものがあり、とても面白く見ることが出来る。

私がこの映画で一番心惹かれたのは、アイルランド人のヨーロッパにおける立ち位置を体現しているとも言えるバリーリンドンの流浪の人生そのものと、途中に登場する盗賊一味、そして、バリーにこの時代を生きてゆく知恵を授ける、同じくアイルランド出身のシュヴァリエ・ド・バリバリという賭博師(兼 詐欺師)だ。

こうした小国生まれの漂泊民が、大国同士の戦争や貴族のおこぼれにあずかりながらも逞しく生きていた時代。最後にサッカレーが書く、「どんな高貴な人間も身分の低い人間も、今はみんな墓の下だ。」という言葉が良い。

貴族たちを騙して狡猾に生きるバリーであっても、自分の息子にだけは惜しみない愛情を注ぎ、それが行き過ぎた結果息子の命を奪ってしまうエピソードも感慨深い。愛情がある人間は憎めない。