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どこでも生活していける方法

20代前半の頃に読んだグルジェフの「注目すべき人々の出会い」の中で、今でも読み返すエピソードがある。

「古代の叡智」を探すために中央アジアを放浪したグルジェフとポゴシャンは、旅行の資金を稼ぐために、マーケットで商売を始める。何も拠って立つものが無い土地で、2人がどうやって糧を得るのか?無から有を作り出すのか?






この辺鄙な田舎に移住して11年・・・

本当に魅力も含め何も無い場所で、いろんな葛藤を抱きながら、犬たちを飼育するのには最適と思い生活してきたが、犬たちに最高の環境を与える事以外は何も得なかったと最近まで思っていた。

でも、夫婦ともども、この場所から何も得なかったわけではないと最近思えてきた。




思い返せば、10年前の私は、都会にいたころにやっていた仕事でいつまで食えるか不安で一杯だった。当時、将来を模索して購入した本の中には「イチジクの育て方」という農業関連本まである。また、妻は、いくつかの大企業で、営業マンとしてずば抜けた成績を残し、ヘッドハンティングされるほどのキャリアを築いていたが、ネットしかない場所で食べていく方法については完全に無知だった。

しかし、過去6年間ほどで、この何も無い、何も育たたない場所に根を張って、2人とも、「どこでも仕事を作り出し、生活していける方法」を自分なりに身に付けたと思っている。

そうした仕事の方法は、この場所に何も期待できるものが無かったからこそ、見いだせたものかもしれない。

こんな将来性の無い別荘地にずいぶん立派な新古品の山荘を高値で買ってしまったものだが、そこで単に悠々自適に暮らしながら片手間のように仕事しながら日々着実に得ている糧を見ると、誰よりも、この場所から"元を取っている"かもしれない。重要なのは、私も妻もそれぞれの仕事を「義務」や「重荷」とは認識しておらず、「何よりも楽しい遊び=趣味」として認識してることだ。

私たちが得た仕事の技術は、今現在の私たちの生活を支えるだけではなく、今後どこで生活しようと、世間で定年と言われる年齢を過ぎようと、死ぬまでずっと私たちの生活を支え続ける資産となるのだ。

そう考えると、不毛の辺境の地で「自由」を発見したともいえる。その「自由」は、魔法の絨毯のように生きている限りどこへでも持って行って、そこで展開できるのだ。たとえ異国の地でも。




ふと思い出したが、最初に正社員として雇われた会社(従業員数名の大阪の零細 IT 会社)で、入社直後に「なんでもいいから、事業のアイデアを考えて提出しなさい」と課題を出されたことを思い出す。当時はインターネット黎明期だったが、27歳のわたしはネットを活用した、極めて単純な商売のアイデアを出した。

その時、そのアイデアは一笑にふされた。今思い返せば、その時点で会社をやめて、そのアイデアどおりの商売をやっていても、サラリーマンをやるよりもはるかに簡単に収入を得れただろう、今も食えているだろうなと思う。そのビジネスモデルに世間で名前がつくのはそれから5年以上経ってからだ。

小銭を稼ぎ出すような小さなビジネスを考えるのは簡単である。それを信じて掘り下げれば、しばしば採算の合う規模の金脈に達するのだが、そこまでの確信を持てなければ、有効なアイデアでも放置されてしまう。

ビジネスとは単純で薄っぺらいモノであり、なんら複雑なものでは無い。単純で薄っぺらい事に他人よりも真剣に取り組んで、着実に実行できるかどうかだ。真剣に取り組み実行して行けば、時代が変わっても、その時代なりの花が咲く。

「職人労働」と「単純労働」

最近、自宅で仕事していて、自分がやってる「労働」には2種類あると思えてきた。

①職人労働 ・・・ 全身全霊で取り組むべきライフワーク的な仕事
②単純労働 ・・・ 事務作業のように惰性的に継続して仕事を続ければ良い単純な仕事

犬の病気や自分が寝込むといったプライベートの突発的事態がある場合、①「職人労働」は大きな影響を受ける。自分の創造性から発するクリエイティブな仕事は、プライベートで感情がかき乱される出来事が起こると中断してしまう。

一方で、②「単純労働」は、どんな事態が起こっても中断せずに続けられる。実際、昨年の一時期、ほぼ1か月ほど寝込むような事があったが、②「単純労働」の仕事は平然と続けることが出来ていた。極端な話、ベットの中でも出来るのだ。

"自分にしか出来ない仕事"という観点では、①「職人労働」の方が、大切な仕事なのだが、いついかなる時でも継続できるという点を見れば②「単純労働」はタフさがある。人生のどんな悪路でも走破して行けるのだ。

今まで、自分は②「単純労働」的な仕事をとても軽く見ていた。小学生の頃からなんらかの形でやっていたような原始的な仕事だからだ。①「職人労働」のような積み上げた知識と才能の資産のようなものは②「単純労働」的な仕事には乏しい。

だが、どんな時でも継続できると言う、悪路走破性が高い②「単純労働」的な仕事にももっと目を向けて良いと思えてきた。

大きなビジネスを行う起業家のような人々は、実は、①「職人労働」的仕事を追求した人々ではなく、②「単純労働」的な仕事を、人より多くスピーディーにこなす事を追求した人々が多いのではないだろうか?

また、仕事の中の①「職人労働」的な部分を、②「単純労働」化する努力も必要だろう。創造性を多少削っても、パターンにはめ込んで単純労働化して、いつ何時も継続して行ける形態にした方が結果につながる。

「1日30分」を続けなさい!人生勝利の勉強法55

古市幸雄・著『「1日30分」を続けなさい!人生勝利の勉強法55』のkindle版を聞きながら仕事している。



先日の植田統「45歳から5億円を稼ぐ勉強法」とあわせて参考にしている。



毎日数分のコマ切れ時間でも勉強に充てる事。

同じように仕事をしていても、このような習慣をつけている人とそうでない人では将来に大きな差が開く。
金額で言うと何億という差になる。

いずれも、中学生・高校生の時に身に付けておきたかった習慣ばかりだが、44歳になった今からでも遅くあるまい。

母親なども40代後半ぐらいからコツコツと英語を勉強して英検準一級を取っているし、姉もTOEIC950点以上を取っている。
自分も英語は昔から得意で、嫁のビジネスにおいては、海外ディーラーとのやり取りのメールなどをよく書いているが、本格的に勉強を始めてみようかと思っている。宅建などすぐに取れそうな資格も取ってみようかな?

仕事人の中の上位20%の学習能力を保ちさえすれば、経済衰退期・混乱期にも生き残れ食っていけるはず。
これからどうなるかわからない社会で生きてゆく上で、最大の武器は勉強だと肝に銘じたい。

別荘地のゴタゴタなど、将来性の無い場所の事は考えず勉強を続けよう。

植田統「45歳から5億円を稼ぐ勉強法」

自分にピッタリの本を見つけた植田統「45歳から5億円を稼ぐ勉強法」。
(この5億円という部分は、あくまで本を売るためのセールストークだと思うので無視した方が良い。)



この本の要点は、45歳から男は仕事上でターニングポイントを迎える。ここで仕事人としての立ち位置をリセットして、一から勉強しなおして、45歳~70歳の25年間、現役でバリバリ稼げるような仕事のスタイルを確立せよという内容。

最初、東大法学部の筆者の本なので参考にならないと思った。東大卒という時点である種の天才なので、試験秀才の唱える勉強法など、わたしのように試験大嫌いな人間には普通は参考にならない。でも、この人は大学の教授を兼任しているだけあって、どんな人間にもその力量・度量にあわせて応用可能な形で方法を説いており、この「5億」という部分も自分に見合った金額に置き換えればよいように読むことができる。

自分の場合、どの分野で今後25年間食ってゆくか?という部分はもう決めているので、この本の勉強のノウハウを取り入れて、日々時間を作りその分野により精通し仕事に取り組んでゆこうと思っている。「働きながら学ぶ」という点が重要。

20代前半、大阪の上新庄の家賃2万5000円の安ワンルームに住んで、ある職業を1年半、根をつめて勉強して目指した。バイトをしながら、毎日毎日取り組んで、1年半で収入6万円にしかならずにその職業を諦めた。それが、30代半ばになって再びやってみると、10年のブランクにもかかわらずそれで食えるようになっていた。20代に憧れた職業をやれている、それだけで幸せだ。でもまだ経験は浅いので学ぶことはたくさんある。日々働くことを通じてその分野を深め学ぶのだ。

無駄な趣味をそぎ落とし、仕事を唯一の趣味にして45歳からの第二の人生を生きてゆきたい。




「いまいくら持っているかではなく、なにで稼いで食っていくか」を考えられる人じゃないと、お金(が減ってゆく不安)に取り殺される。人生90年と見るならば、70歳どころか80歳手前までは働けるように今から計画を練っておこうと思っている。

いいかい、泥からお金を作るんだよ。


先日の記事の続きだが、99歳のユダヤ人のスーパー実業家お爺ちゃんの話。

このお爺ちゃんは、比較的裕福な家庭に生まれたが、すぐに父親が死に家族は貧乏のどん底へ。幼いお爺ちゃんは、「かならず自分の黄金時代を取り戻してやる」と決意し身を粉にして働いた。そんな日々、幼いお爺ちゃんが仕事に出かける時に、母親は「いいかい、泥からお金を作るんだよ。」と繰り返し諭した。

「泥からお金を作る。」これは言葉では表しにくいが、どんな小さなビジネスにおいても、本当にその通りなのだと思う。

泥のようにその辺に転がっているものに価値を見出すことが面白いからビジネスは面白いのだ。それには泥から何かを感じ取るデリカシーのある感性や、他の人とは違う角度から泥を観察するオリジナリティーが必要となる。また日々の気持ちの持ちよう・習慣・動作といったものまでが泥であり、やりかたによって自分の価値を高めてゆくものである。泥という意味は、未知のもの・自由度のあるもの・曖昧模糊としたものなどを総称する表現であり、すべては自分の心がけ・生活しだいという意味も含まれていると思う。