思い出の171号線

箕面171号線の今宮交差点から西へ石橋・伊丹まで、東は茨木まで。
マウンテンバイクでどこまでも走っていた10代~20代。
マウンテンバイクはやがてロータスエスプリなどの趣味車に変わったけど・・。

ケルアックの「路上」ではないが、171号線にいつもロードムービー的なものを感じていた。
吉野家や本屋の明かりを求めて、寂しく殺伐とした夜の景色の中を走ったものだ。
かじかみながらハンドルを握る手と、タイヤを介して感じるアスファルトの感触、排気ガスの臭い。
何も持たず、自分の能力もしらずに心細く生きていたあの頃が無性に懐かしい。



今も171号線を走ると、あの時の野心的な気分になってワクワクする。
今と同じで夢ばかり見ていたが、今よりもずっとハングリーだった。

田舎に住んでいると、かつて暮らした大阪の街はまるで別の国の世界。
あるいは、アニメ「AKIRA」に出てくるサイバーシティのように思える。
実家のある場所は、人気のスポットとなっていて、どんどん高層化して機械化されている。
今思うと、昔の千里ニュータウンは人口密度が低いおおらかな場所だった。
Salyuの「彗星」のミュージックビデオに描かれた行動成長期の寛容さ・豊かさそのものだった。



今、中心部から外れた171号線の場末を走るとホッとする。
10年前、20年前の風景を今も残しているのだ。店舗も変わっていない。
昭和の時代から続いている金魚やクワガタを売る店とかが驚いたことにまだ残ってる。

年末に実家に帰るたびに、フェリーニの映画「サテリコン」のセリフを思い出してしまう。
「はかなきものよ、こころを夢で満たそう。神々よ、なんと目的地から離れている事か。」
実家からはるか離れた山奥で暮らす私や妻、犬たちの生活も、
「サテリコン」の主人公エンコルピオやアシルトの生涯のように、一瞬の事である。



一瞬一瞬を大切に思い出に刻んで生きよう。

住む世界と夢見る世界

昨夜、2年ぶりに実家に帰った。
猟場だった千里丘陵を切り開いたニュータウンは、
自分にとって幻想を育んだ場所で、公園の一つ一つに
並木道の一つ一つに魔法が宿っている気がする。

そうだ、この場所ほど魔法を感じる場所はない。
子供時代を過ごしたこの場所はたしかに楽園であった。
だが、その楽園は、公営団地のマンション化によって
さらにいたるところ侵略されていた。あとは、空き地の
徹底的な有料駐車場化。

かつてあった、高度成長期が未来に向かって投げた
幸福な夢の中にまどろんでいるようなけだるさはなくなり・・・・

竣工したばかりの煌びやかな城のようなマンションが
次々に尖塔を天に向かって突き立てている。この侵略は
劣化ではなく、新たなサイバーで幻想的な天空都市の出現である。

楽園は時を経ても楽園であった。そのことにパワーを
与えられた。自分にとってこの場所はパワースポットで
あり想像力の源泉なのだ。

実家周辺があまりに煌びやかに変わっていたので、自分が一人
暮らしして野心をはぐくんだ場所にも行ってみたくなった、
江坂・中津へと新御堂筋線を車で走る。風景が10年前から
まったく変わっていない。逆に不思議な感じがした。

西中島南方・・・ゴクリと唾を飲み込んだ。
変わっていない。空気感もあの時のままで、歩いている人々も
あの時のままである。そこから自分が暮らしていたワンルームの
あった上新庄へと車を走らせる。まったく変わっていない。
10年前どころか15年前の物寂しそうな空気の中にも殺気
立ったものを感じる大阪の下町独特の雰囲気変わっていなかった。

ひさしぶりにストリートの空気にふれて昔のギラギラした自分を
少し呼び覚ますことができた。時々はこういった場所でもっと
ゆっくりと時間を過ごすべきだな。その時間を作っただけのかいはあった。

庭造りが、自分の想像の中にある楽園を展開することであるとしたら、
その想像力の源泉は間違いなく実家周辺で過ごした子供時代の
幻想が元になっている。あるいはヴィスコンティの映画に描かれた
城や町・・・。それらの楽園はリアルに今も存在している。

周りがどんなに荒れ果てようとも、自分の中に楽園を想像できる
かぎり、自分が今住んでいる敷地内にもその魔法に基づいた場所を
確立することができる。

妖精たちが絨毯に閉じ込めた理想郷を好きな場所に開封できるように・・・

「想像されたものはけして失われることがない」
「住む世界と夢見る世界が一体となる」
(クライブ・バーガー「ヴィーヴワールド」より引用)