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幸せな時間の記憶

今は他人の手に渡ってしまった実家の記憶・・・。
玄関から庭への垣根脇の細い通路は夏でもひんやりしていて、犬と子供だった自分はよくそこで時間を潰した。穴を掘るとその中がヒンヤリしているので、その当時の飼い犬だったシェルティーのトコが、私がスコップで堀った穴に鼻を突っ込む。その通路は、2代目の飼い犬のイングリッシュゴールデンのルークが夏を過ごす場所にもなった。共働きの両親はせわしなく働き、笑ったり怒ったり喧嘩したりしていたけれど、私に幸せな記憶を作る時間と場所を与えてくれた。

私が大人になって購入した山荘。バンビとクララという2匹の犬のために私たち夫婦はそこに住んだ。北海道から狭いクレートに入れて里子として送り出されたクララは、私の山荘に来た日、やせ細り疲れていた。凶暴で行く先々で犬や人を噛んできた彼女だが、その外面とは裏腹に、飼い主に対して無償の愛を捧げる内面を持つ心優しい犬だった。他の飼い主にもらわれる予定だったクララと数時間過ごして、どうしても私たちが飼ってあげないといけない犬だと思った。私と妻以外のあらゆるものに警戒心を抱く彼女は、この静かな山奥の山荘でしか飼えない犬だった。

そんなクララも、山の中の静かな生活に慣れて、家に安らぎを感じ、そこで静かな時間を過ごす事を楽しむようになっていった。とても美人で身体ががっしりして頑強な犬で、いつのころから私の事を愛情の眼差しで見つめて、頬っぺたを舐めてくれるようになっていった。

毎日散歩した。夏も冬も雨の日も。平日も休日も彼らと何時間も散歩した。
私は若く、犬たちも若かった。運動靴はすぐに擦り切れ2か月ごとに買い替えが必要だった。
私自身はその間、人生な様々な物事に翻弄され、そのたびごとに浮かれ喜び怒り悲しんだが、犬たちを100%満足させるためにたっぷり散歩する事だけは欠かさなかった。突発性の疾患で激痛の時や、めまいで世界がぐるぐる回っている時でも犬たちの散歩に行ったっけ。犬たちはクタクタになるまで散歩すると、その夜はグッスリと眠り、次の日も朝散歩とご飯の後は、夕方の散歩の時が来るまで幸せな夢を見るのだ。

今もそのサイクルは変わらないけれど、運動靴が擦り切れる事はめったになくなった。ふとした時に犬たちの老いを感じ、あの輝かしい日々がいかに幸せだったかを思い出す。

当時は、仕事や日常生活の色んな事でてんやわんやで、犬たちの引っ張る力も暴力的に強く、毎日が必死な日々。それを幸せだなんて感じなかったけど、犬たちが若くエネルギーに溢れていた頃の記憶を思い出すと、あの時代が私も犬たちも青春だったんだ、と思う。無いものねだりの私は、幸せな日々を「幸せだ」と素直に受け入れる事がその時は出来なかったのだ。

妻などはずいぶん前から毎年毎年を「今年が2匹で散歩できる最後の年になるかもしれない」と思って生活しているのだと言う。




5年後、10年後には間違いなく、バンビとクララと過ごした日々は、人生最良の日々だったと思い返すであろう。彼や彼女の人生は、すでに過ごしてきた十数年よりははるかに短い期間しか残されていない。そのことを想うと、寂しさに胸が張り裂けそうになる。

今後、私が年老いてどんな人生の辛い局面が来た時にも、バンビとクララの笑顔を思い出すだろう。木漏れ日と、自然の音に溢れていたあの山道を来る日も来る日も歩いた日々の記憶。私が、あまりかまってあげられない時でも、2匹で励まし合って生きた姉と弟の友情の記憶。

彼らとの残された時間を毎日毎時間、大切に生きよう。