人間は後悔する生き物・・・でも安心して良い・・・


人間は、新しい何かを得た喜びよりも、それにより失ったものに執着して、後悔する生き物だという文章を読んだ。何かを得る喜びよりも、失う事の後悔の感情の方が勝ってしまうのだと言う。この世では、何かを得るためには、何かを失う事が必須なため、どんなに恵まれた環境にいるように見える人でも心の中は後悔でいっぱいという人が少なくないだろう。

その文章のキモは、「だから何かを失ったことに後悔していたとしても安心して良い(=後悔しているからと言って、新しい道に進む判断が誤りだという事にはならない)、それが新しい人生を受け入れる際の正常な反応なのだ。大切なのは、今の状態を最善にするために努力する事だ」というところだ。



話しはまったく変わるが・・・

ひさしぶりに興味惹かれる車、新型シビック タイプR。
本心で言うと、S660でも十分なのだが、軽は妻が嫌がる。少々値ははるが、すぐに買うものでもないので新型シビック タイプRに心惹かれながら日々を過ごしている。

1年~5年ぐらいのスパンをかけて、30代~40代前半にため込んだ色々なものを整理して、生活をリセットしたいと思っている。そして心惹かれるもののみを残す。

車と言うのは、もっともシンプルにストレス解消し気分を高揚させてくれるツールなので、何か一つに絞るなら楽しめ愛せる車を1台持ちたい。だが、昔のように何十年前のヴィンテージカーを修理しながら乗るのは負荷が大きすぎる。新車で購入でき、日本車で、シンプルに維持できる非日常的な車。この要素を満たしてくれる車が今のところ、シビック タイプRだ。

仕事場とガレージが一体になった空間を実現できればなお良いが、そう考えるといろんなものを背負いこむことになるのでシンプルでなくなるだろう。なにかを背負い込めば何かを失う。何かを失えば後悔する。

できるだけ失うものが少なくてシンプルに所有し楽しめる形態を考えよう。田舎なので、置き場所に費用はほとんどかからない。





海外ドラマを見ながら仕事するのが楽しい。今、仕事に順調に集中できているのでこの状態を今後何年間も保っていこう。一度リズムが崩れると立て直すのに何か月もかかる。モノも順調に処分して徐々にではあるが身軽な状態になっている。

最終的に数年後に、この山荘を買った当時のように素の状態に戻せればよい。たとえすぐに他へ移らなくても、定住を続けるにはあまりに気味悪い雰囲気になってきたスラム街化別荘地からいつでも移動できる状態にしておくことが精神を健康な状態に保つことに繋がる。

播磨自然高原

高校デビューする大人には気を付ける。

私が、「この場所で自分に寄ってきた人物たちに特徴がある。最初は良い人に見えたけど、私たちに利用価値がないと判断したときの豹変ぶりもすごかったね。」と妻にグチると、妻は「あの人たちはみんな高校デビューしたいんだよ。」と語った。

この年になってはじめて知った高校デビューと言う言葉。

中学時代は、いじめられっ子でイケてなかったのに、高校に入ったのをきっかけにキャラ変えを目論むような人を言うのだ。それを大人になってやる人を「高校デビュー」って言うんだって。私が今住む場所では50代の人々で「高校デビュー」を目論んでいる人が幾人か、私たちの前にやってきて去って行った。

・居住歴は長くない。経歴などを自慢して自分を売り込むが、実力が見えない。仕事があるように見えない。時間はありそう。
・やたら自治組織がらみの政治に関わりたがる。「この場所を良くしたい」と言う。その内容はころころ変わる。
・異様なほど"この場所だけ"で活動的・社交的。 空き地を安く買って何かをやりたがっている。
・私たちが人付き合いがなく、数の力が無く、その人を応援する気も無いと知ると、態度を豹変させ履き捨てるように扱って去る。

特徴はこんな感じだ。

この場所には、「この場所は掘り出しものだ。」「この場所では自分はデカくなれる」と思わせる何かがあるらしい。社交面・金銭面・政治面で大きくステップアップできる絵を描いているようだ。10万以下の安値で土地を買ってるが、その土地をステップアップの土台にしようとしているフシがある。(価値が無いから安いと思うのだが・・・)スキルがあるなど口では言うが、実際の実力が何も見えない。(これから見せてくれるのかも。)

この人たちが、どんな今後、どんな飛躍を見せるのか楽しみではある。気を付けなければならない相手だと思うが、こんな退屈な場所で、少しぐらいは興味をそそる観察対象があっても良い。




関係ないかもしれないが同時に思い出した話。

実話怪談によく出てくる低位霊は、人を利用してステップアップを図ろうと常に企んでいる。低級霊だからステップアップして上級霊になりたい。自分に利用されてくれる親切な人を探している。

低位霊(低級霊)に憑りつかれやすい人は、ネガティブ・菜食主義・物が多い・元気がない・精神不安定・焦りすぎている・アルコール過多など特徴がある。アルコール・焦りすぎている以外の部分はあてはまっている事も多い。

低位霊に憑りつかれたくなければとにかく動く事。掃除が一番いい。



人生の長期計画は立てるな ~ 明日のランチの心配をしろ

4回ぐらい読み返しているビジネス書がある。

ユダヤ系トルコ人の実業者の99歳のお爺ちゃんが孫に語った、成功する人生の習慣・心がけのようなものが書かれた本。

そこに書かれている事の半分は、嫁が常々私に言って聞かせてきたことでもある。嫁は経営者の家に生まれて、若い頃は自分でも会社を経営したり、結婚直前は某企業で男も含めた全国の営業部隊の中で記録的な好成績を叩き出す営業マンだったりしたので、いわゆる実業家脳が身についている。

嫁は、人生計画は短期思考で、今日楽しい事、明日楽しいことを考えていつも明るく生きている。一方、犬たちはというと、今楽しい事のみを考えて生きている。老化して、足腰が弱ってきても、とにかく散歩の時は無我夢中で楽しむ。

前述のビジネス書でもユダヤ系トルコ人のお爺ちゃんも語っているのが、人生の長期計画は立てるなということ。遠い将来まで考えれば、迷ったり不安になったりするし、何よりも今現在を基準に考えるので創造的ではなくなる。たとえば工場労働者が一生その工場で働くことを考えて生活すれば、そこからの飛躍は無い。またそうした思考で生活していると、ケチ臭くなったり、人間そのものも薄っぺらく貧相になるのではないか?

人生には、良いミラクルがたくさん起こるし、悪い事(授業料を払わされること)もたくさん起きる。将来のイメージを固定化してはいけないのだ。それは人のやる気を失せさせ、人生を悲観的にさせ不幸にもする。

100%仕事に打ち込んでいる前提だが、人生計画はせいぜい1か月ぐらい先までで良いと老人は言う。一方で、ビジネスの計画は長期的に考えても良い、と言う。

この本にはこの他にもためになることが多いので、その思考が身についていくまで読み返そう。



残りの人生をリタイヤ生活と考えてみる

会社勤めしていない自分がピンと来ないのがリタイヤ生活と言う言葉だ。
と言っても、20代~30代の頃に派遣社員や会社勤めしていた頃も会社のために人生をささげるという気は全くなかったので、会社のパソコンでほぼ一日好きな事をやって遊んでいたと言ってもいい。

とくに20代の派遣社員の頃は財閥系の企業に出向しながら数か月間~半年間もPCの前で待つ時間が多かったので、そこで知り合った華僑出身の友人とひたすら自分たちの事業の作業をしていた。そのころからずっと仕事=趣味だから、自分の仕事に対してはワクワク感しかない。

逆に退屈で面白くないのは、結果を伸ばせる仕事に100%集中できずに、ルーチンワーク的な仕事をマンネリ化しながらやっているときだ。

毎日、起きたい時間に起きて寝たい時間に寝る。起きている間は好きな事をやる。最近、自分の生活ってもしかして俗にいうリタイヤ生活なのではないか?と思えてきた。自分を束縛するものは大型犬の世話だけである。それも好きで飼っているのだ。

であるならば、リタイヤ生活という視点で人生を見てみるのも面白いかもしれない。自分が自由であるか否かは、まったく意識の問題なので物理的な問題ではない。心の持ちようなのだ。

リタイヤ生活をしたら何をやりたいだろう?

いろんな面を向上させたいが、今と基本的は同じ生活をしたいと思うだろう。
一番重要なのは、自分はリタイヤしているんだ、自由なんだ、残りの人生好きに使ってもいいのだという意識を持つことだけだ。

心躍る場所・モノに触れる意味

20代の頃、よく一緒に遊んだデザイナーの友人がいた。
彼女は、土臭い南大阪の片田舎に住みながら、大阪のミナミで服飾デザイナーと
して働いていたが、必ず数か月に一回は夜行バスで東京に行っていた。

その話を聞いても、自分はピンとこなかった。
なぜ東京に行くんだろう?東京ってそんないいものかな?

今、田舎に住んでみてわかる。
クリエーターなど感受性の豊かな人間は「心躍る場所・モノ」
に触れていないと、心が腐ってくる。

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プリズン・ブレイクを見てると、マイケル・スコフィールドという主人公について・・・
「彼は、一つの事に触れると、それを発想点にして想像力を膨らませ・・・
 奥の奥まで見通してしまう。このような思考を普通の人がしたら
 精神を病んでしまう。」と女医が分析する場面がある。

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クリエーターは、1の事を100とか1000に膨らませることが出来る人間だ。
犬の顔を見ても、普通の人は目が真ん丸で可愛いねで済むところを、
芸術家なら皮膚の凹凸にギリシャ彫像のような優美なラインを見出すかも
しれない。とにかく連想力が膨らめば膨らむほど、良い作品になる。

そのような思考の人間は、良いモノを見たり良い場所に行ったりすると、感動がすごい。
心が躍って、その後何日・何週間かは夢見心地のような気分になる。
(反対に醜いものを見たときのそこから負のイメージを膨らませることによる精神的ダメージもすごい。)

そういえば実家にいたころ、自分は近所の豪邸を見て回るのが好きだった。
自分の家は小綺麗だったが、ハウスメーカーの企画商品で本物ではなかった。
何百軒もある家の中で2、3軒、自分が本物と認める家があり、その家の前を
通ると、心が恍惚とした気分になり、ワーグナーやマーラーの音楽が心に
響いてきた。

それが日常だった。何も無い誰にも評価されなかった若い頃は、
そうやって環境からパワーを得て自分に思い通りの未来を創造する力を与えていた。

そうして、月に1回は、自転車を走らせて171号線を走り、
東灘の高台の彫像が並ぶ屋敷(偶然だが妻が幼い時によく
遊びに行っていた家だという)を見に行ったり、神戸の夜の異人館
を歩いて、より爆発力のある刺激に触れたりもした。

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そんな体験をできる場所が、今、自分が住んでる場所にあるかと言うと無い。
これでは心に潤いがなくなり乾いてしまう。多くの人々が田舎に住みたくない、
都会に住みたがる意味はこれである。

だからこそ、自分は田舎でもそこらでは見ないような庭を作りたかったし、
ちょっと見ないような趣味車を置いたり、昭和時代に、当時は自動車の新車
ほどの値段がした戦車の高級ラジコンを書斎に置いたりしているのだ。
これは心躍るもので心を潤したいという無意識的な衝動だったのだろう。

ヴィスコンティが「ルートヴィッヒ」を撮影するとき、最初「すべてはオモチャに過ぎない」
という題名を考えていたという。だが、篠山紀信の写真集を見てもわかるが、
ヴィスコンティ自身の家もまたルードヴィッヒのように趣味性の強い家(=オモチャ)なのである。



ルードヴィッヒ2世のような芸術家の心を持つ王は、愛するワーグナーの世界を
ババリアの田舎に展開し、夜、雪山を照らす月を眺めに灯をかかげた馬車を
走らせなけばならなかった。ルードヴィッヒ2世の心がそれを求めていたのである。
ルードヴィッヒ2世が夜を好んだのは、醜いものが見えなくなるからだろう。
その暗闇の部分を彼自身の想像力で埋めることができた。

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これからは意識して、心躍る場所・モノに触れることをしよう。