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時間が止まっている人にはならない


 時間はいつ何時も流れている。目の前の河の水の上を落ち葉が流れていても次に瞬間には遠くに流れて行ってる。

 世の中には「①時間を止めて見守るべきモノ」と、「②河を流れる落ち葉のようにやり過ごして良いモノ」と2つがある。




 世の中のほとんどのものは②の「②河を流れる落ち葉のようにやり過ごして良いモノ」である。

 たとえば野生動物は、人間みたいに何度も何度も同じものを見つめ続けたりしない。

 ほとんどの物事を、その場その場でやり過ごしているのだ。彼らにとって世界は刹那刹那で変化している。
 その刹那刹那を生き延びるのに必死なのだ。たとえば昨日出会った芋虫も今日には蛹になり、蝶になっているように、何物も命ある限りその姿で留まってはいない。

 一方、大脳支配の生物である人間はしばしば、ある種の物事に対して時間の経過を無視した認識をする。
 他人や自分が年老いて死に向かっている事すらしばしば忘れる。昨日出会った人も、今日はすでに同じではない。

 世界を眺めるとき、小さな次元でも、大きな次元でも、時間が経過している事を意識しておかなければならない。




それと同時に、過去に対する認識も変えなければならない。

人間はしばしば、現在が過去からの継続のように考える。

だが、スティーブンキングの小説「ランゴリアーズ」のように、過去は怠け者を食う怪物によって常に食われてゆく。
我々はランゴリアーズから逃れて、つねに未来へ未来へと逃避する生物である。

すでにランゴリアーズに食われてしまった過去によって、現在が害されてはならない。




武田教授の「昨日は晴れ、今日は朝」を心がけよう。

憂鬱な事があっても、その体験はランゴリアーズに食われて分解された過去の遺物である。
そんな過去は「晴れた良い日だった」と思う込もう。そして今は清々しい朝なのだ。

時間を金(きん)に換えるか、ゴミに換えるか?

時間を金(きん)に交換する事も出来るし、何にも交換しない人もいる。積極的にゴミに交換する人もいる。
短期で見ていても、時間を金(きん)に換える人と、ゴミに換える人の差はわずかである。
だが、長期で見ると確実にその差が生じ、誰の目にも明らかになる。

40代、50代、60代、歳を経るごとに、時間を金に換え続けた人と、そうでなかった人の違いは明確になる。

いくら上辺を有能な人物と装っても、3年、5年、10年と経ってみてやってる事を見ると結果が明らかになる。
大言壮語を吐いた人がその時にどうなっているか見るのはある意味で楽しみである。自分もまたそのように見られているのである。

5年前よりも良くなった、10年前よりも良くなったと誰の目にもあきらなかような時間の使い方をしなければならない。

竹馬を作れと言われて、さっさと1時間かけて竹馬を作っても良いが、半年もかけて竹でリアルな馬を作ってはいけないのである。
竹で作ったリアルな馬は自己満足の産物であり、気味が悪いゴミなのだから。

ゴミを作らないための指針となるのは、それが付加価値を生み出しているか否かである。

 たとえば、私は4年前にスラム化別荘地を憂いて外構を綺麗にしたが、そこで妻が撮った写真は、湘南のドッグショップや、フランス領レユニオン島のドッグショップはじめ、多くのショップに盗用されている(盗用されるのはその写真が価値がある証である)。ドッグウェアメーカーにリポストされたり、掲載依頼を受けた事も数知れない。インスタのフォロワーは、1000台だったのが今は2500を超えている。

 贅沢な外構だったが確実に元を取っていると言える。

何が起ころうと淡々と正しい努力を継続する

千鳥の漫才にこんなセリフがある。

ノブ「竹馬つくれ言われて、竹馬作らんと、竹でリアルな馬つくるんか?」
大悟「(竹でリアルな馬つくって)何がおもろいんや?」
ノブ「何もおもろない、時間を無駄にすな!」



努力というものは、正しい努力をすべきであって、正しくない努力をするとまさに「リアルな馬を竹で作る」結果になる。

人間は弱いモノだから、何かがきっかけで「リアルな馬を竹で作っている状態」に陥る事がある。

そうなった時でも「これはリアルな馬を竹で作っているな」と気づけば、正しい努力にすぐさま戻るべきである。



人生というものはいろんな邪魔が入る。どんな雑音に邪魔されようと、正しい努力を淡々と継続できいたものには必ず結果がついてくる。

気が散っても、つねに「正しい努力」に軌道修正し、淡々と努力を続けてゆこう。

顔は笑っているけど目が笑っていない


司馬遼太郎の「国盗り物語」のエピソード。

比叡山の修行僧だった斎藤道三が野に下って山崎の油売りとして成功を収めた後、そのあまりの成功が旧勢力(神社勢力)の嫉妬を買い、旧勢力は道三にみかじめ料を請求。それを拒むと忍者を送ってくる。その忍者は、神人とよばれる神社子飼いのアウトローであった・・・・。




もう10年以上前に妻が結婚直前まで勤めていた会社の話。
今でもヤフーの第一面のニュースにも時々登場するその会社。

社員を酷使するブラック企業としても知られているが、妻は営業成績を上げ入社半年で社長室に入るようになった。

この社長、日本一どころか世界有数の企業経営者といっても過言ではない人物。
本業がピークアウトした後も、そこで築いた資源をもとに米国の某業界の利権(トランプさんとも関係がある業界)にあまりにもうまく食い込んだ結果、昨今は虎の尾を踏んだ状態になっているが・・・。

この人物は、戦国時代で言えば、斎藤道三や明智光秀のような人物かもしれない。
元は技術屋だったが、一代で全てを築いた。




道三の例と同様に、某業界であまりにも目立った存在となったこの会社に、某勢力(けしてヤクザのようなアウトローではなく、戦国時代の神社のような日本において超越的な権威ある集団)は役員を送り込んでくる。

そしてその役員を受け入れたとたん、社長のスキャンダル記事が雑誌を賑わすようになり、社長の地位が脅かされる。




こうして、高い地位にのぼりつめると、いつ人に寝首を搔かれるかわからない状態になる。

妻は、この社長に会った時、「顔は笑っているけど目が笑っていない」と思ったと言う。

「安物買いの銭失い」 + 「餅は餅屋」

ドライブ中に嫁から聞いた話。




嫁が昔、工務店で働いていた頃、壁紙の張替えのリフォームをある男性から依頼された。

その男性宅を訪れると、壁紙が張替え途中のまま放置されており、道具などが室内に散らばっている。

嫁「あの・・・壁替えが張替え途中のようですが・・・」
男性「実は・・・」



男性が話した内容はこうだ。

男性は、壁紙を自分で張り替えると安くできると思い、道具一式を揃えて壁紙の張替え作業を開始したが、壁紙の糊の成分が身体にあわずに作業を中断。男性は体調を壊して入院し、先日退院してきたばかりだという。




壁紙張替えの工事の見積もりを嫁が男性に提示すると、男性は驚いた顔をして言った。

「え?こんなに安いんですか?自分が準備した道具や材料だけでこの3倍なんですけど・・・。」




「餅は餅屋」と言うが、わたしも外構工事の時に、施工業者の見積もりを見てビックリした。

「え?こんなに安いの?」そして、その仕上がりにも驚いた。




軽薄な人間は、自分が知らない分野の事を軽く見る癖がある。
どんな分野でも、それに秀でた人の仕事は、その内容に比較して早くて安くて完璧である。
その境地は、けして生半可なDIYでたどり着けるものではない。

たどり着けないのは、技術もさることながら・・・
多くの場合、そのコストパフォーマンスにおいてもプロを凌駕することはできない。