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量ではなく質 ~ 『贅沢さ』を演出することが大事

ドライブが大好き、なので専用のスポーツカーを所有したい。
ドライブはそれ自体に何の魅力も無い田舎で暮らす事の唯一の愉しみであると言っても良い。
車次第で生活満足度が違ってくる。ゆえに車&ガソリンにはお金をかけるべきなのだ。



・ヴィンテージカーの場合:修理で苦労する
・シビックタイプRなど新車のスポーツカーを趣味車にした場合も
 2台体制になり、洗車・保管などの手間で嫌になりどうせ手放す
・台数が増えると、家の前で過ごす時間が増える。
 →別荘地のスラム化した側面と接する機会が増えて気分が悪くなる。



足車と趣味車を1台でこなせる車を買えばいいのでは?



趣味車と生活用途の一体化 ~ 新型ミニのジョンクーパーワークス

新型ミニのジョンクーパーSもしくはワークスあたりなら、
趣味車と生活用途を一体化できるのではないか?

特別仕様車もしくはワークスあたりを選んでおけば、
車がオシャレなので、庭の撮影用にも良いかも。

次期メイン車は新型ミニ(できればワークス)で考えよう。
趣味車をクヨクヨ考える事はやめにしよう。



自由が増える40半ば以降の生活はキャンプ・BBQ・旅行を増やす

今後の人生はドライブ・キャンプ・旅行に費やす時間が多くなる。

1か月1度は必ず泊りの旅行に行きたい。

そうした時間の質を高めるには、車の選択がとても重要になる。

単に移動できればいいではダメなのだ。



量ではなく質 ~ 『贅沢さ』を演出することが大事

ところで・・・大きなカーポートの真ん中に車を一台止めて生活するのはとても贅沢な気分になる。

40半ばからの生活は、『贅沢さ』を演出することが大事かも。

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やっぱり車は大事。シャトルも気に入っていて、とても良い車なので乗り換えのタイミングもよく考えよう。

理不尽を気に病むかわりに「世の中は理不尽なものである」と考える

「甘やかされる」の意味

妻との会話シリーズ・・・・

・私は、子供の時にいろんな玩具などに憧れたが、親に望みのものを買ってもらった記憶がほとんどない。
・妻は、子供の頃から現金を渡されていたので、望みのものを自分で買いに行っていた。

これだけ聞くと、妻は甘やかされて育った子供の用に思うが、圧倒的に私の方が甘やかされていたと思う。

「甘やかされる」という事の意味は、飼い犬が飼い主を信頼するように、『親は自分を裏切らない』と思い込むような環境で育つ事ではないか?

たとえば、親が子供に「誕生日にはファミコンを買ってあげる。」と言って、誕生日にファミコンを買ってあげないのが「甘やかされない」という事ではないか?
妻は、子供時代に、このような親の裏切りを数限りなく経験した結果、「世の中は理不尽なもの」という現実を叩きこまれたのだ。

妻のこのような現実感は、彼女が営業マンとして優秀であった事と無関係ではあるまい。


「世の中は理不尽なものである」とわかっている人間は一段上から世界を見ることができる。

「世の中に正義はある」「人は信頼できる」などと思っている人間は、甘やかされて育っているのである。

その純粋さがその人間の良さである事はたしかだが、実際には世の中は理不尽であるし、人も信頼できないものである。

「世の中は理不尽なものである」とわかっている人間は、一段上から世界を見て動くことができる「策士」になれる。

「常識が通じる世界」や「道理が理解できる人間」などを夢想したり期待してはいけないのだ。

大人になって、そうした事を多少なりとも期待していいのは、妻や夫、夫婦関係においてだけだ。

わがままに生きないと、人生のどこかで帳尻が狂う

母方の祖母は苦労の人だった。

祖父は「江戸っ子気質」の遊び人タイプだったが、祖母は真面目に教師として働き、財産を築き増やし、放蕩息子2名(うち一人は売れない役者)などの金食い虫にたかられながらも家族を支えた。

祖母は、茶室を作り茶道をたしなむ以外は、お金を使わず質素に暮らして、自分の息子や孫の心配ばかりしていた。

こうして自分を殺してまわりにばかり尽くしていた祖母の人生を、母は今でも悲しみ、「人間はわがままに生きないと、老いてから不満が爆発するものよ。」と私によく話す。

わたしは、かなりわがままな方ではあるが、我慢強い面もある。母は、私が子供の頃、まわりの子供がお金をもらってお菓子を買って微笑んでお菓子をほうばっているのに、わたしだけがお菓子を買わずに、涼しい顔をして「お金をためて~の玩具を買いたい」と言っていた話をしてくれた。

ちなみに、わたしの父も、仕事は真面目にやるが、しっかりと遊ぶ「遊び人」タイプである。




ドライブしながら妻と話していて、自分の記憶の中に多いのは、「喫茶店のモンブランに憧れていたけど、結局食べさせてもらえなかった」とか、「釣りのための一流の道具をたくさん集めたけど、結局、その道具で釣りをした記憶はほとんどない」とか、「高級RCカーを買ってもらったけど、大切にし過ぎてそれを走らせて遊んだ思い出はないし、結局走らせないまま飽きてしまった。」等の記憶が多い。

「楽しみ」と「禁欲」を目の前に置かれた時、不必要に「禁欲・我慢」を選ぶことが多い。自分では「楽しみ」の極大化を図るために「禁欲・我慢」をあえて選ぶパターンが多いが、結局純粋に何かを楽しんではいない。こうした面に、母方の祖母の血が流れているのかもしれない。




「わがままに生きないと、人生のどこかで帳尻が狂う、人生のどこかで我慢が爆発する。」
母のこの言葉は、しっかり覚えておこう。



仕事以外の趣味で唯一楽しかった経験

人生の中で、本当に楽しいと思えた事がたしかにあった。2007年~2008年ごろに、わたしは明石に住み、ある英国製スポーツカーを所有しており、その車の状態は抜群に良くいつ乗っても壊れなかった。毎週乗って神戸~大阪の町中を走るのがとても楽しかった。イングリッシュゴールデンの介護やその死を体験して悲しみにくれて、湿気の多い別荘地はそのような車を所有する環境として最悪だったこともあり、情熱を完全になくして手放してしまったが、たしかにあの車を所有していた時は楽しかった。

人生で唯一の、仕事以外で心底楽しんだ経験かもしれない。

精神世界を乱さない生活習慣

犬の介護をしていると、時間と体力を(ついでにお金もたっぷり)奪われるが、永遠にそれが続くわけではないので、分別を学ぶ良い機会だ。

交通事故・脳梗塞 → 一生半身不随で家族に迷惑 、 不摂生 → 一生病院通い....等々、小さな過ちで一生重荷を負うような事が人生にはある。若い時は体力とバイタリティで乗り切れても、中年・老年になってそうした災難に襲われると、取り返しがつかない。

そうした様々な過ちの可能性をできるだけ小さくするために、重荷を増やすような選択肢をなるだけ除外して、人生における行動をミニマムにしてゆく事が必要だ。




私の場合、仕事に関しては、場所も選ばず、PC一台あればどこでも働ける。しかも仕事に向かう時が最大の楽しみでもある。

最大の楽しみを追求しながら、その楽しみを自らの思慮の浅さで奪わないような環境を、クララの介護をしながら考え、作ってゆきたい。

単に、モノや趣味などを整理して、新しい事(新しい犬を飼ったり、趣味車を新たに購入するなど)をしないだけではなく、精神面でも世界観を自分の都合の良い様に狭める事も必要だ。

宮崎駿はTVを見ないし、ネットをしないし、ツイッターを見た事もないそうだ。仕事で何かを為そうと思えば、自ら視界を狭める事も必要なのだ。自分の精神世界を乱さない生活習慣を作っているのだろう。

メルヘンチックな生活を守る事

10月の夜をあいかわらずバンビと散歩している。

クララは、ほんの数週間前までなんとか一緒に散歩をすることが出ていたのだが、今はバンビの散歩中、自宅のベッドの上で妻とボール遊びをして静かに過ごしている。

数週間前、なんとか歩くことが出来たクララを連れて、地元の野原を散歩したとき、草むらにカエルがいた。
クララは、自分が不自由な身体であることも忘れて、カエルに夢中になっていた。重い病気の最中にあっても、彼女にとって世界はキラキラと美しく煌めき、神秘と魅惑とスリルで満ちているのだ。

私はと言えば、40代も半ばになり、500年生きた吸血鬼のように色々な事に無感動になってきたと感じる事が多いが、犬たちと暮らす喜びは少年の頃と変わらない。

散歩をしながら、犬の目を通じて世界を見れば、街灯に照らされた路地の一角は物語を紡ぎだす一シーンとなり、夕暮れの町の香り、人々のざわめき、夜の木々の揺らめき、ギラギラとまぶしく光る月など、なにげない町が魔法で満ちてくる。

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そして、犬たちと暮らす山荘もまたおとぎ国の世界である。アイアンゲートで喧騒と荒廃の外界と遮断されたわたしたちの生活は、通勤とも、政治とも、近所のシガラミとも、別荘地の内紛とも無縁のおとぎの国であり、トイプーのつっくんなど騒がしく可愛い登場人物とたわむれながら気ままな日々を送っている。




クライヴ・バーカーの小説「ヴィーブワールド」の中には、絨毯に隠された楽園・綺想郷(フーガ)が登場するが、わたしの山荘もアイアンゲートによって外界と遮断された綺想郷であろう。

アイアンゲートの外の世界がどんなに荒れようと関係ない。

アイアンゲートの中の"メルヘンチックな生活を守る事"、それが今までやってきたことだし、これからもやってゆきたい事だ。