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わがままに生きないと、人生のどこかで帳尻が狂う

母方の祖母は苦労の人だった。

祖父は「江戸っ子気質」の遊び人タイプだったが、祖母は真面目に教師として働き、財産を築き増やし、放蕩息子2名(うち一人は売れない役者)などの金食い虫にたかられながらも家族を支えた。

祖母は、茶室を作り茶道をたしなむ以外は、お金を使わず質素に暮らして、自分の息子や孫の心配ばかりしていた。

こうして自分を殺してまわりにばかり尽くしていた祖母の人生を、母は今でも悲しみ、「人間はわがままに生きないと、老いてから不満が爆発するものよ。」と私によく話す。

わたしは、かなりわがままな方ではあるが、我慢強い面もある。母は、私が子供の頃、まわりの子供がお金をもらってお菓子を買って微笑んでお菓子をほうばっているのに、わたしだけがお菓子を買わずに、涼しい顔をして「お金をためて~の玩具を買いたい」と言っていた話をしてくれた。

ちなみに、わたしの父も、仕事は真面目にやるが、しっかりと遊ぶ「遊び人」タイプである。




ドライブしながら妻と話していて、自分の記憶の中に多いのは、「喫茶店のモンブランに憧れていたけど、結局食べさせてもらえなかった」とか、「釣りのための一流の道具をたくさん集めたけど、結局、その道具で釣りをした記憶はほとんどない」とか、「高級RCカーを買ってもらったけど、大切にし過ぎてそれを走らせて遊んだ思い出はないし、結局走らせないまま飽きてしまった。」等の記憶が多い。

「楽しみ」と「禁欲」を目の前に置かれた時、不必要に「禁欲・我慢」を選ぶことが多い。自分では「楽しみ」の極大化を図るために「禁欲・我慢」をあえて選ぶパターンが多いが、結局純粋に何かを楽しんではいない。こうした面に、母方の祖母の血が流れているのかもしれない。




「わがままに生きないと、人生のどこかで帳尻が狂う、人生のどこかで我慢が爆発する。」
母のこの言葉は、しっかり覚えておこう。



仕事以外の趣味で唯一楽しかった経験

人生の中で、本当に楽しいと思えた事がたしかにあった。2007年~2008年ごろに、わたしは明石に住み、ある英国製スポーツカーを所有しており、その車の状態は抜群に良くいつ乗っても壊れなかった。毎週乗って神戸~大阪の町中を走るのがとても楽しかった。イングリッシュゴールデンの介護やその死を体験して悲しみにくれて、湿気の多い別荘地はそのような車を所有する環境として最悪だったこともあり、情熱を完全になくして手放してしまったが、たしかにあの車を所有していた時は楽しかった。

人生で唯一の、仕事以外で心底楽しんだ経験かもしれない。

精神世界を乱さない生活習慣

犬の介護をしていると、時間と体力を(ついでにお金もたっぷり)奪われるが、永遠にそれが続くわけではないので、分別を学ぶ良い機会だ。

交通事故・脳梗塞 → 一生半身不随で家族に迷惑 、 不摂生 → 一生病院通い....等々、小さな過ちで一生重荷を負うような事が人生にはある。若い時は体力とバイタリティで乗り切れても、中年・老年になってそうした災難に襲われると、取り返しがつかない。

そうした様々な過ちの可能性をできるだけ小さくするために、重荷を増やすような選択肢をなるだけ除外して、人生における行動をミニマムにしてゆく事が必要だ。




私の場合、仕事に関しては、場所も選ばず、PC一台あればどこでも働ける。しかも仕事に向かう時が最大の楽しみでもある。

最大の楽しみを追求しながら、その楽しみを自らの思慮の浅さで奪わないような環境を、クララの介護をしながら考え、作ってゆきたい。

単に、モノや趣味などを整理して、新しい事(新しい犬を飼ったり、趣味車を新たに購入するなど)をしないだけではなく、精神面でも世界観を自分の都合の良い様に狭める事も必要だ。

宮崎駿はTVを見ないし、ネットをしないし、ツイッターを見た事もないそうだ。仕事で何かを為そうと思えば、自ら視界を狭める事も必要なのだ。自分の精神世界を乱さない生活習慣を作っているのだろう。

再び・・・自分の「物語」を紡ぐとき

余命宣告の3ヶ月を経過したクララは、不自由ながらも、余生とも言うべき安定した日常生活を送っている。
妻と相談し、週3回の通院は妻とクララの2人旅で行ってくれることになった。クララが死ぬときはどうしても一緒に居たいようだ。

私は、3か月ぶりに自分の生活に戻ることが出来た。
思えば、クララが元気だったころは暴力的に元気なクララの世話、クララがバンビに突進してバンビが靭帯を痛めバンビの通院、そして今、クララの介護と・・・最初から最後まで手間のかかる『娘』である。バンビと家で留守番していると、バンビは大人しくほとんど手間がかからない。

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朝ご飯食べたバンビ #weim #weimaraner #ワイマラナー #いぬ #おはようございます

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今ふと思うと、10年余りの間、私はバンビとクララの2匹の犬が紡ぎだす「物語」のために生きていたのかなと思う。それは、子供を育てる親が、子供の「物語」を生きているのと同じだろう。

私の「子育て」は終わろうとしており、今再び、自分の「物語」に戻りつつあるのだ。




それ以前の私はどんな「物語」を生きていたのだろう?

20代半ば~30代初頭、その時代の私は「自活」するための闘いと野心の日々だった。

そうした野心の日々の中で、さまざまな人々との出会いもあった。2000年頃のバイト先での眼光鋭い「老バブル紳士」との出会い、2003年後には派遣先での華僑の「山師」との出会い、そうした人々と出会い働く中で、就職とは違う方法で、社会の中にむりやり自分の居場所をこじ開けて行った。




今再び、野心的な日々(本格的なビジネス)に戻りたいと言う内的な欲求が膨らんでいる。

野心的に働いている時ほどの快楽を、他の何物からも得られないからだ。

過去から学んだ教訓もある。

・ 魅力的なモノに心を奪われない事。
  ※具体的には、不動産・趣味車などに手を出さない事。

・ 別荘地と言った「場所」に固執しない事。
  ※別荘地で暮らしていても、魅力的な近隣の町のカフェや図書館などに第2、第3の居場所を見つける。

・ 赤の他人の行動に、心を乱されない事。 
  ※見ない、近寄らない、関わらない。

・ その他あらゆる、自分の「物語」を奪う事物を遠ざけて、私の野心的な「物語」=仕事に集中できる環境を作る事。

・ 奇抜な事ではなく、清潔な部屋、気持ちのいい朝、上質な食事、心地よい昼寝、贅沢な入浴、食後の映画、週末の旅行といった、「人間らしい贅沢さ」を自分に日々与える努力をする事。

・ たとえそれが魅力的だと思っても、40代半ばからの人生において「人間らしい贅沢な日常」を奪うような新たな重荷はけして背負わない。(放っておいても、老いという「重荷」がやってくる。)

・ 自由であることに最大限の価値を置く。自由とは選択肢がたくさんあるが、その選択肢を行使しない状態。選択肢を行使すれば自由が無くなる。 
 ※自宅のカーポートに空きがあっても、車を入れない状態が「自由」。車を一台入れると、「自由」はなくなる。
  ↓↓↓↓
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・ すくなくとも私自身は今いる犬たち以外の犬を2度と飼わない。年齢的にも体力的にも限界。

「物語」の力


今日の夕方散歩中に以下のような事を考えた。書き記しておこう。



人類は虚構を作り出す事で・・・の記事でサルや類人猿、クロマニョン人が作る群れは100頭程度が限界で、それ以上の群れを作るには、「虚構」が必要であるという記事を書いた。人類の中で、ホモサピエンス種のみが「虚構」を作り出す事ができたという。「虚構」によってホモサピエンス種は、数千頭、数万頭、数百万頭というすさまじい数の群れを作る事が出来た。

アフリカ・サバンナで生態系の下位にいたホモ・サピエンスは「妄想力」によって全世界を支配する種になってゆくという説をとなえた、今話題のベストセラー本「サピエンス全史」。↓↓



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明智光秀は「仏のうそをば方便と云、武士のうそをば武略と云。土民百姓はかはゆき事なり。」という言葉を残しているが・・・。
仏や武士がつく「うそ」こそが、この「虚構」なのである。

僧侶や武士といったエリート階級は「虚構」を作り出せるが、土民百姓は「虚構」を作り出す能力が無いので、僧侶や武士の奴隷になるしかないのである。
戦国時代の抜群の秀才であった明智光秀は、このような鋭い言葉を残しているのである。

この「虚構」を別の言葉に言い換えると、それは「物語」である。
「物語」を作り出せる人間だけが、100人以上の人間を感動させたり、様々な影響を与えることが出来る。

何かを創造、クリエイトする人間は、つねに「物語」というものを念頭においておかなければならない。

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「物語」が人を魅了する様子を簡単な例で以下に表現する。

例1:庭

・ホームセンターや通販で、趣味の良いガーデンアクセサリーを揃える。小奇麗だがありきたりな庭になる。
・洋風の家の雰囲気に合わせて、"イタリアのコモ湖の別荘風"などテーマを決めて素材を選び、雰囲気を作ってゆく。人はそこに「物語」を見出す。

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例2:プラモデル

・車のプラモデルを"綺麗に"製作する。人がそれを見ても「綺麗に作れましたね」で終わる。
・車に汚しを入れて、その車に"使用感"を出す。人は、その汚しに「物語」を見出す。

例3:インスタグラム

・インスタグラムに、ひたすら"清潔感の田舎の自然の風景"をアップロードする。お愛想の「いいね!」、フォローで終わる。
・一方で、"田舎で犬を育てている"などのテーマで、その場面場面、喜怒哀楽を写真でアップロードしてゆけば、そこに人は容易に「物語」を見出す。

例4:散歩

・別荘地の自然の風景の中を散歩する。最初は気持ちよくてもすぐに退屈になる。
・町中を散歩する。旧い屋敷作りの邸宅に"風情"を感じ、夕暮れの民家の台所の蛍光灯の光に"郷愁"と"孤独"を感じる。風景が次々に「物語」を紡ぎだし何時間歩いても飽きる事が無い。

40代が不幸な老後を招かないための準備5つ


準備1: 生涯現役、人の世話にならない心の準備をしておく
準備2: キャリアプランを考えて準備をする
準備3: 老後資金の準備をする
準備4: 心身の健康を維持する
準備5: 良好な人間関係を築いておく

引用元:「40代が不幸な老後を招かないための準備5つ」 https://news.nifty.com/article/item/neta/12101-31580/




仕事に集中するために、ストレスゼロの環境を構築する

私自身が以前より考えている事がほぼ書かれている。

ここに足りない事は「老後をどこで暮らすか?」であろうが、仕事さえ出来ていれば、住む場所など自由自在に変えられるのでそんなことはその時に考えればよいだろう。

仕事に関して自分は「年齢は関係ない」「何歳でも新しい仕事を生み出せる」という考えの持ち主だが、一方で、40代は江戸時代であれば隠居を考えるような年齢という認識もある。若い頃のようにアレもコレも出来なくなるのだ。

だからこそ、心底楽しめる仕事に集中し、それ以外の事にストレスを感じない環境を築くことが何よりも重要と考えている。無駄な趣味など持たず、新たにモノを所有せず、精神面の豊かさを育める環境造りに注力する。

40代前半の内に100%仕事に集中できる環境を構築する。生涯現役で何よりも楽しい仕事だけを、日常生活にかき乱されずやり続ける事ができる鉄壁の環境を構築する。

この環境は、物理面・精神面の2重の城壁によって守られた環境でなければならない。




町・都市から活気を貰って仕事する

音楽家の三枝成彰氏も、40代で「ライフワーク」と言うものを明確に認識し始め、それに100%集中できるように生活スタイルを変えていったのだという。

三枝成彰氏は不夜城のような六本木で創作活動を行う事で、「まわりも深夜まで働いているので、深夜に仕事していても寂しくない」と思えるのだと言う。

映画監督で画家のデヴィッド・リンチは、自然と街並みが調和したオーストラリアに移住したが、綺麗な環境の中では創作意欲が萎えてしまい、鉄道、工場など雑多な街並みのフィラデルフィアに移ると、とたんに創作意欲があふれ出たのだと言う。

自分がライフワークに100%集中できる環境のイメージは、同様に、環境から活力を貰える場所=猥雑さもある雑多な町中のイメージである。だからといって、大都会に住みたくないが、文化のかけらもない辺境に住んでみて、町・都会から貰うエネルギーがいかに大きいかわかった。