有酸素運動 と 砲艦ホットスパー

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左にちょこっと映ってるのはつる薔薇アイスバーグ。

いっつもベッドで戯れながら添い寝しているトイプードルのつっくんが9歳になった。
病気知らずの童顔の男の子だが、いつまでも若々しく長生きしてほしい。

大型犬はもう10歳と11歳。元気だが運動能力の低下が著しい。

今までは大型犬たちが元気でどこまでも散歩したがったので、
散歩=運動になったが、最近は、人間の方が運動的に欲求不満に。

自分は昔から歩くこと=健康管理だったので、歩く時間が減ることで
体重増や身体が固くなるだるくなるなど身体に不調が出てきた。
自分もそろそろ老年に向けて健康管理を考えないとヤバイ!!と思い始めた。

まず水分補給。水か柿茶をつねに飲んで代謝を良くしておく。

次に購入したのがスピンバイク。毎日10分でもいいから漕いで汗をかくようにしている。
汗をかくことを過去10年ぐらいほとんどしていなかったけど大事なのだ。
身体の体温も上がるし。

それでも不十分。なので、毎夕、犬の散歩の後、一人で速歩で歩きまくることにした。

10代の終わりごろから、強靭な脚力を持っていた英国系ゴールデンのルークと
ともに妙見山に通じる山道など箕面の山を駆けるように歩きまくった。
あの時の、歩くことそのものに楽しみを感じる感覚を思い出して、最近は楽しんで歩いている。

五木寛之の小説「風の王国」では、山道を駆けるように歩くことを修行にする集団が登場する。
サンカとも関りのあるセケンシという流浪の民にルーツを持つ人々だ。
主人公は、彼らを通じて歩くことに魅せられていく。
そんな小説に魅せられた事を思い出した。




それはそうと、まったく関係ない話だが、
趣味にしようと準備している帆船模型の話。

最近、大昔にグンゼ産業が発売した
「本格木製帆船模型 ホットスパー」というキットがある事を知った。

このキットは、「ザ・ロープ」という関東の老舗帆船模型同好会の
重鎮が設計したモデルなのだが、あのホーンブロワーの小説
「砲艦ホットスパー」に登場する架空のスループ船をモデルに
設計されたキットなのだ。

ホットスパー(「ザ・ロープ」の展覧会より)

ぜひ作りたい!と思ったら、偶然、すぐにこの希少なキットが手に入った。
1970年代のグンゼ産業の帆船模型、その上質さ高級感は、
すごいものがある。日本の文化の黄金期の製品である。

設計図が無いのだが、おそらくイタリアのコーレル社の
HMSユニコーンあたりと同じ作りになってると見ている。

デアゴスティーニのVictory→HMSユニコーン→HMSホットスパー

という順序で作ってゆこうか。ホットスパーを手掛けるのは何年も先の話になるが。

母親と食事

ひさしぶりに母親が近くに来たので、相生の「縁粋」で食事し、
「だるま珈琲」でお茶してきた。

お粗末な別荘地の住環境や周辺地域の荒廃を含めいろいろと
母親には心配をかけていたが、わたしの肌つやと血色が良く、
元気そうなので安心してくれたようだ。

いろいろな話をしたが、老人になるといろんな箇所が悪くなるので、
若い時から歯などを大切にしておかなければならないことなど
口うるさく言われた。

キューバ旅行に行ったそうだが、
チェ・ゲバラの歩んだ土地かと思うと、タラップを降りる途中
感動して涙が出たが、街を歩くと物乞いだらけで、憧れが
幻滅に変わったと。

キューバというと貧しくても生き生きしているというフレーズで
語られがちだが、単に価値が高いドルがほしくて観光客に
笑顔を作ってるようにしか思えなかったと。欧米からの観光客
がすごいが、欧米人がキューバ人に先んじて宿泊ビジネスに
参入しているため、観光人気の恩恵でキューバ人が必ずしも
潤っているわけではないようだ。

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上郡町 千種川ぞいの河川敷公園

夕暮れ散歩のときに見た夕暮れ。
自分は、好きな町と自分の日常が一体になる瞬間に幸福感を感じる。

現実なのか夢なのかわからない風景


それは10月の寂しい夜更けであった
私のもっとも忘れがたい年の・・・

場所は闇につつまれたオウバー湖のほとり、
霧に包まれたウィア地方のただなか・・・

場所はオウバー湖のほの暗い水辺、
ウイア地方の鬼がうろつく森林地帯・・・

(エドガー・アラン・ポー 「ユラリューム」)

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兵庫県上郡町苔縄

超常現象の類はいっさい体験したことがないのだが、現実なのか夢なのかわからない風景の記憶がある。

場所は現実に存在する。それは高野山の山院である。

そのイメージの中で私は小学生だ。
青い夕暮れ時に山中に開けた墓地の石畳を私は歩いている。
開けた墓地を樹齢数百年の太い杉林が囲んでいる。
苔むした石造りの壮麗な空間は、非現実的なほどの美しさをたたえている。
ところどころに小さな橋があり小川が流れており、空気が清らかである。
墓地の中ほどにお堂があり、そこだけ明かりがありゴッホの絵のようなオレンジ色の光がボウっと輝いてる。
中からは線香のかぐわしい煙が漂ってきている。
静かに響いてくるお経の声に、心がとても静まるのを感じる。

高野山は子供のころ、親戚のオジサンに連れられて行ったことがある。
おそらくその時の記憶が、非現実的なまでに美しいものに脳内変換されているのだろう。
中学生のころぐらいまで、空想の世界に旅立つのが好きだった。
今でも散歩しながらいろんな空想をめぐらすのが楽しい。

当時、自分にインスピレーションを与えてくれた存在はポーの詩と短編だった。

エドガー・アラン・ポーは、その豊かな想像力をアヘンの力で増幅して、人々が見たこともないような異郷の数々を垣間見たのだろう。ポーの作品は単なる言葉遊びではなく、彼自身が目撃した世界を文章化したものであることがはっきりとわかる。

ポーの詩や短編の極彩色のビジョンは、19世紀のボードレールによる発掘以降、多くの芸術家(詩人・画家・小説家・音楽家・映画監督)にインスピレーションを与えてきた。ルキノ・ヴィスコンティもポーの「長方形の箱」の映画化を模索した時期があり、黒澤明も映画「デルスウザーラ」を撮影した後に、ソ連のバックアップでポーの「赤死病の仮面」の計画を温めていた。

だが、命の危険を冒して異郷(クライブ・バーガーの小説におけるフーガ"綺想卿")へと数々の旅をしたポーは、しだいに精神を侵され40歳で生涯を閉じた。

空想の世界にあまりに魅入られた人間が想像力を制御できなくなった時、それに取り殺される。これはホラーの世界の話ではなく、現実に起こることなのだ。たとえば薬を使わなくても、意図的に過呼吸状態を作り出してビジョンを見る方法や、想像力を訓練して夢の世界の産物を、現実の世界に引き出すような想像力増幅の訓練法(「実践カバラ」という大学準教授の本に詳しい)まである。それらの行き着く先はみな同じである。

死の恐怖を顧みずに、リミットまで想像力を増幅させたポーは今でも創造を志す人間のヒーローである。ザ・ドアーズのジム・モリソンのような追随者が後を絶たない。

夕暮れの千種川

昔から夕暮れの町の風景を眺めながら散歩するのが好きだ。

最近のお気に入りは、上郡町の町役場前の河川敷の公園。
遠くや近くの山並みが低い雲と湿った空気のもやのなかに屹て幻想的な風景を醸し出す。

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上郡町井上 駒山城跡 (山城)

このような風景を見ると黒澤明の映画の雰囲気だなと思う。
黒澤は、"地獄"の幻想的イメージに魅入られた芸術家だった。
小学校5年生の時に当時公開された「乱」をリアルタイムで見たが、
音がいっさい消えて、武満徹の"地獄絵巻(Hell's picture scroll)"という
音楽が淡々と流れる攻城戦のシーンに自分も魅せられた。
そう、あの雰囲気である。

同じく黒澤のシェークスピアのリチャード3世を映画化した「蜘蛛巣城」。
そのオープニングは、霧にかすむ荒野の風景と蜘蛛巣城跡と
書かれた看板を映すシーンからはじまる。

そして気味の悪い歌が流れる。

見よ 妄執の城の跡
魂魄未だ住むごとし
それ執心の修羅の道
昔も今もかわりなし

西播磨には、県境ということもあり、
血なまぐさい過去を持つ妄執の山城の跡が
たくさんある。その一つが上郡と佐用の間にある
上月城で、一族郎党玉砕という悲劇を2度も繰り返した場所だ。
今でも落ち武者の武者鎧の音などが夜ごと響き渡っている
のだろうと思う。それを疑いなく確信した場所だった。

雨に曇る仏閣

歯医者さんへ行くために車を走らせて小旅行に出た。
西播磨の寂れた地域に住んでいると、腕がいいお医者さんの
元へ通うのも片道50km以上の道のりになる。

途中、たつののコンビニに寄ったときに、
小雨が降ってきたのだが、畑の向こうに大造りな立派な門を
持つ寺が見えはっとした。

門の左右には立派な木造の仁王像が覗いていた。
仁王像の写真を撮りたかったのだが、周囲に駐車
できるスペースはなく以下のような写真になってしまった。

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たつの市恩徳寺

寂れた別荘地のセンスのないブルーシートや波板の散乱した
廃墟系DIYを見ていると、日本ってこんな安っぽい国なのかと心が病んでくるが・・・
久しぶりにこのような立派な建築を見て、心が洗われた。

まわりの無粋なコスト優先の町の風景の中でかくも本格的な
和風建物を維持管理してきた人は、そのことをもって尊敬できるし、
こういうものを愛でる事が、文化に触れるということだと思う。

ゲーテは、結婚はすべての文化の頂上に位置すると評したが、
そうであるとしたら、人間が雨をしのぎ安心して暮らせる建物
こそはその文化が目に見える形で結晶化した物質であると思う。

心がけの良い人は自分で出来得る範囲で
文化的な住居に住む。だが、悲しいかな、
廃別荘地になりかけの高原別荘地という場所を
選んでしまったために、5年とたたずに周囲は
文化のかけらもない場所になりつつある。